反省のうた
まだどこぞのテレビ番組の企画で有名になる前のサムエル(聖書の人物ではなくて、Something・Elseというバンド)が、それとは別のテレビ番組で歌っていた歌に「反省のうた(表記は違うかもしれない)」というのがある。
曰く、「人間は同じ事を何度も繰り返してしまう」。例えば「僕なんか、知らないことを知ってるって」言ってしまったり、それに「好きな人に思いを伝えられずにい」るのだ、と。
で、今回の話は、そんな切ないコイバナで、みんなで「嬉しくって、でもちょっと恥ずかしくって、うーん、もじもじ」しようといういや〜んな企画では全くない。

東京地裁5月1日。2億1000万円余を脱税したとして、野村沙知代被告に懲役2年(執行猶予4年)、罰金2100万円。他、法人としてのノムラなど2社には罰金3200万円。
執行猶予つきの有罪という結論は、まぁ個人的には予想通りのことだが、猶予を付けた理由がなかなかイカシている。
池田耕平裁判長が言うのには「既に修正申告をし、納税を終えている」事の他、「夫から嘆願書が出されているほか、500万円の贖罪寄付もした」など、「反省している」(以上、引用は朝日新聞5月1日夕刊)からだと言う。
反省?
2億円を脱税しておいて、バレたから500万円寄付します、というのが(もちろん、追徴課税は受けているわけだが)反省しているといえるかどうかは疑問だろう。嘆願書が出されているなどというのは、例えば不幸な家庭環境の少年、とか言うのならともかく、いい歳をしたオバサンの事例で、夫から「私がちゃんと見ますから」などと言われたところで酌量事由にもならないだろう。
現に裁判長自身、「税理士から止められても架空経費の計上を強行」したり、「口止めや証拠隠滅を図る」など、「身勝手で悪質」であり、「悪質な動機に酌量の余地はない」(以上の引用は毎日新聞5月1日夕刊)と断じているはずなのだが。

人間は同じ事を何度も繰り返してしまう。私もそう思う。反省すべき事ばかり。それはそうだろう。
しかし、だ。反省だけならサルでもできる、のだよ。


ボクも勉強ができない
山田詠美さんの「ぼくは勉強ができない」という作品が、例の教科書検定で「表現が不適切だ」とされた、という話があった。
世の大方の人々同様、私にもどこがどう不適切なのだか理解しがたいのだが、あちらさんのコメントを前に色々と思案してみた結果、どうも「バカって言ったら、バカが可哀想だろ」という指摘ではないか、という理解に(私の中では)落ち着いた。
もっとも、この手のセリフは「そんな事言うなよ。ホントの事言われたら傷つくだろ」「ってそれフォローになってへんやないけー!」という遣り取り以外では使わないというセンで社会契約説的合意が得られているハズなので、少々疑問ではある。
おそらくもっとも素直な解釈は、作家・堀田あけみさんの言うように「多分、問題は表現ではな」くて、「主人公の少年が、つまんない大人をふふんって軽く見下している」のが気に入らないから「難癖つけたんじゃないか」、というものだろう。
確かに敵(別に敵じゃないけど)はつまんない大人だが、そこはそれ、何せ文部科学省である。「社会契約説?そんなん、誰が、何処で、何時契約したんや。何時何分何秒や。答えられへんやろ。や〜い、や〜い、おまえのかあちゃんデーベーソー」くらいのことは言いかねないので油断はできないが。

ところでその堀田あけみさんは、このおかげ(と言っていいのかどうか)で「ぼくは勉強ができない」の代わりに、自身のデビュー作でもある、高校生のときに書いた作品が某社の教科書に採用されることになったらしい。その件について、本人の記述。
「教科書に載った私の作品、確か教科書の陰に隠れて書いた記憶がある」(中日新聞5月17日夕刊)

世の中には、まだまだ良い話が転がっているものである。


ナショナル・キャラクター
○○人だから××の性格である、などという判断が乱暴に過ぎるのは承知の上である。承知の上だが、しかしそうしたステレオタイプな類型にも一部の理はあるのもまた事実だ。なので、敢えてそうした言切りをしてしまえば、ジョンブル野郎は、不気味なほどに親切げな笑みを浮かべた穏やかな顔つきのジェェェントルマンだし、イタリア娘は、あまり美人ではないけれども、明るく朗らかで開放的な性格の、笑顔のちょっとステキな女の子だったりするし、ドイツの男は、真面目で律儀で誠実で、なんだか良く出来たメルセデス製のプロダクトみたいで、フィンランドの女は、スーパークールで理知的で、静かで深く冷たい色の瞳のアイスドールのように思える。
昨今ユニラテラリズムの誹りを受けているアメリカ人は、というと、私の少ない経験の中では、どうも評判が芳しくない。私がフランスに行っていた時のホームステイ先のマダムは「お前ら日本人やイギリス人は大人しくてええねん。アメリカ人なんて最悪やで。時差も考えんと電話してきて、ハロゥ、うちのコいますゥ?とか言うてくんねん。何がハロゥやねん。こっちはフランスやっちゅーねん」と何度となく言っていた。件のドイツ人氏も「アメリカ人の頭にはジオグラフィーがないんやろなぁ。多分連中の世界地図には”アメリカ”大陸と”それ以外”大陸しかないねんで。こないだなんか、アメリカ人の友人に、今度そっち行ったら、ついでに北京も行きたいんだけどさぁ、電車でどのくらいかかるのかなぁ、北京、とか言うてんねんで」などと言っていた。
まぁ、彼らの場合は、私が日本人で、彼らがヨーロッパ人であるから、そこにいないアメリカ人で話を作っただけの事かもしれないが、少し新聞でも開いてみれば、上は政府高官からタクシーの運ちゃんに至るまで、「アメリカ人?お客としては上客で有難いんだけど、個人的にはちょっとね」と異口同音のコメントが見られる。

こんなことを思い出したのは、ちょいと目にしたテレビ番組が原因。前後を知らないので勘違いしているかもしれないのだが、どうも、何カ国かの少女達が集まって、彼女達だけのコミュニティーで共同生活を行う、という企画のようだ。
で、何人かのヨーロッパの少女達に、アメリカ少女が言う。「あんた達、何やってんのぉ。こんなの世界中何処でも常識でしょ。バカじゃないのお」。
一方、ヨーロッパ連合。「あのアメリカ人、何様のつもり」。「自分が一番偉いと思ってるんじゃないの」。「チョーむかつく」。
ダイジョーブか、アメリカ人。しかし、ちょっと出来すぎだ。
そして我らが同朋は。
「なんか険悪なのはわかるんですけど。ケンカして欲しくないと思います。でも、英語も話せないし、って言うか、何していいのか。えっと」
ああ、やっぱツクリか?


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