シュブ・ニグラスの住まう処

by詠月(SELENADE)






自己紹介



 「どもども詠月です」

 「こんにちは、始めまして。今回助手を務めさせていただきます、名前は……ムグッ!(口を手で塞がれた)」

 「というわけでアシスタントのクリス君だ、もちろん詠月のオリキャラ!」

 「何すんじゃい!! それに、あたしはクリスじゃなくて……」

 「待てぃ! いまからネタばらししてどうする!!」

 「へ? それ、どゆこと?」

 「名前一つでも、物語を解く鍵となる!
  この『アフロディーテ解剖学』自身がそれを如実に語っているではないかぁ!」

 「でも、あたしはあ」

 「いいのかなぁ〜 君の主演SSを書くも書かないも僕の考えひとつなんだよ〜」

 「あうぅ」(くぅ〜、TRPGの主演にさせてやるって言って、9年も待たせて……その上この仕打ちだなんてぇ……)





前節


 「あのさ、なんか前回と雰囲気が違うような」

 「前回のアレ(『Who knows the fate of the Fate?』)は思い入れと推測だけで書いた文だけど

  こんどはガチガチだあい!」

 「で、今回は誰?」

 「いあ!! しゅぶ・にぐらす!!」

 「また、クトゥルフ神話ぁ」

 「そうだけど、アプローチが違うぞ、シュブ・ニグラスの住処だ」

 「シュブ・ニグラス(Shub-Niggurath)……
  千匹の仔を孕めし森の黒山羊、たしか所在が不明の旧支配者じゃ……?」

 「まあそうだな、でも大体想像つくよ」

 「言うわね………説得力あるんでしょうね、クトゥルフ神話マニアを納得させられるような」

 「いや、怒り狂うかも………」





本題


 「結論からいくぞ!」

 「何処よ」

 「おそらく、ウルだ、メソポタミア、いまのイラクにある」

 「へ?」


 「今度は考古学ネタだぜい!」


 「1926〜1932、イギリスのレナード・ウーリーが発掘したウル王墓(The Royal Tombs of Ur)
  それはシュメール初期王朝V期(Early Dynastic-III)のもの………
  多くの殉死者と共に眠る墓の主それは王妃シュブ・アド(Shub-ad)」

 「なんで名前が分かるのよ」

 「円筒印章があったんだよ、そこに書かれていた名前がシュブ・アドなんだ」
  (後にこれは読み間違いで現在彼女は女王プアビ(Puabi)となってる
   ……おっかしいなあN○Kの放送ではシュブ・アドだったのに)

 「じゃあ、ニグラスの意味は?」

 「ニグラス(Niggurath)か…………
  シュメールの女神にニンフルサグ(Ninhursag)ってのがいる、
  彼女は山の女神で完全な大地母神さ。(子宮が彼女のシンボル)
  こいつの文字並べかえると《Nigurash (余りN)》ニグラシュって読めるねえ」
  (それ以外にもウルの月女神ニンガル(Ningal)の可能性もある?)

 「だから……『千匹の仔を孕めし』?」

 「気になる物がもう一つある。
  16ある王墓中最大の殉死者(74人)が発見された『大死坑』(Great Death Pit)
  ……その中でラピスラズリと金で飾られた一対の
  『黄金の木に前脚を掛けて後脚で立ち上がっている黒山羊』の像が発見された」

 「こいつがその写真、一つが大英博物館所有、
  もう一方がペンシルべニア大学博物館所有、こっちの方がちょっと小さいね」

 「なんで一対なのかな?」

 「木を中心に向き合う二匹の山羊(動物)のモチーフは古代のオリエントではよくある、それの立体版だな。
  で、《木 → 森》とすれば『森の黒山羊』とできる。
  さらにこの木は聖書の影響で『生命の木』なんて呼ばれてる」(現代人が聖書から勝手に解釈したんだよ!)

 「王妃の名、大量の殉死者(生け贄)、大地母神、黒山羊、生命の木 それだから………」

 「まだまだぁ!、時期も考慮しなくちゃ。
  シュブ・アド(プアビ)の【800号坑墓】(PG800)の発掘は1927〜28
  また黒山羊像が発見されたのは【1237号坑墓】(PG1237)発掘は1928〜29
  一方、シュブ・ニグラスの名が始めて出たのは1929年4月(執筆は1928夏)の『The Dunwich Horror』だ、
  まさにタイムリーなネタ(笑)

  この話では、シュブ・ニグラスの名が出てくるだけで、『千匹の仔を孕めし森の黒山羊』の表現はまだ無いからね
  『The Whisper in Darkness』(1930年2月〜9月執筆)の中で始めて『森の黒山羊』と言われるんだ、
  だから黒山羊像の事は後づけってことで説明できるかな。
  まあ、この辺は『ギリシャ神話のスケベな山羊神達』や『ロキの祭り』その流れを汲む『サバトの雄山羊』
  なんかの影響もあるだろうけどさ。」

 「まだわかんないわよ、シュブ・アドのお墓の発掘の方が後かもしれないわ」

 「おおう、そうきたかい、でもね、ウーリーは12年間、毎冬期に限って発掘したんだ。
  少なくとも1928年夏にはシュブ・アドの墓の発掘は終わっていた。
  『The Dunwich Horror』の掲載(1929年4月)までには間違いなく黒山羊像も発見されてたしね。」

 「(ちっ)………じゃ、ニンフルサグの方は?」

 「そっちの方が早い、
  ウルから北西に6キロのテル・アル・ウバイドでニンフルサグの神殿が見つかったのは1923〜24の発掘でのこと

 そういえば『The Dunwich Horror』内で大量の牛が生け贄にされてたけど、
  ニンフルサグに奉げる生け贄も仔牛なんだよね
 あと、際限無い近親同士の結婚もニンフルサグと水神エンキの神話を彷彿させる」





まとめ


   1)ウル王墓 ………………『 Shub-ad &     黒山羊像 (≒森の黒山羊)    』
+) 2)テル・アル・ウバイド……『 Ninhursag = 豊饒の大地母神(≒千匹の仔を孕めし)』
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
                     『 Shub-Niggurath (千匹の仔を孕めし森の黒山羊)  』




 「法則性でもあるのかね?」

 「何の?」

 「名前づけ、クトゥルフ神話の………
  このShub-Niggurathも 前回のAtlach-Nachaも《名前の一部 + 名前のアナグラム》型だからさ」





後書き


 「『アトラク・ナクア』のときとノリが全然違うじゃない!」

 「今年の初めに書いたものだし………BGMのイメージにつられて、ついあんなロマンチックに………
  どちらかというとゲームのアトラクの為の文章だ………あれは。
  そうじゃなかったら、あんな恥ずかしい文章なんか書かんよ、
  なんたってアトラクが出てくる原作『The Seven Geases』(1934)では、
  アトラク・ナクアはただの市役所の職員だし……(笑)」

 「何それ?」

 「い〜のちぃ短し、恋いせよ乙女〜♪」

 「突然歌い始めないでよ!ますます分けわかんない!!」

 「分かる人だけ笑っておくれ」

 「はあ〜〜 どうしても、おふざけで終わらせたいのね」

 「うん! だってこの文章は、あくまで『Who knows the fate of the Fate?』の主張の強化の為だけのものだし」

 「呆れた………執筆はこっちの方が10倍ぐらい時間かかってるのに…………」

 「殆ど資料集めにかかった時間さ、全く面倒な作業だった。
  もともと僕は外的事実を積み重ねて証明するのはあまり好きじゃないからね。
  むしろ相手がどういう意図で、どういう思いでそれを考えたのか、
  それを徹底的に考え、解析し、意味付けすることに興味がある、
  またその方が物事の本質に限りなく近づけると思ってる」

 「詠月がやってることって、みんなそうだね。SSなんかもさ………」

 「そ。SS作りにも、キャラの行動に必然性を如何に持たせるかに腐心してる。
  訳の分からん動きするキャラもいいが、それが話の核までおよんで、話の決定権を握られるのは、ゴメンだ」

 「それって単にギャグ物が書けない言い訳?」

 「ば〜れ〜た〜か〜」




1999/06/25UP



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