魔法の国の少女 マーサ


 22年の年月が静かに過ぎ去っていった。
  メリダはコットンベールで母親と穏やかな日々を過ごし、結婚もしないでコットンベールとサラシティの店を行き来する日々を送っていた。 
 何度か結婚の話があったが、まとまらず結局独り身のままだった。そのせいか言いようもない虚しさがメリダを重く覆っていた。ありふれた暖かい家庭を夢見ていたのかもしれない。
  虚しさに耐えながら、仕事に打ち込んで頑張ってきたメリダだが、ある日、大きな悲しみに襲われる。歩くのにも不自由になっていた年老いた母親が、突然倒れて亡くなってしまったのだ。
  母親が亡くなった悲しみは深く甚大だったが、メリダは死を冷静に受け入れる事ができた。母親との思い出をたくさん作ることができたし、心残りはない。ただ、ひとりぼっちの46才の中年のおばさんの自分がとても惨めに思えた。
  母親が亡くなって、コットンベールで暮らす理由は無くなったが、サラシティに戻る気も起きなかった。母親のぬくもりが残っているコットンベールの家を捨てることが出来なかったのだ。

  その後、9年間コットンベールに一人で暮らしていたが、メリダも年をとって体も昔のように動かなくなり、使用人を雇う事にした。
  サラシティの店の前に張り紙はしたが、募集している魔物のほとんどは字が読めないため、朝と夕方に店の前に立って大声を出して募集した。
「使用人の仕事がしたい者は、明日の昼にこの店に来ておくれ。やる気がある者は雇うよ」
  翌日、何人か魔物が面接にやってくる。
  一人目は、うさぎの顔をした若い女の子でまじめそうな魔物だった。
「面接をするから、そこに座って。まず、自己紹介をしてちょうだい」
「ミリーと言います。年は17才です。私は2年くらい前に、この町に来て働いていましたが、勤めていたお店を少し前に辞めて仕事を探していました。まじめに働きますのでよろしくお願いします」
「よければ教えてほしいんだけど、なんでお店を辞めたんだい?」
「私、田舎者の魔物だからいつもいじめられてばかりで、ここの人が怖くなって辞めてしまいました」ミリーは思い出したのか、大きな目から涙があふれ出て震えている。
「町は怖いところだって知らなかったのかい。なんで町なんかに出て来たんだい?」
「私の田舎はすごく貧しい村で、食べていけなくなって町に出て来たんです」
「あなたが町に出て、親御さんも寂しい思いをしたでしょうねえ」
「はい。優しい両親とかわいい妹達がいましたから、町に行くのは辛かったです。でも、田舎には仕事もありませんし、町で働くしかなかったんです」
「仕事場は町じゃなくて、あたしの家でコットンベールと言うへんぴな田舎なんだけど、それでもいいかい?」
「仕事ができるのなら町でなくても構いません。私は田舎者ですから、どんな田舎でも大丈夫です」
「仕事は料理と掃除・洗濯。料理は、できる?」
「はい、4番街の料理店で働いていましたから、料理は得意です。お給金は安くても構いませんのでどうか雇って下さい」
「そう、じゃあ決まりだね。今日からあたしの家で料理と掃除・洗濯をしてくれるかい?」
「やります。何でもやります。メリダ様、雇ってくださってありがとうございます」ミリーは満面の笑みで何度もお礼を言った。
「じゃあ、奥で待ってておくれ。もう一人、来てるみたいだから」

 二人目は、カエルの顔をした小汚い男でだらしない感じがした。
「使用人を募集してるってことで来たんだけど、何をするんですか?」
「まず、名前を名乗りなさい」
「あ、そうでした。オイラ、ボランっていいます」男は頭をかきながら、へらへら笑っている。
「仕事はあたしの家の庭の掃除と畑仕事とかの力仕事だよ。できるかい?」
「庭の掃除くらい容易いことですよ。畑仕事は経験がないですけど、教えてもらえば出来ますよ。それにオイラ、大工仕事も得意だから家も直せますよ」
「大工仕事もできるのかい。そりゃあ、いいねえ。あたしの家は古いから、所々傷んできてるんだよ」
「それじゃあ、雇ってもらえるんですか?」
「今日から働いてもらいたいんだけどいいかい?」
「いいですけど、働いている工場を辞めるって言ってきますんで、ちょっと待っててもらえますか?休憩中に抜けてきたもんで」
「え?仕事してるのかい。なんで働いてる工場を辞めるんだい?」
「いやあ、工場の仕事は朝が早いし、飯はまずいし、親方は怖いし。他にも言いたいことはたくさんありますけど、そんなわけで他の仕事を探してたんです」
「あたしの家の仕事だって楽じゃないよ。ほんとにやる気あるんだろうね?」
「やる気はありますよ。心配しないでくださいよ」
「それならいいんだけど。じゃあ、1時間後にここに戻ってきてくれるかい」ボランについては、少し問題がありそうだと思ったが、つい約束してしまう。
  その後、数人が面接にきたが、もう2人を雇うと言ってしまったために断るしかなかった。
  ミリーはともかくボランはやめておいた方がよかったかねえ。まあ、しばらく雇ってみてだめなら、辞めてもらえばいいか。とぶつぶつ言いながら、メリダは即決してしまったことを少々後悔していた。

 20分ほど経ってボランが戻ってきた。
「メリダ様、お待たせしました。工場は今辞めてきました」
「えらく早かったねえ。工場の人になにか言われなかった?」
「いやあ、それが辞めるって言ったら、『あ、そう。他に用がないなら出て行ってくれ。』だそうです。何年も働いてきたのに辞める時は、3秒で終わりですからねえ。あっはは」
「おかしくないよ。あんた、馬鹿にされてるんだよ。悔しくないのかい?」
「メリダ様、オイラ達みたいな魔物なんていなくなっても誰も気にしないんですよ。オイラ、小さい頃からこの町に住んでますけど、ずっと馬鹿にされてきたんですよ。そんなの気にしてたら、ここでは生きていけませんよ」
「ならいいんだけど。あんたもいろいろ苦労してきたんだろうねえ」
「昔から当たり前だったから、苦労だなんて思ったことありませんよ。ただ、いつもまずい飯ばかり食ってるのは、辛いですけどね」
「そうかい。家では食事は、まともだと思うから安心していいよ。そこにいるミリーがおいしい料理を作ってくれるそうだからね」
「はじめまして。ミリーと言います。私もメリダ様に雇って頂くことになりました。よろしくお願いします」
「うまい飯作ってくれよ。それだけが楽しみだからな。へへへ」ボランはミリーと握手しようと手を出したが、ミリーは無骨なボランを警戒して後ずさりする。
  二人は気まずい雰囲気になったが、ボランは気にすることもなくへらへら笑っていた。
「じゃあ、引っ越しの準備をするかねえ。あんた達の家に寄ってからコットンベールに行きます」
  まず、近くに住んでいるボランの家に寄ることになったが、工場の宿舎で汚くて薄気味が悪い建物だった。
「オイラ、荷物はカバン一つだからすぐ戻ってきます」そう言うと宿舎に入っていって、数分で小さなカバンを持って出てきた。
「それだけかい?」
「はい。オイラの全財産です。といってもカバンの中身は、大工道具だけなんですけどね」
「着替えとかはないのかい?」
「そんなものありませんよ。服は高いですから、ほしくても買えないんですよ」
「じゃあ、後で服を見立ててあげるよ」
「本当ですか?服なんてもう何年も買ってないから緊張するなあ」
「ミリーもあたしの店で好きな服を選ぶといいよ」
「私もですか。メリダ様、うれしくて涙が出そうです」
「大袈裟だねえ。ほかにほしいものはない?」
「オイラ、帽子がほしいです。前からほしかったんです」
「いいよ。買ってあげるよ。ミリーは?」
「私は...、できたらでいいんですけど皮の靴がほしいです。一度、はいてみたかったんです」
「わかったよ。好きなのを買ってあげるよ」

 ミリーの家に着くと、ボランの宿舎と同様に古くて汚い家で、貧しい暮らしをしていたのが一目でわかった。この町が二人にとって、住みやすいところではないのは確かだ。
「メリダ様、私もたいした荷物はないんですけど、お世話になった人にあいさつしてきますので、しばらくの間待って頂けますか?」
「いいよ。ゆっくりしておいで」
  ミリーを待っている間、メリダはボランと世間話を始めた。
「ボランは、この町で生まれたのかい?」
「はい。オイラこの町から一歩も出たことがありません」
「ずっとひとり暮らしなのかい?」
「5才の時、オイラの親が死んでからひとりです」
「大変だっただろうね。5才の子供が一人で暮らすなんて」
「そうですねえ。まあ子供の頃は生きるのに必死でしたから、なんでもやりましたよ。朝から晩まで働いていました。それに比べたら工場の仕事は、楽なんですけどね。でもオイラ、正直言うとなんかすごく疲れたんですよ。この町での生活に」
「わかったよ。もう話さなくてもいいよ」メリダは自分が誰よりも不幸だと思っていたが、ボランの話を聞いてそんなことを思っていた自分が恥ずかしくなった。

 ミリーが戻ってきて、帽子と革靴の買い物をした後、3人はコットンベールに向かった。
  へんぴで何もない田舎のコットンベールに着くと、ボランとミリーの二人は森や山を眺めて立ちすくんでいる。
「二人ともあんまりへんぴな所でびっくりしたかい?」メリダは笑いながら、二人に声をかける。
  するとボランが首を振りながら、「メリダ様、ここはほんとに何もないところですねえ。オイラ、こんな田舎でうまくやっていけるか、自信がなくなってきましたよ」と嘆く。
「こら!住む前から文句言うんじゃないよ。ここは空気もおいしいし、食べ物も新鮮でとってもいい所なんだよ」
「私はここに来れてうれしいですよ。私のふるさともすごく田舎だったから、懐かしい感じがしますわ」
  ミリーは気に入ってくれたようだが、ボランはここでの生活に不安があるようだ。

 コットンベールに二人が来て、メリダが思っていた以上に快適な生活になっていた。
  ミリーは家庭的な味の料理をたくさん作ってくれて、ぶくぶくと太らないか心配するくらいおいしいものだった。家事もてきぱきとこなしてくれて、メリダは裁縫の仕事に専念することができた。週に2・3日、サラシティの店に通う生活も苦にならなかった。
  文句ばかり言っていたボランだが、得意の大工仕事で傷んでいた家を直して、見違えるほどきれいになった。
「二人ともここに来て1ヶ月、本当によく働いてくれて助かったよ。これからも一緒に暮らしてくれるね?」
「もちろんですわ。私、メリダ様に雇ってもらって、人並みの生活ができて感謝しています」
「ボランはどうだい?やっぱりこんな田舎は嫌かい?」
「いえ、田舎もいいもんですねえ。静かだし、腹一杯食べれるし、満足してますよ。ただ虫が多いのがちょっと嫌ですけどね」
「じゃあ、二人とも一緒に暮らしてくれるんだね」
「もちろんですよ。家のことはオイラ達に任せて、お仕事頑張って下さい」
  こうしてメリダ達は、魔法使いと使用人の関係ではなく、家族のように暮らすようになり、1年が過ぎた。