_________________________


能楽みたよ


能楽を見始めて、まだわずか。超初心者ですが、そのおもしろさに目覚めかけています。

心地よい眠りに誘われたり、そのスリリングさに心を奪われたり、初心者なりに楽しんでいます。

このページは、心に残った能や狂言の、拙い観劇日記です。



*    *    *



2000年9月26日  今井清隆 能の会  国立能楽堂

 狂言 「萩大名」

  シテ 野村萬斎  アド 高野和憲

 能  「船弁慶」波間之伝  金剛流

  シテ 今井清隆  ワキ 森 常好

  笛  一噌隆之  小鼓 大倉源次郎

  大鼓 安福光雄  太鼓 金春國和

  アイ 野村萬斎



船弁慶は何度か観て、とても好きな演目の一つです。前半の優美な舞と後半の 激しいめまぐるしく動く展開がとても好きだからです。 どちらも、能を観る醍醐味の一つ。これが一つになっているのですから。
前半、静御前の舞。ゆっくりと優美な舞でした。とても綺麗でした。 静かにゆったりと流れる時間がありました。いつもより長い感じがしました。
間狂言で、萬斎さんのきびきびした動き、とても楽しめました。あんなに早い 船は見たことありません。大波をやり過ごすときの櫓の動かし方も早い! 船弁慶は間狂言も楽しめるのです。間狂言が楽しいという点では、鞍馬天狗も そうでした。

後半、いよいよ後シテの登場で、床几に腰掛けて名乗ります。波間にすっと浮かんだ感じで おもしろいと思いました。舞台に走り込んで、独特の足使いをします。波を蹴る型なんだそうです。
鮮やかな長刀さばき、舞台狭しと動き回る姿は何度見ても胸がすっとします。 見ているこちらも思わず力が入るのがわかります。これも、能っていいなと思える瞬間です。
最後になって、刀を首にかけ後ろ向きに幕へ走り込んでいきます。まるで引っ張られるように。 こういう型は見たことありません。金剛流独自の型だそうです。 観てとても良かったと、満足感でいっぱいでした。


船弁慶

西国落ちを決意した義経(子方)は、摂津の国大物の浦に到着する。
静御前(前シテ)もここまで従ってきたが、弁慶(ワキ)の諫めで都に帰すことになり、 名残の酒宴が開かれる。静御前は清水観音の加護を祈りながら、別れの舞(序舞)を舞う。(中入)
義経の一行が船出すると、海上がにわかに荒れ始め、平知盛(後シテ)の怨霊が波間に立ち現れ、 義経主従を海に沈めようとするが、弁慶が祈り伏せると怨霊は波間に遠ざかっていく。






2000年7月8日 花祥會 観世能楽堂

 能「野宮(ののみや)」

  シテ 関根祥人  ワキ 宝生 閑

  小鼓 大蔵源次郎 大鼓 安福建雄

  笛  藤田大五郎



 狂言「箕被(みかずき)」

  シテ 山本東次郎 アド 山本則俊



 能「谷行(たにこう)」

  シテ 関根祥人  子方 関根祥丸

  ワキ 森 常好

  ワキツレ 舘田善博 殿田謙吉
       御厨誠吾 梅村昌功
       大日方寛 野口能弘
       則久英志 宝生欣哉

  小鼓 宮増新一郎 大鼓 柿原弘和

  太鼓 観世元伯  笛  松田弘之



野宮は、見ていてとても気分が良くなりました。さらりとしていて綺麗でした。
ほんとうは、執念のようなものが現れて欲しいのでしょうが(自分に感じ取れる 目が無いだけかもしれません。)それはそれでいいのではないでしょうか。

今回印象に残ったのは谷行でした。
谷行はワキ方にとって重い曲であるらしく、登場するワキ方も多いので滅多に上演されないそうです。 そういう意味でもとても楽しみでした。

ワキ方がずらり9人も舞台に並ぶ様は壮観と言っていいです。 謡も迫力があって地謡との対比がおもしろかったです。

後場になって、子方が病気になる場面、阿闍梨は松若を寝かすのですが 子方が肘寝をしました。ほほえましい場面です。そっと、衣を重ねる。 師弟の情愛が感じられました。

いよいよ谷行という場面、子方を衣でくるみ、二人のワキ方が抱きかかえるようにして もちあげ、目付柱の近くへそっと置きます。緊迫した場面です。動きが早く、また 独特の動き方。おもしろいと思いつつ、ワキの悲嘆も強く感じ、胸が締め付けられるような 悲しみが覆います。あっという間の出来事。

重苦しい雰囲気の中、山伏が一心に祈ります。
そして、後シテの登場。動きに切れがあって迫力がありました。 木を切り倒す場面、実際に斧で木を倒し、木が舞台から飛んでいってしまいました。 もう一本を引っこ抜いて、松若を抱きかかえて、阿闍梨に渡す。かっこよかったです。 見ていて驚きの連続。こういう能もあるんだと、能をもっといろいろ見ていこうと 思いを強くしました。


谷行

京都の山伏、阿闍梨は峰入のため弟子の松若(子方)に暇乞いに来ます。
松若は峰入りの供をしたいと望みます。母(前シテ)は、思いとどまらせようと しますが、松若は母の病気を治すためと熱心に同行を願うので、許します。(中入り)

松若は山伏一行とともに葛城山へ峰入しますが母の流感が感染していたものが、発病し 重態に陥ります。こうした場合修験道の大法により谷行(行きながら谷底へ投げ込み 土砂で覆う)を行うことになります。同行山伏の総意でその実行を先達の阿闍梨に 迫ったので、松若に谷行の大法を言い聞かせ、師弟の情愛に泣きつつも、谷行は実行されます。

出発の時になって阿闍梨は悲嘆にくれ嘆きも病気と同じだから自分も谷行にしてくれと いいます。山伏たちは同情して松若の蘇生を役行者に祈ります。

すると、役行者に仕える伎楽鬼神(後シテ)がその命令を受けて松若を掘り起こし 生き返らせます。






2000年6月9日 銕仙会 宝生能楽堂

 能 「通盛」

  シテ 観世榮夫  ツレ 清水寛二

  ワキ 殿田謙吉  ワキツレ 井藤鉄男

  アイ 石田幸雄

  笛  一噌庸二  小鼓 鵜澤速雄

  大鼓 亀井忠雄  太鼓 小寺佐七



 狂言 「水汲」

  シテ 野村万作  アド 野村萬斎



 能 「隅田川」

  シテ 観世暁夫  子方 殿田達也

  ワキ 宝生欣哉  ワキツレ 則久英志

  笛  藤田朝太郎 小鼓 宮増純三

  大鼓 国川 純



この日特に印象に残ったのは、隅田川でした。

シテの謡で、子を思う気持ちが強く伝わりました。感情がこもって、より強くこの能の印象を強くしました。 今まで観た能ではシテの謡で感銘を受けたことがなかったです。

なんて深い情念のこもった能でしょう。シテの悲しみがこちらにも強く伝わってきました。 大念仏で回向されているのが、我が子だと知ったときのシオリの姿が、悲しみを誘います。 シテが鉦鼓を打ち鳴らしながら念仏を唱えます。その鉦鼓の音が何とももの悲しく聞こえました。

すると、突然子方、梅若丸の声が響きます。何とも感動的な場面です。 ぞくぞくっとしました。それから、作り物から子方が姿を現します。 シテの驚き。我が子を抱こうとしますが、するりと抜けてしまいます。 幻というわけでしょうか。なんという演出でしょう。でも子方が姿を現さない演出もあるそうです。 シテの慟哭が聞こえてきそうな、能でした。

隅田川は前から観たいと思っていたものです。思いが遂げられて、しかもこんなに素晴らしい能だったなんて。 大きな満足を胸に家路についたのでした。


隅田川

隅田川で、渡し守が旅人たちを待っています。都の旅人がやってきて、そのすぐ後から、 女(シテ)がやってきて、渡し守に乗せるように頼みます。女は都の北白河に住んでいたが、我が子を人商人にさらわれて東国に下ったときいて 心乱れてやってきたという。

旅人の問うままに渡し守は川岸で行われている大念仏は、一年前に人商人に連れられてきた子供がここで病死したので、 その子の一周忌の回向をしているのだと説明します。

そして、都の北白河の吉田なにがしの子であったと言います。狂女はそれこそ我が子梅若丸であると知り、泣き伏します。

渡し守が同情して、その子を埋葬した塚へ導きます。母は我が子の墓を見て、泣き伏し、念仏を唱えます。すると、子供の念仏の声が聞こえ、 母の目には我が子の姿が幻のように現れます。母は我が子を抱こうとしますが、幻のごとく消えてしまいます。後はただ白み行く空に塚が残るだけ。






2000年5月16日 宝生能楽堂 学生能楽鑑賞会

一管 「筑紫・豊後下がり羽」

一調 「咸陽宮」

狂言  「丼礑(どぶかっちり)」

 勾当 茂山千作

 菊市 茂山正邦

 道通りの者 茂山千三郎

能   「鞍馬天狗」 素翔(しらかけり)

 シテ 橋岡久馬  沙那王 逸見純一

 ワキ 宝生閑

 小鼓 横山貴俊  大鼓 白坂信行

 太鼓 小寺佐七  笛  松田弘之

 

まず、丼礑ですが、これは座頭物といって、盲人を主人公にした狂言です。 今日では盲人差別という観点から上演が遠慮されるそうです。

たしかに、見ると盲人を笑い物にしているといえばそうでしょう。でも、これは中世の話。 古典芸能です。差別意識はないでしょう。でも、見ていて素直に笑えないのも事実。 滅多に上演されないと言うことと、茂山千作さんの味わいのある演技を楽しむ狂言でした。


そして、鞍馬天狗。始まるといきなりシテが出てきて、舞台に座ります。何とも飄々としていて、 その動きは今までの能では見たことがありませんでした。これは、素翔という演出なのか、橋岡久馬 という人だからなのか、まだわかりません。

そのほかにも、動きが独特でした。面白いと思いました。異才と言われているそうですが、 これから注目していきたい。

それから、沙那王を演じた逸見純一さん、子役なのですが声がしっかりしていました。 堂々としていて、末はどういう能楽師になるのだろう。楽しみです。

他の鞍馬天狗はどうなのか、橋岡久馬さんの他の演目はどうなのか、大いに興味をそそられる鞍馬天狗でした。 学生能楽鑑賞会の追加公演として、橋岡久馬さんで、別演出の鞍馬天狗をやるという。 もう行くしかないです。


丼礑

シテは勾当(こうとう。盲人の官名で検校に次ぐ位)で、菊市という弟子と共に都へ向かいます。 途中で飲むための酒を持った盲人の二人旅です。

道中の慰みにと勾当が「平家」という曲を謡います。内容は、戦場でかかとを切られた者と、 あごを切られた者が、慌てて拾って付け間違えたので、かかとに髭が生え、 あごには冬になるとあかぎれができた、という何ともおかしい内容です。

そのうち二人は、川にぶつかります。そこで、渡るべき浅瀬を探すために、菊市に石を投げさせます。 深いところは「ドンブリ、ズブズブ」といい、浅いところは「ドンブリ、カッチリ」と音がします。 (これがどぶかっちりというの題名の由来)

そこに一人の男が通りかかります。そして、勾当が菊市に負ぶって渡れというのを聞き、 この男がちゃっかり自分を背負わせて岸の向こうへ渡ってしまいます。 勾当は自分が渡らないのに菊市が行ってしまったのを知り怒りますが、菊市は今背負ったばかりなのに、 といぶかしがります。

結局菊市はまた戻って、勾当を背負って渡り直します。さむいというので、持っていた酒を飲もうとしますが...

男にみんな飲まれて、勾当と菊市はお互いを怪しみ喧嘩になりますが、 それを見て大笑いしている男の存在に気が付いて...


鞍馬天狗


桜が満開の鞍馬山。シテが登場し、花見と聞いたので見に行こうと述べます。続いて西の谷の能力が文を持って東谷 の連中を花見に招待しようといます。そこで、東谷の僧たち(ワキ)が大勢の稚児たちを引き連れて登場します。

僧が能力に稚児たちを楽しませるために何か舞えと命じ、能力が舞い始めると、シテが花見の座敷に入ってきて中断してしまいます。

能力は追い出そうとしますが、僧は明日またやり直せばよいから、今日は帰ろうと言い帰ってしまいます。 一人の子供だけ残ります。沙那王(牛若丸)です。舞台はシテと沙那王だけです。

シテと沙那王は語り合い、花を見たりしてうちとけて、名を尋ねます。シテは大天狗であると名乗り、明日また会おうと言って、雲を踏んで飛んでいきます。

間では狂言方が木の葉天狗として登場して、稽古として打ち合います。

後場では、沙那王が長刀を肩にして出て、シテがでてきます。シテは従う天狗共の名をあげ、 張良が黄石公から兵事を授かった故事を語ります。そして、シテは平家討伐の戦場で必ず力添えをすることを約束して、去ります。






2000年5月5日 宝生能楽堂 右近の会

  「寝音曲(ねおんきょく)」

 太郎冠者  三宅右近

 主     三宅右矩

  「釣狐(つりぎつね)」

 前シテ 白蔵主、後シテ 狐  高沢祐介

 猟師    野村萬斎

  「金津地蔵(かなづのじぞう)」

 子 三宅近成  

 親(すっぱ) 三宅右近

 金津の者 河路雅義   他 金津の者たち




その中で特に印象に残った「釣狐」の感想を。 シテの登場からしていつもの狂言とは違う緊張感が漂っていました。 足の運び方が特徴があります。動きが独特。急に振り返ったり、横に飛んだり、 辺りをうかがう狐の神経質さが良く出ています。

時々奇声を発して、ぞっとさせます。緊張感、悽愴感が漂って気迫のこもった、 演技でした。とにかく観る者を引き込んで離さないと言った感じで、並々なら無い 決意を感じさせました。狂言師にとってこの「釣狐」は修行の総仕上げとしての曲 だそうです。これからが楽しみな人です。

猟師を改心させて、帰る途中罠を発見してうまそうな若鼠の唐揚げをみつけます。 そのときの嬉しそうな様子、何度も飛びかかって食おうとするのですが思いとどまる、 その様子が何ともおかしかったです。

本性を現して狐の扮装で出てきます。着ぐるみを着ているのです。四つん這いで動きます。 狐の面も、口が動きます。口をぱくぱくさせて辺りをうかがう様子がユーモラス。 猟師は気が付いて、狐が罠にかかってしまいます。逃れようと狐と猟師のやりとりが、 なんとも哀愁を帯びて胸がきゅんとなってしまう。

結局、罠から逃れて猟師が「こら、まて!」といった感じで終わるのですが、見終わって、 大きな満足感と重厚な感動をもたらしてくれました。 こういう演目なのでなかなか上演されないでしょうが、観る機会があったら、是非また観たいです。


  「釣狐」

白蔵主という僧に化けた古狐が登場します。一族を釣り取られてしまったので、猟師に思いとどまらせようと 猟師の伯父の白蔵主に化けたというわけです。猟師の家を訪ね玉藻前の話をして、狐がいかに執念深いかとい うことを言って改心させます。そして罠を捨てさせます。帰る途中、罠を発見してそこに大好物の若鼠の唐揚げを 見つけます。飛びかかって食いたいと思いますが、思いとどまって、化身の扮装を脱ぎ捨ててから食おうと、その場を立ち去ります。 一方伯父の行動に不審を覚えた猟師は、罠が荒らされているのを発見して古狐の仕業であると見抜きます。 罠を仕掛け待機して、そこに正体を現した狐が登場して...






1999年11月19日 国立能楽堂 定例公演 

   「三輪」 観世流


 シテ 観世 清和   ワキ 森 常好

 笛  藤田 次郎   小鼓 住駒 昭弘

 大鼓 柿原 崇志   太鼓 助川 治

初めてみる三輪に心弾ませて、能楽堂に足を運びました。

観た結果、素晴らしいコンサートを聴き終わった後の充実感を 得たときのように、深い満足感を感じることができました。

能は初心者ですが、何か感じることがあったのでしょう。 これからも、能を見続けていきたいと思いました。

ワキの歌うような、声に惚れ惚れとしていました。シテの優美さ に感じ入りました。

能を見始めてまだ1年余り。まだまだ知らないことばかり。 もっと見聞を広めていきたいと思います。


  「三輪」 四番目物


大和国の三輪の山陰に庵を結ぶ玄賓僧都(ワキ)のもとへ、樒と閼伽の水を持って、 どこからともなく、一人の女(前シテ)が現れる。夜寒をしのぐ衣を一重、上人に乞う 。上人が快く衣を与え、名を尋ねると、女は、「わが庵は三輪の山もと恋しくは、訪ひ 来ませ杉立てる門」の古歌を引き、不審ならば杉木立の門を目印に来るように言い残して、 姿を消す。(中入り)

三輪明神に日参している男(アイ)が、神前のご神木の杉の枝に僧都の物らしき衣が 掛かっているのを見つけ、知らせる。

三輪明神の社に来てみると、たしかに二本の杉に与えた衣が掛かっており、しかもその 褄に、「三つの輪は清く清きぞ唐衣、来るなと思ふな取ると思わじ」の一首が記されて いるのに驚き茫然としている。そのとき、神杉(引き廻しをつけた作り物)の中から、 三輪明神(後シテ)が巫女姿で現れる。明神は和歌の徳を讃え、三輪山の神話を語り、 天の岩戸の神楽の様を演じる。いつしか、夜も明け、僧都は夢からさめる。






1999年5月26日 国立能楽堂  友枝昭世の会

   「道成寺」 喜多流

 シテ 友枝昭世    ワキ 宝生 閑

 笛  一噌仙幸    小鼓 亀井俊一

 大鼓 亀井忠雄    太鼓 助川 治

 大鼓の人が現われた時、お顔でお名前がわかりました。これより前の公演で、 この人の大鼓を拝見して、強く印象に残っていたのです。 今回も素晴らしいと思いました。気迫がありました。緊張がいやがうえに も増して、手に汗握ると言った感じでした。それに、小鼓とシテとのやり取り、 かけひき、シテの微妙な動き、静止する間の長いこと、どれも初めて目にしまし たが、良かったです。乱拍子から、急の舞。そして、鐘入り。息もつかせず、 怒涛の如く。鐘入りの前、パーンと烏帽子を払いおとす姿が、目に焼き付いていま す。 後で聞いたのですが、友枝さんは以前この鐘入りの時、頚椎を折る大怪我をした そうです。そんなことは微塵も感じさせない、勇気に感服しました。  後シテは予告どおり赤頭。蛇となった女の執念と、僧侶の戦い。凄まじかっ たです。見所が沢山あって、堪能しました。シテが欄干に絡み付くさまは、 艶かしささえ感じました。 道成寺は初めて。緊張感あふれる舞台に、ただもう見入るばかりでした。 能の中には、このように激しいものもあります。


  「道成寺」  四番目物 狂言型の後見が、鐘を舞台中央につり下げます。

道成寺の住僧(ワキ)が従僧たち(ワキツレ)たちとともに登場し、鐘を再興したことを述べる。 そこへ、女人禁制と触れさせたにもかかわらず、一人の白拍子(前シテ)が現れ、鐘の供養を舞 うからといって、能力の許しを得る。白拍子は舞い始め(乱拍子、つづいて、急舞)、鐘に近づき 落としてしまう。(中入り)

能力から報告を受けた僧は、一同に話をする。 昔、一人の山伏をこの鐘の中に隠したが、彼を追ってきた女が、蛇体となってこの鐘を取り巻き、 山伏を殺してしまったというものであった。

(シテはこのあいだ鐘の中で、面、装束を取り替える。あらかじめ、シテ自身が鐘の中に仕込ん でおくのである。鐘入りは危険を伴うので、万一のために、鐘が上がる前にシテは合図をする。 合図がなければ、不測の事態と言うことです。昔だったなら、後は後見が舞う事になったそうです。)

僧たちは祈り始め、鐘が再び上がる。そこには蛇体となった女(後シテ)がうずくまっていた。 僧たちがなおもいっそう祈ると、蛇体となった女は鐘に何度も執着を示しながら、やがては日高川 に飛び込んでしまう。





ホームに戻る