氷菓子
10月11日のワールド・ビジネス・サテライトによりますと、住宅ローンの登録システムの隙を突いた詐欺がひところ横行していたそうです。
その「登録システムの隙」というのは、以下のようなものだということです。
すでに住宅ローンを受けている人は、当然その旨の情報がデータベースに登録されてます。よって、通常なら、それ以降利用しようとしても、あなたは既にこれだけの融資を受けているので、それ以上の融資を受けられませんよ(あるいは、後これだけしか融資できませんよ)、となるわけです。
ところが、このデータベースは個人名の登録を仮名で行っていたため、同一人物でも違う読みで登録する(例えば「小山雅人」さんなら、一度目は「コヤマ・マサト」、二度目は「オヤマ・マサヒト」で)ことで、まんまと別人、つまり以前には融資を受けたことの無い人として、繰り返し限度額いっぱいの融資を受けられてしまうのです。
さあ、こうして大金を手に入れれば、後はもう逃げるだけです。うひょー、イカスぅー!
どうでしょう。実にゴージャスな話ですね。
銀行の監査とやらを信用している人や、銀行に審査能力が有ると思っている方はそうそう居ないとは思いますが、しかしこれはちょっと、お粗末すぎますよね。

えっ?元々その程度だと思ってました?わたし、ナイーブすぎですか?



専門家の意見
高名なエコノミスト、リチャード・クー氏が、「Voice」(2000年11月号)でこんな事をおっしゃっています。

曰く「財政赤字は民間に国債を売ることでファイナンスされる」ものである。
例えば20円の国債を発行した結果、政府は税収の(例えば)100円よりも大きい120円の消費が可能となる。この場合、例えば100円の投資・消費が可能であった民間は、20円を国債の購入に充てたため、80円しか使えなくなる。しかし民間・公共の投資・消費のトータルは200円で不変である。
又、国債の返還期には、政府はこの時点で国債を有している人たちに返済することになるが、この局面においても、例えば政府は20円を返還に当てたため使えるお金が80円に、民間は20円償還してもらったので同120円となり、「トータルは200円でやはり不変である」。
さらに、赤字国債発行時においても償還時においても、相手は主には発行したときに買った世代であり、従って「世代内所得移転が起きているだけであって、世代間所得移転が起きているわけではない」ので、巷間に言われている財政赤字「罪悪論」のロジックは正されるべきである、と。

私は、ちょっと首を傾げてしまいました。が、しかしここまでは、氏が財政赤字「罪悪論」の主な論拠として、いわゆる「孫のクレジットカードまで使ってしまうようなもの」というロジックを想定しているので、まあ、故無しではないかもしれません。
続けて読んでみましょう。
但し、償還に際してその費用に充てるために増税や借り換えを行うとすると、「増税や借り換えによる金利上昇で民間の投資消費意欲が失われるのではないかという問題」が生じるものの、「国債償還のための増税は他の増税と違い、政府が自ら使うのではなく、償還原資として国債所有者に支払われる。角度を変えてみると、これは政府が一般から税金を吸い上げた資金を金融市場に供給していることと同じであ」り、よって金融市場が供給過剰になり金利が下がり、民間の設備投資が促進さる。
結果「増税分だけ見れば景気にはマイナスだが、その金利引下げ分も加味して考えれば、必ずしも全体がマイナスになるとは限らない」ばかりか、「赤字財政によって経済成長することも有る」ということです。

なるほど、「必ずしも全体がマイナスになるとは限らない」でしょうし、「経済成長することも有る」のは確かでしょう。
しかし、です。
まず、氏がこの文章中でも書いているように、「世代内移転でも出す側と受ける側の消費性向が違えば、その時点での経済活動や金利にも影響が出てくる」わけです。そしてこういうものは、概して「出す側と受ける側の消費性向が違」うものなのです。これも氏が文中で書いていることですね。
また、「政府が一般から税金を吸い上げた資金を金融市場に供給し」たところで、民間の投資が促進されるかは甚だ疑問と言わざるをえません。
現状は、これまた氏が指摘しておられるように「80年代に大きな借金を抱え込んだ企業が、90年代の資産価値の暴落で債務超過のような状態に陥り、お金を借りるどころかみんな必死で投資や消費を抑え、借金返済という貯蓄に回っている状態」なわけです。政府がムリヤリ貸したところで、投資が促進されるとも、消費が伸びるとも思えません。
公的資金を受けても直ぐに返してしまう銀行とか、貸し渋り倒産などが良い(良くはありませんが)例ですね。
何も赤字財政が絶対悪ではないというのは同感ですが、しかし今のそれは、やはりどうにも賢明とは思えません。

さて、こういったところが素人認識としては一般的ではないかと思います。しかし、素人にはどうにも納得できないというところが、さすがはリチャード・クー氏、専門家たる所以なのでしょうか。



知恵と勇気と人違い
某日。某所で拾った(わけではないが)曲データを聴く。
ビートの効いた、なかなか分かりやすくカッコイイ曲である。「おー、カッコ良えなぁ。昔の相川七瀬とかかな?」などと思いながら説明を見る。
・・・知らんなぁ(失礼!)、誰やそれ。
さらに見る。と、テレビアニメで使われていた曲であることが判明。なるほど、この「分かりやすくカッコイイ」のは、確かにそれっぽくある。
しかしまぁ、安室や倉木麻衣や小林幸子だってアニメの曲を歌ってるしなぁ、それだけで決め付けるのも早計だ、と思い直し、タイトルを確認。
タイトルはズバリ、「知恵と勇気だ!メダロット」。
嗚呼!


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