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botaのその他について

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2007年7月31日(火)
今まで知らなかった・・・

パイオニアLDCがジェネオンエンタテインメントに社名変更したんだってね、かなり前に。
馴染みのあったパイオニアLDCって名前がなくなるのは、今のご時世仕方ないのかもしれないけど、こういうことだったとはまったく知らなかったよ。
過去のパイオニアタイトルもBOXで出しているもんなぁ、っていってもアニメばかりしか知らないけど。

2007年7月29日(日)
参議院選挙と絵本

ちょっとTVというメディアでリアルタイムに選挙の開票結果を中継するという必然性についてかえって不便なのではないか?という疑問がある。

自分が小学校に通っていた時には、選挙の結果は、翌日に先生が教室のTVで見ていた気がする。
30年ぐらい前かなぁ。

選挙の結果で重要なのは、与野党の議席数なのかもしれないが、個人的には、自分の投票した相手が当選したかしないかも重要なのではないだろうか。
今後の国の運用を任せることが、どの政党になるのかは、非常に重要な事なのだけれども、それに対して、各種批評家や政治家本人などのコメントは、リアルタイムに話すよりも、最終的にでた結果からでも良いのではないかと思う。

私個人についていえば、自分が投票して政治家が当選できたのかできていないのかの方が知りたい情報。

それは、ローカルな選挙区毎の結果になってしまうので、TVをちょっと見逃しただけで、当確を見逃してしまったりしてしまう。

翌日の新聞まで待てば、確かに、わかることではあるのだけど、ここではTVの報道の方に目を向ける。

とすると、当確の報道や当確出た政治家のインタビューは、見てみたい。
それが、自分の投票した政治家であればなおさら。

そういう意味では、全国放送で全国の結果を垂れ流すようなことが必要なのかなぁと思うのだ。

例えば、関東の放送局では、関東の選挙区の速報や当確の人のインタビューが見たいと思う人が多いのではないだろうか?

私は、正直応援している政治家でもない人にまで、あまり興味はない。

政治というもの自体が、数の論理が強いから、固有の政党を応援している人にとっては、全国の結果から得られる報道での意義は高い。
与野党の勢力逆転なんてことも、リアルタイムでわかったら、大きなニュースになると思われるから。

今回比例の結果もあるので、自分の投票した政党がどのぐらい勢力を伸ばしているのか、という事も気になるといえば気になる。

けれども、それこそ、最終的に、あるいは、ある時間が経過しなければはっきりしないのだとしたら、TVでリアルタイムで投票終了時間直後から全国の速報を随時垂れ流す事は、重要な事なのだろうか?
あるジャーナリストの予想通りだったか否かの自慢合戦のように、偏見をもって見てしまう反面、
自分の投票した人の当選落選結果はいつわかるの?という時間が過ぎていくような気がしている。

何も報道しないというのは、ありえないと思うが、報道の仕方や見ている人のほしい情報を提供してくれないものかなぁ、と思う。

そこで、TVではない方法でリアルタイムといえば、Webである。

検索して発見したNHKの速報ページは、非常にほしい情報が良くわかるし、だれかの主観での今後の政治のことや、国民の審判の原因などの雑音?が聞こえてこない分、非常にわかりやすかった。完全リアルタイムとまでは行かないまでも、更新時刻の進度に不満はなかったし。


ま、選挙とは関係ないのだけど、27時間TVの中で作った巨大な絵にいろ塗りしたことで完成した絵本は、なかなかよかった。
本当の本にならないかなぁ。

各候補の選挙活動や結果をドラマチックにすることで、何か得るものがあるのだとしたら、27時間TVでの絵本の方がずっと参加した結果がはっきり目でわかって印象がよかったのは、私だけだろうか。

2007年7月22日(日)
好きという言葉

好きということを心に持っているのは、人間の心の当然な事何かもしれない。
しかし、好きという心をずっともったままいられる事は、すごく純粋で奇跡的なことなのかもしれない。
人に対しても、愛とか恋とか、憎しみや妬みや。
物や行為、行動についても、いつか好きだけど出来なくなってしまうことっていうことがあるように思う。
いくらサッカーをする事が好きでも、20歳を過ぎて社会に出るという時に、プロとして生計を保つものとしてのそれと、
好きだけれども、プロ選手ではない仕事につく事になった時には、趣味で続けていく事ができるのかもしれないけれども、
いつまでも趣味で続けていく事が一途には続けられないだろうし、例えば結婚なんてあると、好きが変わってしまう事も当然なのではないかなぁと思う。
いつか、時間というもので、好きを好きでいられなくなってしまう事が、状況や環境で変わってしまう。
人として生きていく事の中に、好きという気持ちが、どこまで必要なのか、必要でないのか、人によって違いはあると思う。
私は、自分のことを好きではない。
でも、生きていく事と自分を嫌いということは、直接は関係ないと思う。
人とは、ちょっと違う考え方なのかもしれない。
ただ、人生の選択肢の中で、良い方悪い方、いずれかを選択する事と、できるできないで選択する場合と、
好き嫌いで選ぶ事があるのではないかなぁ、と思う。
その瞬間瞬間で、人の選ぶ事なんて、十分考えた事であったり、本当にその場で決めた事だったり、決めた事ではなくて、どうしても一方を選ばなければならない時、
それは、自然なことなのかもしれないけれども、どうにも、自分の気持ちが、本のちょっとであっても関わっているとは思う。
人の気持ちの中には、いろいろなものがあると思う中のひとつなのかもしれないのだけど、好きという気持ちは、自分の中で作られて自分の中で生き続ける。
それが、保てない状況は、幸せ事なのかもしれない。
逆に好きを突き詰めていった時、周りに影響を及ぼしたり、日常を壊してしまったり、生きていく事にも影響が出てきてしまうような気がする。

好きとの葛藤は、人の気持ちの中でどのくらい優先されるものなのだろう。
自分についていえば、好きということを何度も捨ててきてしまったのかもしれないし、好きがうまくいったことがなかったりして
好きを上手に扱えない自分が、私は嫌いになったのかもしれない。
この、好きについて、考えたのは、「秒速5センチメートル」というアニメを見た後に考えたことだった。
本当は、アニメの感想のコンテンツに入れるべきだったのかもしれないなぁと、書き始めてから思ったけれども、
どこか違うような気がして、その他のところに入れる事にした。

2007年4月2日(月)
カウンターは、以前のままになっているのね

HPのカウンターはやっぱり設置した。
とはいえ、あまり役に立つような事ではない。
しかも、通算してカウントしているので、やっぱり増えたかどうかぐらいしか。
無いより見栄えするだけかもしれない。

2007年3月29日(木)
カウンターを付けようか付けまいか

私の入っているインターネットプロバイダでは、CGIを自分でおくことは出来ない。
よってカウンター程度であれば、用意してくれている。確か掲示板もあったけど置くつもりはないから。
と思っているのだけれど、今回カウンターを付けるのをやめようかなぁ、って思っている。
すなわち、このblog全盛時代に、書き込みの出来ないHPを運営している自分にとって
更新のしやすさや、言いたいことがかければいい、という方針である以上、
何人見たか?という情報をフィードバックしておく意味がないのだ。
いれなくても、別にこまらないから、外しちゃおう。

もうひとつ、過去のHPを残しておくかどうかなのだ。
かなりの量があるので、写真やらイラストやらも更新していないし、
それ自体は、コンテンツから削除しているのだけど、
日記に画像もつけられるのだから、古い写真やCGを残しておく意味は、古い記録でしかない。
とはいえ、ファイル名がかぶらないようにリニューアルしているのも、その判断がつかないからなのではあるが。

いつでもつけられるのだから、後でつけたくなったら、考えればいいや。


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