「千円もって買い物にいけない」話
教科書検定、といえば、例の新しい教科書を作る会の歴史教科書が話題だが、それ以外にも、なかなかファッキンな指導があったようだ。
新指導要綱はあくまでミニマム、などという話を信じた人もいないだろうが、あの基準をちょっとでもオーバーすると「指導」という名の難癖を付けられるらしい。
今度の学習指導要綱では台形の面積を求める公式は扱わない、というのは有名なところだろう。その故に、例えば「台形と、元の台形を180度回転させたものをくっつけると平行四辺形になる。従って・・・」という形で、台形の面積を求める公式を紹介しても「不必要」とか指導される、という話だ。
さらにワンダーなものとして、小学校の算数では4桁の引き算は扱わない、という基準がある。端的に言えば「A君は1000円持って買い物に行き、680円の買い物をしました。残りはいくらになるでしょう」という問題は作ってはいけないのだそうだ。
確か今度の要綱は「生きる力の育成」とやらを眼目に挙げているはずだった。きょうび「千円もって買い物にいけない」では生きるのもままならないのではないかという気もするのだが。
当世若者事情
毎日コミュニケーションの調査、「大学生人気企業ランキング」の今年の人気の傾向は、例えばyahooが、学生の理系文系を問わず100位以内にランクインしているなど、所謂「インターネット系」や「E-ビジネス系」が人気で、「ベンチャー企業指向」が比較的強いのが特色だそうである。
とはいえ「E-ビジネス系」や「ベンチャー企業」などは、例えばアマゾンドットコムでさえビジネスプランの見直しを余技なくされているくらいで、先の見通しの不透明さではオールドビジネス(最近じゃあ、こっちだって明日は見えないわけだが)に比して問題が大きい事は言うまでもない。
むろん、それにしたって、そうしたリスクを恐れない新進の志を持った学生が増えてきているという事であれば、まぁ頼もしい限りではあるのだが。
そう言えば、作家の佐藤愛子さんが、新聞のコラムで「自分の上司になってもらいたい人として田中真紀子さんを上げる声が多い。ビシビシとした厳しい態度の、強いリーダーのイメージで評価しているのだろう。しかしそれは、同時に君らにもビシビシと厳しく接する上司である事を意味する。君らはそういう覚悟があって言っているのか。どうせそんな覚悟はないだろう」というような由の事を書いておられた(彼女自身も「ビシビシとした厳しい態度」の「強い」人のイメージだが)。
…とか言うような事を思っていたら、翌日の新聞には米yahooが赤字転落で人員の12%リストラを発表した事が報じられていた。
リストラされても、ベンチャー指向でGO!ですか?
Arts of Artificial life
以前何かのテレビ番組(覚えていないが、多分NHKの「世紀を越えて」のシリーズではなかったかと思う)で、人工知能プロジェクトの研究者が「10万語以上の語彙を内蔵させても、自然な会話を成り立たせるにはまだまだ足りない」とか嘆いていた(かどうかは知らないが)ものがあった。
研究者ではない私は、そんなもん、自然な会話を成り立たせるためなら、知らない語彙が出てきたら「テキトーに相づちを打って聞き流す」か「強引に自分の知ってるネタに引っ張ってくる」かすれば良いじゃないか、と思ったものである。
人工知能ならざる生身の人間同士でも、お互いの語彙が完全に共有されているわけでもないだろう。生々流転を繰り返す話し言葉を完全にカヴァーするなどというのは、土台無理な話である。「自然な会話」なら、多少強引なやり方の方が寧ろ「自然」なんて事は、普通に会話をした経験があれば容易に想像がつく。
要は、「自然な会話」程度なら、何も難しいものを出してこなくても「シーマンで充分」という事だ(まぁ、連中の目的は、何も「キカイと自然な会話を楽しむ」事でもないだろうが)。
ところで、だ。
トミーにメモニという音声認識ロボットがある。ある、と書いたが、私は良く知らない。なんでも「2万語近い語彙を内蔵」し、さらに「個別情報を蓄積するため、会話を成長」させる事が可能な、まぁ、AIBOもどきの一種だ。
上で10万語でも足りないと言っている一方で2万語程度では、いかにも心もとない感もあるが、こいつのシステムのキモは「全てを認識する事は不可能なので、認識できなかった時にどうするか」だそうである(中日新聞4月16日。開発者インタビュー記事参照)。
なんだ。考える事は、やっぱみんな一緒じゃん。
男女の平等、法の下の平等
社民党が、女性の天皇も認められるべきだ、と主張している。なるほど、皇位は「男子が、これを継承する」と定めているのは皇室典範(第1条)であって、憲法は「世襲のものであ」るとしている(第2条)だけなので、別に女性の天皇を認めるようにしたところで、彼女らの党是である「護憲」には抵触しない道理だ。
ただ、社民党がそう主張する理由は、さすが土井・辻元の社民党で、「男性しか天皇になれないのは男女平等に反する」からだそうだ。
私が言うまでもない話だが、そもそも天皇は「世襲のものであ」るなど、「平等」から抜けたところに有るもの(事の是非は別にして)で、それを言うなら「皇族しか天皇になれないのは法の下の平等に反する」とか言って、「天皇公選制」でも主張しなければ筋が通らないところだ。
それとも「男女は平等でなければならないが、ここ日本は新・階級社会であり、そのクラス間が平等でないのは問題無い」という思想なのだろうか。それならそれで「すべて国民は、法の下に平等であ」るとした憲法(第12条)に抵触する事になる。
ひょっとすると「それはあくまで法の下の平等であって、平等でない事を定めた法が有るならば、その法で平等とされた範囲で平等なら全然オッケ-。イジる必要は全然ないっス。もー、憲法って完璧ぃ」てなロジックなのだろうか。
さすがは護憲の社民党(それは違うぞ)。