悲しい笑顔    2002-10-1 J.okada


私は、短大を卒業して3年、なんとか入った会社で無難に仕事をこなし、
なんの苦労もなく時間の流れに沿ってなんとなく生活している。
たまに友達と飲みに行ったり、旅行に行ったりで世間では、もっとも多いパターンかもしれない。
ただ、この年まで本気で人を好きになった事がないのは、おそらく少数派だ。

友達に好みを聞かれると、
「彼氏にするなら、25歳くらいで長身で鼻筋の通った顔立ちで、一流企業に勤めていて、スポーツマン、あとお金持ちなら、なおいい」って言うのが口癖になっていた。
もちろん、本気でそう思っているわけじゃない。ハードルを上げておけば、紹介されたり誘われたりしないと思ったから。
昔から男の人が苦手で、それを人に知られるのも嫌だった。

友達からは 「あんたそんなんじゃあ一生彼氏は出来ないね」ってよく言われる。
でも彼氏がいなくても寂しいと思ったこともないし、何より一人が好きなのだ。
他人から見れば刺激もなく味気なく見えるかもしれない生活だけど、とても居心地が良かった。


春の香りが漂うある日の夕暮れ。
普段より早く退社した私は、気まぐれに一つ前の駅で降りて砂浜を散歩して帰る事にした。

子供のころ、お父さんによく連れられて来た砂浜。何年ぶりだろう。
当たりを見晴らしていると、砂浜で一人、夕陽を見ている男の人を見かけた。
じっと動かないで遠くを見ているようだ。後ろ姿しか見えなくて年もわからない。
気になってしばらく見ていたが、特に何をするでもなく、ぼーっとしてるような感じだった。
 「明日もいるかなあ?また来てみるかな。なんかおもしろそうだし」

次の日の水曜日、いないだろうと思ったが、彼は昨日と同じ場所に座っていた。
「なにしてる人なんだろう?」
怖いもの見たさって感じで見ていたが、やはり何もしないでただ海を眺めているだけだ。
そして日が沈むと帰って行った。

木曜日、小雨が降っていたが、いつもと同じ場所に座っていた
遠目で見ただけだったが、悪い人ではない気がした。
「どんな顔なんだろう?いくつなんだろう?」
こんな事を想像しているのが、なぜか楽しかった。

金曜日は週末で忙しかったが、早々に仕事を切り上げて、またその砂浜に行くとやはり彼は座っていた。
この4日間で単なる好奇心だけではない気になる存在になっていた。
なんでいつもあそこに座っているんだろうといろいろ想像してみる。
 単に暇な人なのか。
 出勤前の時間つぶしなのか。
 失業中で家に帰れないのか。
 失恋して投身自殺でもするのか。
 海が好きでただ眺めているのか?
どれもしっくりこない。

今まで感じたことがないわくわくするような気分になっていた。
声をかけたいけど、なんて言ったらいいんだろう?
いきなり、「何でいつも海見てるんですか?」なんて聞けるわけもない。変だし。
結局この日もきっかけがなく、話をする事ができなかった。
また会えたら、距離を縮めてみるかな。

日に日に好奇心が大きくなっていくのがわかる。
まるで中学生の頃の少女に戻ったような気分だ。
ふと中学2年生の頃の初恋だったサッカー部でかっこいい男の子の事を思い出した。

休みの土曜日、友達との映画の約束もキャンセルしてまた砂浜に来てしまった。
夕暮れまでは少し時間があったためか、彼はまだ来てなかった。
とりあえず彼がいた場所に同じように座って沖の方を眺めてみる事にした。
昔に比べると汚くなった海だけど、すごく大きくてきれいに見えて、気持ちがだんだん軽くなっていく。
子供の頃のように純粋な感情がよみがえって来るようだ。
すごく懐かしい感覚。
彼のことを忘れてしばらく海を眺めていた。

夕陽が水平線に近づいた頃、彼が現れて一瞬目が合ったが、何も言わずにちょっと離れた場所でいつものように座って夕陽を見ていた。
いきなり現れてドキドキして心拍数が急上昇したが、スローモーションになって彼の顔がはっきり見えた。

彼は30過ぎの根暗なおじさんって感じで、季節はずれのニット帽を深々とかぶっていて服装も時代遅れでダサい。
私の好みとはかけ離れていたが、純朴な風貌で少年のような瞳をしていて癒される様な気がした。
そのせいもあって自然に彼に声をかけることができた。
 「この海、案外きれいですよね

すると、彼はこちらを向いてキョロキョロ見回してニット帽を直してうつ向いた。
 「あっ、突然変なこと言ってすいません
そう言うと、彼はこちらを向いて笑顔でお辞儀した。
ただその笑顔は、なにか物悲しそうで今にも泣きそうな顔だった。
そのあと言葉を交わすこともなく、夕陽が沈むのを二人で眺めた。
夕陽が沈むと彼は静かに立ち上がり、さっきとは少し違う笑顔で会釈して去ってしまった。

ふーん。よく見ると意外とかわいい顔なんだ。

私は少し話がしたかったが、声をかけた事だけで満足してとても引き留める事などできず、後ろ姿をじっと見ていた。
すると、彼は振り返って私と目が合うとニコッと笑って軽く手を振った。
その瞬間、治まりかけていた心拍数が再上昇して慌てたが私も手を振って会釈した。

家に帰った後、彼の顔が頭から離れない。
一瞬しか見てないのに鮮明に思い出すことが出来た。
気が付くとため息を吐いている自分に「どうした?しっかりしろ!」と言い聞かせたが、その後も何度かため息を吐いた。
とにかく明日また会ってみよう。
もう一度会えたら挨拶を、話を、してみよう。

日曜日も砂浜に行って、暗くなるまで待ったが、彼は現れない。
 日曜日はお休みなんだ。

しかし、次の日もその次の日も彼は現れなかった。

結局、あの日以来、見かけなくなってしまった。
 どうしたんだろう?何があったんだろう?
 もう一度、会いたい。もっと彼のことを知りたい。

私は彼の事を全く知らない。声すら聞いたことがない。
なのに彼は、私の中で大きな存在になっていた。

その後も毎日砂浜に行って彼を待ち続けた。
そして1ヶ月くらいして意外な形で彼の事を知ることになった。

以前のようなときめきも薄れて、あきらめかけていたある日、女の人が声をかけてきた。

「失礼ですが、あなたは私の兄を知っている方ですか?」
私は体が勝手に反応してすぐに二度うなずいていた。

「一ヶ月くらい前にに兄に会われた方ですか?」

  「は、はい、ずっと待ってました」
とっさに答えたが、なんで妹が?わけがわからなってプチパニックになった。

「やっぱり、そうですか。 まさか、会えるとは思いませんでした。私の兄もここが好きでいつも来ていました。
一ヶ月くらい前に笑顔のかわいい女の人に出会ったと言っていました。あんなに嬉しそうな顔を見たのは、病気をしてから初めてでした」

彼女は肩を揺らして泣いているようだった。

私は、いいようもない胸騒ぎがして思わず叫んでしまう。
  「えっ?病気ってどういうことですか?」

「ごめんなさい。実は、兄は末期ガンで手術も治療もできない状態でした。あなたに会った次の日、倒れて再入院したんです。
最後まで頑張ったんですが、先日亡くなりました。今日ここに来たのは、兄に頼まれていた手紙を渡すためなんです」

そして、そっと手紙を差し出した。



“親愛なる人へ


名前もわからないのに、この手紙を読んでもらえるはかわかりませんが、あなたを想いながらこの手紙を書きました。

あなたがこの手紙を読む頃には僕はもうこの世にいないでしょう。
僕は自分が末期ガンだとわかってから、毎日怖くてたまらなかった。
それで気を落ち着かせるために、あの海岸から夕陽を眺めることにしました。
でも夕陽が沈むのを見ていると、自分もこうして消えてしまうのかと思うと、かえって恐怖が大きくなりました。
それなのに次の日になるとまた海岸に来てしまうのです。
どうしてまたここに来てしまうんだろうって不思議に思っていました。
そしてあの日、理由がわかりました。
あなたに会うためだったんですね。
あなたの笑顔を見た瞬間、死の恐怖が嘘のように消え去りました。
きっと神様が、僕に同情してくれてあなたに会わせてくれたのだと思います。
こうして手紙を書いている今も、あなたの笑顔がまぶたに写っています。

もし生まれ変われたら、またあなたに会いたい。
今度はもう少し長い間、あなたの笑顔が見ていたい。
それに怒っている顔や泣いている顔も見てみたい。

ありがとう。“



私は何も言えず、ただ溢れる涙をぬぐっていた。
いろんな感情が一気に押し寄せてきて涙が止まらない。

数日間、現実を受け入れられずにぼんやりしていたが、妹さんに連絡して墓参りに行くことにした。
墓前で静かに手を合せて、彼に小言を言いいながら泣いた。、
せっかく好きになりそうな人に出会えたのに、黙って遠くに行ってしまうなんてひどいよ。
話したいこと、たくさんあったのに。あなたの好きな食べ物とか、好きな本とか、友達のこととか、家族のこととか、他にもたくさん・・・

砂浜で出会った時の事を思い出して、彼の悲しい笑顔が浮かんで胸を締め付けた。
あの時、彼は深い海の底でもがき苦しんでいて、水圧に押しつぶされていくような気分だっただろう。
そう思うと、あまりにもかわいそうで気が変になりそうになった。

墓参りの後、彼の実家で妹さんといろいろ話をした。
 彼のことを妹さんは名前で呼び捨てにしていたこと
 おかあさんはお兄ちゃんと呼んでいたこと
 大学の職員だったこと
 家では一度も怒ったことがなくて、口数が少なかったこと
 誰にでも優しかったこと
 まったくモテなかったこと
 方向音痴だったこと
 習字が得意だったこと
 自分が嫌いだったらしいこと

想像していた人となりと概ね合っていて、自分の見る目も捨てなものじゃないかな。
妹さんから話を聞いている時、彼の存在を感じて楽しかったが、現実に戻ると虚無感と喪失感に襲われた。

私は引きつけられるように思い出の場所に足が向いていた。
彼がいつも座っていた場所に立ち、夕陽に向かって力一杯何度も叫ぶ。「わぁーーーっ!
叫ぶたびに涙が溢れてきたが、不思議と心が穏やかになっていって、彼の楽しそうな笑顔が浮かんできた。 まるで目の前にいるようにはっきりと。
「私たちが出会ったのは偶然だったからかもしれない。でも、私もあなたに会わなければならない理由があった。たぶんそう」

彼のような人にまた出会えるだろうか?
彼のような人に出会えたとして私は気付くことができるだろうか?
この出会いを胸に秘めて、まっすぐ正直に歩いて行こう。

今日の夕陽は、あの日二人で一緒に見た時より、 ゆっくり色鮮やかに見えた。



 


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