いつの日か



「楓お姉ちゃんも、一緒にお料理作ろうよ」
 初音に頼まれて、近所のスーパーに寄った帰り路。
 私は両手一杯の食材を抱えていた。
「え、料理?」
 すっとんきょな声を思わずあげた。
「うん。きっと楽しいよ」
 楽しい……か…………。
「ちょっと無理だと思う」
「どうして?」
「あの台所に、私と初音と梓姉さん、3人もいたら狭いでしょ」
「そうかなぁ」
「それに、私がいても梓姉さんの邪魔になるだけだし………」
 突然、目の前を木枯らしが吹き抜けた。
 初音が驚いて、小さな声を上げる。
 枯れ葉が土埃と共に舞い上がり、潮風に乗って遠くへと運ばれていく。
 冬の足音が、ひたひたと近づいていた。
「明日の夕飯、わたしと楓お姉ちゃんだけで作ろうよ」
「明日?」
「うん。たまには、梓お姉ちゃんに楽をさせてあげたいし、二人で作れば問題ないでしょ?」
「う、うん。別に、いいけど」
 そう、答えつつ、私の頭に不安が過ぎった。
 ここ暫く、家庭科の授業以外に、料理をした記憶があまりない。
 上手く、出来るかな。
「初音。今日は鶏肉で唐揚げを作るって言っていたわね」
「そうだよ。明日はお魚の料理にしようか」
 魚の方が難しいような気がした。
 私、綺麗に魚を3枚におろす自信がない。
 一体どうなる事になるやら。
 オレンジ色に染まりゆく、天高き空を見上げながら、私は溜息を一つついた。
 
 
 翌日。
 私は魚屋で買った食材を手にして、家の門をくぐった。
 台所に入ると、ピンクのエプロンをした初音が、お釜にご飯をセットしている所だった。
「ただいま」
「ごめんね楓お姉ちゃん、一緒に買いに行けなくて」
「いいのよ初音、別に気にしなくても」
「どんな、お魚買ってきたの?」
 私は買ってきた魚を見せた。
 一瞬にして、目を丸くする初音。
 何か変だろうか?
 私は首を傾げた。
「……楓お姉ちゃん、ブリを一本買ってきたの……」
「大きいほうが三枚におろしやすいと思って」
「楓お姉ちゃん、あそこの魚屋さんは、頼めばどんな魚でも三枚におろしてくれるよ」
「え……」
「それに、最初から骨を取った調理済みのお魚でも良かったんだけど」
 廊下から、梓姉さんの押し殺した笑い声が聞こえてきた。
 どうやら、ちょうど今帰って来たところらしい。
「わたし、こんなに大きなお魚、おろすのは初めてだよ……」
「大丈夫よ。多分、なんとかなると思う」
 まったく根拠の無い言葉を口にしながら、私は六十センチほどのブリを、マナ板の上に載せた。
 やっぱり、ちょっと大きかったかな………。
 包丁を手に持ち、魚に手を添えた。
 梓姉さんに頼む気は、最初からなかった。
「楓お姉ちゃん、まず頭をおとさなきゃ」
 私は初音の言葉に頷きつつ、ブリのカマに包丁を入れた。
 ……………あれ?
「大丈夫?」
 初音が不安そうに私を見つめる。
 思ったより、固い。
 ある程度切れ目を入れ、魚を裏返し、再び反対のエラから包丁を入れる。
「多分、これで…………」
 上手く行かない。
 力を入れようにも、包丁が欠けてしまいそうで怖かった。
 いたずらに時間ばかりが、過ぎ去ってゆく。
「楓。包丁を貸して。あたしが見本を見せてあげる」
 廊下からコチラを見ていた梓姉さんが、我慢しきれずツカツカと台所に入ってきた。
 私から包丁を受け取ると、手慣れた手つきで刃を魚の中に入れていく。
「ここの辺りのスジを切ればいいのよ」
 ものの数秒で、見事にブリの頭を切り落とした。
「後は出来るよね」
 そういうと、梓姉さんは包丁を私に手渡し、再び後ろで傍観し始めた。
 なんだかまるで、姑に品定めされている新妻の気分だった。
 私は梓姉さんに礼を述べると、一呼吸置き、ブリの尾びれに包丁を入れた。
 とりあえず、三枚におろす。
 そこから先は、思ったほど難しくはなかった。
「楓お姉ちゃん、お刺身と、焼き物と、ブリ大根も作ろうか」
 初音がテキパキと他の調理を手際よくすすめる。
「ブリ大根だと、時間かからない?」
「多分、晩ごはんまで時間があるから、大丈夫だと思う」  
 そういうと初音は、私が取り分けたアラをざるに取り、臭みを取るため先ほどから 沸かしていたお湯に、それをくぐらせた。
「ねえ、楓お姉ちゃん」
「ん?」
「耕一お兄ちゃんがいれば良かったのにね」
 少し寂しそうに呟いた。
「そうね………」
 私は都会に戻った耕一さんの事を思い浮かべた。
 今頃何しているのだろう。
 ちゃんとご飯食べているのかな。
 逢いたい………。
 逢いたいな………。
 耕一さんの側に行きたい。
 別に、何が出来るわけでもないけど。
 でも…、
「イタッ!!」
 突然、鋭い痛みが走った。
 カラン。
 私の持っていた包丁が、まな板の上に転がる。
「楓お姉ちゃん?!」
 初音が腕を止め、私のほうに走り寄る。
 私は自分の指を見て、思わず固唾を飲んだ。
「血が、出てるよ………」
「だ、大丈夫。ちょっと考え事していただけ」
 傷が深いらしく、血がみるみる溢れ出てきた。
「楓、刃物を扱っている時は、料理に集中しないとダメよ」
 梓姉さんが、居間の方に駆けだしていった。おそらく救急箱を取りに行ったのだろう。
 まな板の上に、ポタポタと私の血痕が垂れていく。
 初音が青い顔をしながら、キッチンペーパーで患部を包んだ。
 鋭い痛みが、断続的に襲ってくる。
 赤く染まっていく紙を見つつ、私は………、
(もし私が死んだら、耕一さんはあの時のように、泣いてくれるのだろうか)
 ふと、そんな事を思った。
 愚かな考えだと自覚しつつ…………。
 
 
「いただきます」
 四姉妹揃っての夕ご飯。
 テーブルの上には各種、多様な魚料理が並び、炊きたてのほかほかご飯が、食欲をそそった。
「あら、美味しいわね。このお刺身」
「千鶴お姉ちゃん、ブリのカマも美味しいよ」
 皆、競うように箸を動かす。
 どのオカズも、スコブル評判が良い。
 もっとも、指を怪我した後、私は見ていただけで、初音と梓姉さんがほとんどの料理を作りあげた。
「あら、楓。その指どうしたの?」
 経緯を知らない千鶴姉さんが、包帯が巻かれた私の指に目を留めた。
「ちょっと、怪我しただけ」
 あまり、触れて欲しくなかった。
「あぁ、千鶴姉。包丁で切っただけだよ。料理しててね」
 余分な事を言わなくてもいいのに………。
 ちょっぴり梓姉さんを恨めしく思った。
「珍しいわね。楓が料理をするなんて」
「でも、上手だったよ千鶴姉。包丁の裁きかたとか。楓の選んできた魚も鮮度が良くて、物を見る目はあると思うよ」
「そうだよ、わたしあんなに大きなお魚おろせないもん。きっと、やらないだけで、楓お姉ちゃん、料理の素質あるよ」
 思いがけず二人に褒められ、私は恥ずかしくなり、目を伏せた。
「ねぇ楓。年末に耕一が来た時は、楓が料理を作ってあげたら?」
 思いがない提案に、箸が止まる。
 梓姉さんは本気で言っているのだろうか。それとも単にからかっているだけだろうか。
 私は梓姉さんの真意を測りかねた。
「考えとく…………」
 当たり障りのない解答しつつ、食後の日本茶をゆっくり啜った。

<いつの日か 終わり>



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