アルファの去勢/2005年3月

前のアルファは、去勢することなく、又その必要もないまま寿命を閉じました。二頭目を飼う飼い主は、大抵が以前飼っていた犬の状態を参考にし、その状態に悪いことがあったならば、今度こそは、轍を踏まないようにと二頭目に対処するだろうと思います。友人の最初の愛犬は、5歳の時前立腺癌で亡くなりました。二頭目を飼った友人は、即去勢の手術を行い、病気予防を施しました。雌犬にしても同様です。子宮脳種などで愛犬を亡くした経験を持つ人は、次に飼う犬にはもうそんな悲しい病気にならないように、きっと避妊の手術をされることでしょう。

アルファの場合は、以前の犬が、幸いそのような病気にかからずに済んだ為に、去勢についてはさほど深刻さはありませんでした。むしろ“犬といえども、いらぬ臓器は何もない”という去勢に否定的な意見に心を打たれていました。しかし、アルファは成犬になってから、雄犬との衝突、雌犬を追い求めるという行動が顕著に現れ始めました。実は、以前のアルファには、こうした行動はありませんでした。オシッコも足を上げることをしない気弱な犬でした。ブリーダーさんに言わせますと、ブリーディングの「種犬」にするには、前の犬は失格、今のアルファは適正犬なのだそうです。でも、我が家では、アルファを繁殖犬にするつもりはありません。静かに従順な家族の一員として居てくれればよいのです。

ここ一年の間に、アルファの雄犬としての本能は、益々助長し、それまで、全く声を発するということがなかったのに、テリトリーを守る為に、庭先から外を通る犬や人にも吠えるようになり、散歩中や躾教室でも、気に入らない牡と衝突を起こすようになりました。雌犬がいれば、当然後を追います。最初は躾や訓練で制御できると思っていましたが、こうした本能を超える躾は、私にはとても無理だと判断しました。

去勢によって、性格は変わらないことは十分に承知しています。又、この約三年近くの間に出来上がってしまったアルファの雄犬としての意識が、この去勢によってそう簡単には消滅しないことも分かるし、強い期待も抱いていません。ただ少しでも以上のような争いごとによる、他の人や犬への迷惑行為が減少すればとそればかりを願うのみです。去勢によるメリット、デメリットはもういい尽くされていますので割愛しますが、ここではアルファに限っての「去勢の現実」を綴っていきたいと思います。

【一日目】
お昼前に、アルファを病院へ連れて行きました。朝の食事は抜き。水を飲ませるのも最小限にとどめるよう病院からは指示が出ました。病院では、何も知らないアルファが、いつもおやつをもらえるので、嬉しそうにしっぽを振りながら、自ら診察台に飛び乗りました。浅はかなヤツめ…。

弛緩剤を注射したところで、追いすがるような目で私を追うアルファを残し、私はその場を去りました。アルファ頑張れ、と心で言いながらも、ほんの少しの後悔と涙が出るのは押さえようがありません。午後五時半、アルファはガス麻酔による睾丸摘出で無事に手術を終えたようです。私が迎えに行くと、アルファはまだ麻酔でぼんやりとしていたようですが、大喜びで、あの、エリザベスカラーをした格好で突進してきました。おー危ないやないの!このカラーは硬質プラスティックで、突進してこられると飼い主は怪我をしそうに危ない。もっといい柔らかで透明なカラーがあるから、買って帰ろう。
ガス麻酔は、安全かつ覚醒も早いのだそうですが、帰りの車の中では、アルファはやはりうつらうつらしていました。助手席で、カラーをした頭を私の膝に乗せて、安心しきった様子です。

家では、キッチンのテーブルの下でずっと寝ていました。飼い主のそばが一番いい、回復も早いので入院は奨励していません。薬は化膿止めが5日分。傷口をなめさせないよう要注意です。麻酔が切れるときっと痛いだろうに、一声も発しない。わんこはほんとに我慢強い。夜の食事は半分程度にと指示がありました。


二日目

朝、トイレに連れ出しました。いつも通り、足を上げて元気よくしようとしたようですが、多分傷口が痛かったのでしょう。足を下ろして、不本意なままじょろじょろと済ませました。きのうは食事の量が少なかった為、ウンチは固い石のようなのが二個。術後の食欲も大切だけど、排泄も大事なのはわんこも人間も変わりません。散歩の間のオシッコは三度。今まで何度も何度もマーキングしていましたが、回数は激変です。でも、匂いは相変わらずかぎ回っているし、そんなに早く去勢の効果が現れるとも思えません。夜は雨が降り、レインコートを着せて出ましたが傷口が雨で濡れはしないかと心配でした。日中は痛むのかずっと寝っぱなしです。
エリザベスカラーは、ペットショップでとても具合のいいのを見つけました。柔らかいビニール素材で青いカラーと違って、わんこ自身周辺が見えます。柔らかい為、人に当たっても怪我の心配もありません。カラーの周囲には、通気口となる穴も開いているので、蒸れも少ないと思われます。サイズは、Lサイズ(アルファの首回りは54センチ)。夜はこの状態で私と一緒に寝ます。アルファも遠慮なく寄り添ってくるのです。私は、当分この透明カラーを腕に抱いて寝るわけですね。はははっ(^_^;)…頑張れ、私!


三日目

アルファは大分元気になり、おもちゃで遊ぼうという気持ちまでになりました。朝晩の散歩では、オシッコの回数がそれぞれ3〜4回。きょうは、思い切り足をあげてしていました。朝、途中で出会ったわんこに相変わらず興奮状態。そうそうアルファの陰嚢は、ぽよんとしています。それはそうよねぇ、中身がないのだもの。

心配なのは、日中私が居ないこと。このまま、いい子で居てよと言い聞かせ、朝出勤しました。

四日目

ぎょっ(*_*)恐れていたことが起こりました。陰嚢が腫れて、アルファは、傷口を舐めていました。この陰嚢が腫れるのは、術後炎症が出て、よくあることなのだそうですが、舐めるのは許す訳にはいきません。このクリアなエリザベスカラーは、柔らかい分、どうも傷口にまでアルファの顔が届くようでした。メーカーさん、筒になる長さをあと、3センチ伸ばして下さい。

青いカラーを重ねて長さを伸ばし、アルファにはパンツをはかせました。ったく「玉取物語」はすんなり完結とはいきません。


五日目

化膿止めの薬が強かったのか、朝、アルファは吐き、排泄もひどい下痢を起こしていました。散歩に出ましたが、少し元気がありません。短い散歩だし、私も出勤を急ぎますが、かわいそうで、ちょっと休憩しました。陰嚢も腫れたままです。取りあえず、薬は飲むのを止め、きょうは一日絶食させることにしました。

出勤前、カラーをまた二重にかぶせ、パンツを履かせましたが、さすがにきょうは後ろ髪を引かれる思いで家を出ました。頑健なアルファの体力に望みをかけて、頑張れ、アルファ。


六日目

一日の絶食が効いたのか体調は元に戻ったようです。薬を止めたのも正解でした。今朝の散歩では、カラーを外してやりましたが、随分と晴れやかなアルファの様子でした。陰嚢の腫れも少しひいてきた気がします。わんこは正直なもので、身体に異常がなければ、舐めることはしないのですよねぇ。

散歩から帰って束の間、大好きなベンチでくつろぐアルファです。でも私が出かける時は、やっぱりカラーとパンツ姿。詰めの甘い飼い主なので、ここで油断は禁物です。


七日目

夜、寝る時はこのカラー一枚とパンツをはかせて寝させていましたが、夜中、アルファはパンツの上から傷口を舐めていたらしく、朝、パンツには、その刺激を受けて、傷口からうっすら血が出ていました。やっぱり私の爪の甘さです。あれ程、気を付けようと思ったのに、アルファがかわいそうで、寝るときくらいは…と思ったのが間違いでした。厳重に青いカラーを二重にしておくべきでした。きょうが抜糸でしたが明日の朝まで様子を見ることに。んもー、アルファっなめんなよ!!


八日目

アルファの陰嚢は、まだ少し腫れていましたし、傷口もきのうの朝は少し出血があって心配でしたが、予定より一日遅れで無事に抜糸にこぎつけました。先生は傷口を一目見るなり、なめたねぇ、と見抜かれました。去勢のあとの縫った傷口は、舐めると刺激を受け、陰嚢自体が真っ赤に炎症を起こすようです。絶対になめさせないこと。術後のケアは、この一語に尽きると痛感しました。化膿させなかったことがせめてもの救いです。

きょうは、主人が一緒に来てくれていましたので、診察台に乗ったアルファを上向きにし、しっかり押さえることが出来ました。アルファもこの状態では、身動きも微動だに出来ませんでしたので、先生も丁寧に治療して下さいました。糸が切られ、炎症押さえの軟膏を傷口に塗ってもらい、消炎剤の注射をしてもらって、終了です。

感心したのは、一晩明けると陰嚢の腫れはすっかりとひき、傷口もきれいに治っていたことです。短時間の間にこんなに劇的に改善されるのは、医学のお陰なのか、アルファの若さと頑健さに起因するのか、とにかく、やっと安心することができました。この後、陰嚢は、少しづつ小さくなっていき、経験者の方にお聞きすると、その部分に、赤いリボンを付けたくなるような毛束がぼっと出現するとか。楽しみに待っていよう!(^^)!

ところで、肝心のこの去勢の効果はいかに?また、随時記していくことに致しましょう。



アルファの去勢後の変化

去勢後1カ月が経ちました。アルファの変化で、一番顕著なのは、マウントです。去勢前は、毛布やクッションを抱え込んで、あるいは、娘の足にしがみついて腰を振っていましたが、去勢後は、かなり早い時点でしなくなりました。

マーキングも、去勢前は、散歩途上何度も何度も、足を高く上げて、いわゆるテリトリー・マーキングをしていましたが、去勢後は回数が半分ほどに減りました。アルファ自身は、足を上げ、マーキングをしたいようですが、おしっこが最初に沢山出てしまい、不本意ながら出来ないという状態になっているように思います。

又、一番困っていた、気に入った雌犬(あるいは雄犬)に対する執着心は、かなり軽減された気がします。ただ、アルファは、普段、他の犬と会う機会がほとんどないので、躾教室で会う雌犬に対する様子を見ていてのみの感想です。他の犬に対する反応も、以前ほど過敏でなくなったという印象を持ちましたが、しかし、まだ相性の合わない犬には反応し、吠えかかることがあります。これは、去勢に左右されないアルファの元々の性格と、幼犬の頃に、他の犬との触れあいがなかったこと(刷り込み)によるものと思われます。二ヶ月後は、どうなっているか、又経過をみたいと思います。

【番外編】
おもしろかったのは、フレンドリーなコーギー(女の子)が、アルファを気に入って、寄ってくるのですが、アルファは実にイヤそうな顔をして、逃げ回ったことです。今までだと、アルファが、ストカーになっていただろうに、これも去勢の影響でしょうか。これは、ちょうど、アルファの成犬前の様子に似ています。アルファは、他の犬が元々苦手です。ですから、他の犬が寄ってくると、避けました。それともこの子はアルファの好みではなかったのかしら。だとしたら、ふーんっアルファは、誰でもいいわけではなかったのね。見かけによらず、好みにはうるさいのかも知れない(^O^)

去勢前 去勢1カ月後
去勢2〜3カ月以降
マ ウ ン ト クッション等抱え込んでいた 全くしなくなった 全くしない
マ ー キ ン グ 10回以上足を上げてテリトリーマーキング 4〜5回に分けて、足を上げてトイレを済ます 最初の2〜3回で、トイレは終了。あとは、時折、足を上げるが、おしっこは出ません。                   
雌犬への執着 気に入ればストカー状態でした ほぼ無くなった 全くなし                      
他犬への反応 過敏に反応し、ガウガウ状態 少し、軽減したように思います 相性の合う、合わないが顕著になった気がします。去勢とは関係のない、アルファの性格・習性だということがよく分かりました。            
猫への反応 過敏に反応する 変化なし 変化なし         
毛     艶 良   好 変化なし 変化なし         
体    重 31s 変化なし 30s          
体    型 骨格良好 変化なし 変化なし     
アレルギーなど な し 変化なし 変化なし         
   食 欲 食べないものが沢山ありました。 何でも食べるようになっています。 貪欲になりました。


去勢後、2〜3カ月で、アルファの去勢の効果が確定しました。まず、上記の表にあるとおり、マウントと雌犬への反応は全くなくなりました。去勢をしても、マウントはしますよ、という話はよく聞きますが、アルファの場合はかなり早い時点でしなくなりました。マーキングは、足を上げたり上げなかったりで、トイレを済ませますが、おしっこが出るのは、最初の2〜3回だけです。あとは、アルファの今までの習慣として、足だけを上げていますがおしっこは出ません。期待をした、他の犬への「過敏な反応」は、結果として、効果はありませんでした。

相性の合う犬、これは、相手が去勢をしていなくても、アルファがどこかで、納得をすれば、一緒にいても「ガウガウ」はありませんが、いわゆる相性の合わない犬がそばに来ますと、躾教室の場で、先生から指導があっても、受け入れることが出来ません。これは、どうもアルファが、心的に相手を怖がっている場合が多く、相手の犬が去勢をしていなければ、まず要注意です。ですので、相手の犬が、アルファを一度「ぎゃふんっ」と言わせてくれれば解決しそうですが、現状はそう簡単には行きません。

アルファは、どこか「孤高」を持っているような一種頑固な犬です。過日、八ヶ岳犬の犬の牧場で有名な川俣昭彦さんと長時間お電話でお話をする機会があったのてずが、その川俣さんから、アルファは恐らく、自分は「犬」だと思っていない為、「他の犬」に対しては、異質なものだと警戒をするのだと、指摘を受けました。これは、生後早くに親、兄弟姉妹から離れたこと、パピーの時に、他の犬と交わることがなかった、いわゆる「刷り込み」が出来ていないために起こるもので、もう治しようのないもののようです。

去勢をすることによって期待をした、「雌犬への執着を取り除くこと」と「他の犬への過敏な反応を軽減すること」は、以上のような結果となって終わりました。幸い、家庭内での問題はありません。アルファは、このような犬だと、全てを受け入れることができたことが、思いも寄らぬ、最大の「去勢の効果」だったかも知れません。。
                                           −2005年6月25日−