拳王様には言わないで
主権はどこまで及ぶのか、というのは、なかなか一筋縄では行かない問題らしい。
たとえば、それは「国家の排他的実力の及ぶ範囲である」という定義から、排他的実力の及ぶ範囲即ち「石を投げて撃ち落せる範囲が領空」だとか「岸から撃った大砲の届くところまでが領海」とかいう定義も、古くは罷り通っていたようである。おそらく「国際法」の概念以前、グロチウス以前の時代の事だろうが、今となっては冗談のような、あるいはずいぶんのんびりとした話とも思える。
尤も、実効支配という意味では、今日に於いてもあながち間違っているとも言えないだろう。国際法上の評価は知らないが(調べろよ、という当然の突っ込みはひとまず却下させて頂く)、然る国家がイラク上空を飛ばしているスパイ機なんぞは、「高高度を飛ぶので領空侵犯には当たらない」のだそうだ。

竹槍でB29を落とすなど、拳王様でも不可能なのである。



カネアルガー・セコビッチ翁語録
セヤネン、チャウネン、ドナイヤネン。そんな関西弁みたいな名前の人も、フィンランドには居るのでしょうか。調べて下さい。
という依頼が、以前「探偵ナイトスクープ」にあったような気がする。
それは私の知るところではないし、書いておいて言うのもなんだが、カネアルガー・セコビッチという人物が実在するかどうかも、、多分どうでもいい話だ。
なら書くな?いや、世の中にはいろいろとままならぬ事情が・・・

本題。これを書いている時点では、もうとうに実施済みの話なのだが、土曜日の銀行ATMの手数料が全面的に(一部の銀行や、一部「囲い込み」用メニューを除き)有料化される運びだそうである。
一利用者(向こうとしたら、私なんぞ物の数にも入れていないかもしれないが)としては、一体機械相手に何のお手数をおかけしたのか、という疑念は拭えない。
むしろ、利用するたびに、チキショー、何で自分の金を使えるようにするのにこんなトコまで足を運ばなきゃなんねーんだ。こっちがご足労料貰ってもイイくらいだぜコンニャロ。などと知人某氏には「慎みのない方は嫌いですっ」と怒られてしまいそうな、あまりお上品とは言いかねる不満の一つも漏らしてしまうのも、聖人君子ならぬ身としては当然の事といえよう。

そもそも銀行とは、大きな川のようなものだ。役に立つ事かぎりがないが、まだ集まっていないカネは、溝にたまっている水や、ぽたぽた垂れているシズクと同じである。
水に流れる力があっても、土手や丘に妨げられては進むことができない。ところが銀行を立て、その流れをうまく開くと、もっと多くの蔵や箪笥にあったカネが集まり、たいへんな資金となるから、工業も発達するし、学問も進歩して、道路も改良され、国が生まれ変わったようになる。

このまことに壮大稀有な言は、渋沢栄一による、国立銀行条例発布の際の株式募集広告の文章だそうである。
そもそも銀行とは。斯くあるべしとは言わないが、ちょっとセコすぎやしないか、銀行よ、と思うのである。
まあ、セコいのは金貸しの常道かもしれないが。


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