いつぞやの続き
いつぞや書いた、択一試験合格者全氏名発表の話であるが、受けた(合格した)人間の話によると、やはり名前が出されることに関しての合意は、少なくとも明示的には取られていないということである。
彼自身は、合格者として名前が載る事に喜びのみを見出すようなナイーブな感性の持ち主ではないはずなのだが。なにせ、大学合格者の名前を新聞が掲載する事の意義を問うべく、新聞社に電話をかけた過去を持っているくらいの人間であるから。
その彼が言うのには、法務省が公表しているので、雑誌側の問題意識がどうこうというレベルではない、との事。では法務省に文句を言う奴はいないのか、と問うたらば、やはり立場上文句も言えないのではないか、との回答を頂いた。
ん〜、やっぱ、そーゆー事なんだろうなぁ。
ヤマトよ永久に
なんだか知らないが、深夜に「宇宙戦艦ヤマト」のテレビシリーズが再放送されている。
世代が若干違う(本棚にあった宮台シンジ君の「終わりなき日常を生きろ」中の年表には、1977年のところにヤマトは記されている。俺が物心つく前だな、つまり)せいか、個人的にはヤマトへの思い入れは無いのだが、まあ、見てやる。
と、どうだ。20年以上昔の作品という感は否めないものの、それ以上に、ヤマトは強烈なプレッシャー(ガンダム的な語法で言うところのそれ)だった。
良くできた美術品に接すると、美というフィルターでろ過された純粋に澄明な空間に投げ出されて、その作品の構成粒子にビシビシ体を貫かれているような、そんな強烈な「美」的感覚を味わう瞬間がある(作品の性格にもよるが)だろう?
まあ、そこまで大仰ではないけれど、やはりクる。
アニメネタで揃えるなら、画面としてはガンダムやΖガンダムでニュータイプ同士が感応しあっているところを想像してもらえば良いかな。あれを、自分がアムロやカミーユになって感じているいるわけだ。
さすがに名作、か。
ペットボトルは人命救助の夢を見るか
某雑誌で読んだところによると、山奥などで谷に吊り橋を架ける際などに、ロープを付けたペットボトルロケットを向こう側に飛ばし、それを基に吊り橋を架ける、という方法が実験されているとの事である。
そこで私は考える。
同じ道理で、この間の玄倉川(だっけ?)の事故のように、河川の増水などの際に濁流の中に取り残されてしまった人々を、ペットボトルロケットでロープを渡して救出する事はできないだろうか、と。
この方法ならば、周囲に大規模救出活動を展開する広い場所が無くとも可能であるし、二次災害につながる恐れも極めて低い(と思う)。何より、いろいろな意味でのコストが安いので、現場の判断で初動として行う事が容易であり、権限や責任の問題で、「遅きに失する」事態になる事は防げるのではないか。
・・・・などという話を書こうと思ったんだけど、冒頭の、その雑誌がなんだったのか忘れてしまったよ。まてよ、ホントにそんな話があったのかどうかも疑わしいぞ。
やっぱり、ネタになりそうなものを見つけたら、ちゃんとメモでも残しておかないと駄目だねぇ(ガクシュウ
ノウリョク ゼロ)。
女子アナウンサーの秘密
先日、NHKのお昼の番組を見ていたら、こんな話題が出ていました。
曰く「今年の夏の甲子園(全国高校野球選手権大会)の中継では、NHKとしては初めて、女子アナウンサーが実況を担当し」たのだそうです。
繰り返しましょう。私の聞き間違いでなければ「女子アナウンサーが実況を担当し」たのだそうです。
では、ここで問題です。その「女子アナウンサー」とは、いったい、何者でしょうか?
その実況を担当した女子アナウンサーは誰でしょうか、ではありませんよ。
というのは、つまり、こういう事です。少なくとも私の見聞の及ぶ限りでは、局アナというのは、大学を卒業してからなる職種のようですから、低く見積もっても22歳にはなっているわけです。狭義の「女子」ではありませんね。
では、単に「おんなのひと」という意味での「女子」でしょうか。なるほど、そういう用法もありますね。あるいは、仕事や社会人としての経験ではまだ子供だ、という意味で「女子」といわれているのかもしれません。これも、あながち無茶な話ではないでしょう。
ところが、です。こうした説が正しいのなら、対になる言葉は当然「男子」になりますね。寡聞にして、私は「男子アナ」なんて表現は聞いた事がありませんよ。
それでは、今回の事は、ただの私の聞き間違いだったのでしょうか。
そうかもしれませんね。
しかし、今回が聞き間違いだとしても、各種マスメディアをつらつらと見回してみますと、どうも「女子アナ」という表現は、わりと一般的なようです。という事は、やはり「女子アナ」というものは、きっと存在しているのでしょう。
では、ここで問題です。その「女子アナ」とは、いったい、何者でしょうか?
ま、答えはわかりきっているような気もしますが。