マナーと倫理と算術と
今は昔。「医は算術なり」というゲームがあったそうだ。そうだ、としているのは、伝聞の形でしか知らないからで、何でもMZ-80シリーズ用のゲームだそうである。さすがにそんな昔の事は知らんわな(因みに情報ソースはソフトバンク刊「OH!X」1995年1月号。記述には「リストでは」なんて書いてあるので、「買ってきて遊ぶ」ゲームではなく「打ち込んで遊ぶ」ゲームだったのかもしれない)。
このゲームは診療所の経営シミュレーションで、カルテを改ざんして医療ミスをもみ消したり、怪しげな新薬を投与して患者に訴えられたり・・・はしないものの、やはり高得点を狙うためには、高価な薬を処方したり、必要以上に投与したりしなければならないなど、まぁ、「医は算術」なゲームだったわけだ。
で、時は現代。国立高知医大の教授が、本来の出版社や著者に無断で講義に使用する教科書の「海賊版」を作って販売した上、購入しない学生には試験の単位を与えない由通告していたそうである。 なお、「海賊版」のタイトルは「期待される医師のマナー〜実践を目指して〜」という。嗚呼。


攻略戦のお作法
いやぁそれがさ、参ったよホント。彼女と同棲してたときにさ、飲み屋のねーちゃんから電話掛かってきて「ねぇん、来ないのお」とか言われちゃってさぁ。マジ修羅場見るよね、あーゆー時って。
とかなんとか。良くある話といえばそれまでだが、実際に経験者から聞くと、それはそれで、なんともはや、である(なので彼は、その後部屋に帰るときにはケータイの電源を切ってしまうことにしたらしい。で、何度かけても繋がらないんですけど、と言ったところが、冒頭の話になったわけだ)。
君子危うきに近寄らず。君子にあらざればなおの事、飲み屋のねーちゃんとはなかなか危険な相手なのであろう。そういえば、バブル期のサラリーマン向け雑誌には「有望そうな新人がいたら、らんじぇりぃぱぶにでも連れて行ってあげよう。先輩としての株が上がること間違いなし」とかの話もあったそうで(どんな雑誌なんだ)、それとて、そうした危険な存在であればこそ、それを御せれば「ああ、あの先輩はなんてすごいんだぁぁ」ということになるのだろう。カウボーイのロデオみたいなものか。
ところで、巨大な危険を乗り越えようとするならば、手段を選んでいてはいけない。ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトに、「変装して相手を油断させるなんて、あんたそれでも武人かよ」だの「酔いつぶれた相手の寝首を斯くなど、卑怯にもほどがある」などといってはいけない。悪の組織の怪人一人を、5人がかりでよってたかってボコボコのタコ殴りにする正義の味方には「チームワークの勝利」だの「友情パワー」だのといった賞賛を与えなければならない。

東京地裁4月19日。銀座のクラブホステスが、客(50代・会社社長)から「結婚しよう」と口説かれたが、実際には結婚をしようとはせず、だまされたといって損害賠償を求めたところ、請求を棄却されるという事件があった。
判決要旨。「クラブなどで男性が妻子ある事を隠して口説くのは、世上よくある事柄。仮に結婚しようと話しても、その場限りの口説き文句に過ぎず、ホステスもそれを承知で対応するのが普通と考える」のであって、そんな約束をホステスが通常「信じるとは考えられない」ので客には責任はない。
まぁ世の中には、酒の勢いで飲み屋のねーちゃんに「金なら援助してやる」とか言ったって、そんな約束には効力はないぜ、という先例もあるので、法的安定性の見地からは無難なのかもしれない。「金をやる」と「結婚しよう」では重みが違うだろうという気もするが、きっと「世上よくある事柄」なのだろう。飲み屋のねーちゃんを口説くためには、手段にこだわっていてはいけないのだ。

最後に、作家・海老沢泰久氏のコメント。「結婚詐欺師は、裁判を皆この裁判官に頼むとよい」


実践バクロ経済学
経済学方面の知見では、「1単位の政府支出の増加は、国民所得を1.2増加させる効果がある」ということが経験的に知られているらしい。
簡単に言うと、1兆円の公共事業を行えば、最終的には1,2兆円の経済効果が見込まれる。差し引きで、やらないよりやった方が0.2兆円お得。さぁ公共事業をやりましょう。そんな感じだ。
経済原論の教科書か何かを開いてみれば容易に知れることだが、実際のところ、そうした計算はパラメータの取り方ひとつでどうにでも変えられる。消費、投資のマインド等々事情が変われば上記の数字も変わってしまう。今までが経験的にそうだったのだから、ただデタラメだというわけではないが、今1兆円の公共投資を行っても、多分それほどの効果はない。
では、今のパラメータの値はどのくらいなのか。それは誰にもわからない。
わからないで経済モデルが立てられるのかーとも思うが、世の中それで動いているのだから、きっと問題はないのだろう。経済学者の経済予測は当たらない。どうせみんなそう思っているのだし。
大体DGPが増えることがいい事かどうかもわからない。都市部の水が不味くなって、しょうがないんで150円のミネラルウォーターを買うようになれば、それで150円のGDP上昇だ(そんなこともないが)。
バブル期のGDPなんてのは、週末毎にディスコ(今では死語か)に繰り出して、お立ち台でジュリ扇振ってパンツ見せて踊ってるハデ目のボディコン娘でも引っ掛けて、1万円のディナー奢って、3万円のシャンパン開けて、ついでにラブホ代も払って・・・ってな感じで叩き出した数字なわけだ。
そういう数字と比較して、国民全体(もっぱら男だけか)が週末ごとに5万円からの出費をしなくなったといって、どうしてGDPの低下を嘆かなければならない道理がある?もっとも、週末ごとにとっかえひっかえハデ目のねーちゃんと遊べるなんて、それはずいぶんな生活クオリティーではないか、という説も、それはそれで傾聴に値するが。

などとずいぶん喚いているのは、ノートパソコンのメインメモリが壊れてしまって、パソコンショップに探しに行って見たところが、32Mのメモリが最近主流の128Mメモリより高かったという、経済学的現実を見せ付けられたことへの愚痴だったりすることはナイショの話である。


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