老人と少年の小さな魚    20/Dec./2002 J.okada

老人は、小さな町で金物屋をひっそりと営んでいる。

1年前、35年あまり連れ添ってきた妻を亡くして気力もなく、店も閉まっている事が多くなっていた。
子供も身よりもない老人は、独りぼっちになってからは、過去の日々をさまよっていて、抜け殻のように見えた。

老人は、近くの川に行ってぼんやり対岸の山を眺めるのが日課となっていた。
特に愛妻家というわけではなかったが、ばあさんの事ばかり考えている。
ふらっと旅に行ったり、勝手に馬を買ったり、賭け事をしたりと好き勝手して
苦労ばかりかけたばあさんに何もしてやれなかったが、
ばあさんは幸せだったのだろうか?と自問自答する日々を送っていた。
信仰心は薄くはなかったが、独りになってから教会へも行かなくなり、閉じこもるようになってしまった。

ある朝、街はずれにある教会の前の孤児院に警官のような男につれられて入る少年を見かける。
「あの少年もワシと同じ独りぼっちなんじゃろうか?」
老人は、孤児院に立ち寄り、少しばかりの寄付をした後、シスターに少年の事を聞いた。

シスターの話によると、名前はロコ・スバーニアで8歳で学校も行ったことがないらしい。
ここに来る前は西の国境辺りの村に住んでいて
昨年の民族紛争で両親を亡くして、お祖母さんと暮らしていたのだが
そのお祖母さんも亡くなって身よりがないためこの孤児院に入る事になったのだという。

老人は、悲しさ、怒り、虚しさが入り交じった感情が沸いてきた。
好き勝手して気ままに生きてきた自分と、深く傷ついている8歳の子との格差に衝撃を受けてやりきれなかった。

老人は、ロコのそばに行って気さくに声をかけた。
「よう、坊主、調子はどうだい?」
なにか好きなものはあるか?」
「欲しいものは、ないか?」

いろいろ話しかけたが、うつむいたままで全く無表情で返事はなかった。
まだ、傷ついたままなのだろう。無理もない。
「また来るからな」
と一言告げて帰る事にした。

その後、何度か孤児院に行ってロコに話しかけるがやはり反応がない。
シスターとも話はしないらしく、いつも一人でいるらしい。
なんとかロコと話がしたいと思ったが、どうしたらいいか見当もつかない 。
「もっと会って慣れるしかないか」と独り言を言ってため息をついた。

家に帰って、ロコと話す方法を考えたがなかなかいい案が浮かばない。
「明日にでもロコの住んでいた村に言ってみるか」

翌日、シスターにロコの村を教えてもらったが、170キロ西の小さな村とのことだった。
4時間汽車に乗ってその村に到着した。
駅を降りるのは老人と老夫婦だけで、あたりを見晴らしても家もまばらで山には木もあまりなく、
道も舗装されてない貧寒な小さな村だった。
駅前の店でロコのことを聞き回ると街角の雑貨店のおやじが知っているとのことだった。
雑貨店へ行くまでの建物は、半分はがれきになっていて紛争のひどさを物語っている。

雑貨店には、客もなく中年の男が店番をしている。
昨年の紛争の事をきくと、あまりに悲惨で思い出したくないと男は黙り込んだ。
ロコのことを尋ねると、じろっと老人を見て
「ロコのことを知っているのか?」と詰め寄ってきた。

事情を話すと、男は静かに話を始めた。
「ロコの父親とは、仲良くしてたからよく知っとるよ。気のいいやつだったよ。
店にはよくロコを連れて来てて、必ずあめ玉を買ってもらってたな」
「ロコはどんな子供だったね?」
「よく笑う賑やかな子供だったよ」
「親戚とか知らんかのう?」
「あの一家は移民でこの村には親戚はいなかったよ。ところでロコは施設で元気にやっとるのかね?」

「孤児院じゃあ、いつも一人で元気はないのう。 何度か話しかけたんじゃが、なにも話をしてくれん。 どうしたもんじゃろう?」

雑貨店のおやじは、ただ首を振ってうつむいた。

「ロコが好きじゃったことは、なにかないかね?」

「そういやあ、たまに父親と釣りに行ってたかなあ。そのくらいしかわからんね」

「釣りか。しかし、あの子が乗ってくれるかのう?」

「とにかく、ロコの事よろしく頼むよ」

男としばらく村の事を話したあと、礼を言って店を出た。

紛争のことはほとんど話してくれなかったが、一方的に攻め込まれていたということだった。
紛争でたくさんの人が亡くなったことは新聞にも載っていたのに、ほとんど知らなかった自分が恥ずかしかった


この村に来て、改めて何とかしてやらなければと強く思うようになっていた。
まずは気長に待ってロコが心を開くのを待とう。

その後、毎日孤児院でロコに会って話しかけたり、服を持って行ったりしているうちに、
返事こそしないが、少しずつ表情が和らいでくるのがわかった。

数ヶ月経って、挨拶程度できるようになり、釣りに誘ってみた。
「ロコ、じいさんと明日釣りにでもいかんか?」

ロコは、「食べれるの?」とぽつりと聞いてきて、
老人は、うれしくてたまらず「ああ、うまいぞ」とおおげさに答えた。
「シスターには言っておくから、門の前で9時頃待ってておくれ」
そう言うとロコは、少年らしい笑顔で小さくうなずいた。
老人は、初めて話したこととロコの笑顔を見れたことのうれしさで足取りが軽かった。

次の朝、早めに行ったが、ロコはちょこんと門の前に座っていた。
老人は子供もいなかったが、我が子に話すようにロコを呼んだ。
「さあ、行こうか」
ロコは、子供らしい仕草で小走りに老人の方へ近づいて老人の手を取った。

老人は、ロコに優しく穏やかな口調で話をした。
「この街は、平凡で何もないが暮らしやすいんじゃ。山も川も綺麗じゃしのう」
「それから、近所にジョセおばさんってのがいてな。ワシのうちの馬鹿犬といつもけんかしとるんじゃ」
「うちの馬鹿犬は、おばさんの事が好きみたいなんじゃが、おばさんはいつも怒鳴りつけとるんじゃ。
まあおばさんの庭で穴を掘ったり、洗濯物汚したりするから怒られて当然なんじゃが、
おばさんも大人げなくけんかしとる。同じ程度の頭なんじゃろうな」


老人は少しでもこの村のことを好きになってもらいたくて、
山のこと、川のこと、森のこと、村人のことなど面白おかしくしゃべり続けた。

ロコは、老人の話を楽しそうに聞いて、
「じいちゃんの犬、なんて名前?」と尋ねた。

「クレイトンっていう名じゃ。名前は、賢こそうなんじゃがワシの言うこともあまり聞かん犬でな。
今度、孤児院に連れて行って会わしてやるよ」


ロコとだいぶうち解けて老人はほっとしたが、1日釣りをして結局釣れた魚は
手のひらに入るくらいの小さな魚1匹だけでしかもロコは釣ることが出来なかった。

「すまんのう、釣れんで」とばつが悪そうに謝ったが、
ロコは、「楽しかったよ。また行こう」とにこりと笑って答えた。

ロコの笑顔を見て老人は、決心した。
帰り道、ロコに手を引かれて歩く中、老人は静かに話しかけた。
「今日からお前は、ワシの孫じゃ。ワシと一緒に暮らしてくれんかのう」

しばらくしてロコは、涙を浮かべて答えた。
じいちゃん、早く帰ってこの魚一緒に食べようよ

老人とロコは、穏やかな夕日を背に長い影を踏みながら帰路についた。


 


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