「COOL DAYS」
作:G☆SCR 【up dete 2000'05'16】


「九郎センパイ、こんなところでなにしてるんです?」
 日曜の日課である同情での稽古に向かっていた橙也は、時々上のほうを見上げながら通りを歩いている九郎を見つけ、声をかける。
「やあ、橙也くん」
 いつもながらの優しげな、悪く言えば気の入っていないような表情。どうしてこの人が世界征服部に入っているのか、誰しも疑問に思うことはあって当然だろう。制服姿を見なれているが、今日のようなカジュアルスーツ的な服装もよく似合う。年齢差以上にタイプの差なのだろうなと、こちらはジーンズ姿の橙也が心の中で一人納得している。
「橙也くんは、この近くに住んでいるのですか?」
「いや、家はもう少し住宅街よりです。でも、よく通るんでここのことなら少しはわかりますけど」
 何かを探しているのは先ほどの様子からもよくわかる。それは助かります、と前置きをして、九郎が尋ねる。
「『ポルテ』という喫茶店を探しているのですが、知りませんか?」
「『ポルテ』? ……いや、見たことないすけど」
 どこかで聞いたような気はするのだが、見かけたことはない。すまなそうに橙也が答えると、九郎はいいですよと、だけど少し困ったような表情を浮かべて考え込む。
「うーん、『フェネック』というお店の二階にあるらしいのですが」
「『フェネック』? ああ、それなら……」
 『フェネック』は動物をモチーフとしたアクセサリーや部屋のディスプレイ品を扱っている店だ。そういえば、この前あきセンパイにつきあわされた時に、二階の店はタルトで有名だとか教えてもらった記憶があるが、どうやらそこが『ポルテ』らしい。
「その角を曲がって、2つ目の交差点を左に行くと、左側にありますよ」
「ああ、あそこの角を行けばよかったのか。九郎くん、どうもありがとう」
「礼を言われるほどのことじゃないっすよ。でも、こんな時間からやってるんですか?」
 まだほとんどの店は開いていない。ケーキなどでは、焼きあがる時間などを考えても、朝一で行く利点はないはず。
「いえ、席の予約に行くだけですから」
 九郎にそう言われて、当夜には合点のいくことがあった。昨日やけにあきセンパイが上機嫌だったのだが、つまりはそういうことらしい。
「じゃ、がんばってください。……っと、先輩、今正確には何時です?」
 一歩踏み出しかけて、橙也が立ち止まり九郎に尋ねる。
「ええと……10時を少し過ぎたところですね」
「あれ? もうそんなになりますか?」
 少し驚いたように、九郎の左手についた時計を覗く。その文字盤がさしている時間は、9時50分。
「ああ、この時計、よく遅れるんですよ」
 聞かれる前に答えられて、橙也は思い出す。何故だか知らないが、この年代ものと言うわけでもないよく遅れる腕時計を、九郎が使いつづけていることを。
「センパイ、時計変えないんですか? やっぱり正確なほうがいいような」
「みんなにもよく言われますね。……でも、自分ではこの時計が気に入っているので。それに、結構役に立つんですよ」
 そう言われては、はあ、と橙也は答えるほかない。なんの役に立つのかは疑問だが、本人が気に入っているのならとやかく言うことではないし、何より橙也は別なことに気をとられていた。
「もう10時か。センパイ、ちょっと稽古に遅れそうなんで、行かせてもらいますね。じゃ!」
 気をつけて、の返事もまたずに駆けていく。そんな後姿を見送り、九郎もまた、教えてもらった店へと歩いていった。

 待ち合わせの時間は3時。
 駅からならどう遅くても10分もあればつく。なのに冴は、1時にはもう駅についていた。
 薄い布地の黒と、メインの白のコントラストが映えるワンピース。胸の前であわせた両手で抱えている紙袋には何か大切なものでも入っているのだろう、しっかりと抱え込んでいる。
(す・・少し、早すぎたかな……)
 わざわざ突っ込むまでもなく、少しどころじゃなく早いのであるが、大好きな人との待ち合わせ、遠足を明日に控えた小学生みたいなものでじっとしていられない。少し顔を赤らめながらテクテクと歩いているが、頭の中はこれからのことでいっぱいだろう。
 だから、というわけではないのだろうが、冴がそれに気づいた時にはもうぎりぎりのタイミングだった。
 冴の歩いていく方向から、細い道をかなりのスピードを出してくる車。そして、冴の5メートルほど前には、たった今塀から飛び降り、何も気づかず道を横断しようとする猫。
 瞬間、冴は駆け出していた。ぎりぎりのタイミングで猫を抱え、道路の反対側へ、ラグビーの選手がトライをするような格好で滑り込む。その反応の早さは、さすがは極星といったところか。
 車は冴の行動に抗議するように1つ大きくクラクションを鳴らすと、そのまま行ってしまった。おそらく猫など視界に入ってなかったに違いない。何とか助けられたことに安堵し、まだドキドキしている胸に抱えられて苦しそうな声をあげる猫を両手で持ち上げ、向き合う。
「もう……危ないから、急に飛び出したりしないでね……」
 果たして通じたのだろうか。ゆっくりと地面においてくれた命の恩人を一度振り返った後、その猫はまた塀に上り、悠々とその場を立ち去っていく。
 安堵感と、心臓の動悸を楽にするため、冴は深呼吸し……そこで、今の自分の状況に気づいてしまう。低い体勢で飛び込み、そのまま滑り込んだのだから、当然服は汚れ、数カ所はほつれ破れてしまっている。そして、猫を抱えるため投げ捨てるより他なかった紙袋は、どうやら先の車に轢かれてしまったのだろう、ボロボロになった中身のクッキーが道路に撒き散らされてしまっていた。
「あ……」
 いまさら後悔することではない。猫を見捨てることなんて冴にできるはずもない。だからよかったと思う。思っても、落ち込んでしまうのは仕方のないことだろう。それでも急げば着替えに帰っても待ち合わせには間に合うが、さすがにクッキーを焼きなおす時間はない。
 しょんぼりとしながら、散らかってしまったクッキーを片付け始める冴の背中から、心配する声がかかる。
「ねえ、大丈夫? 怪我とかしてない?」
 少し驚いたように振り返った冴の瞳に入ってきたのは、何度か学校で会った顔。向こうもそのことに気づいたのだろう、あれ、という表情を浮かべる。
「確かあなた、世界征服部の……」

「まったく、ひどい運転の車よね〜」
 台所で何か準備をしながら、居間にいる冴に聞こえるよう大きな声で、葵が声をかける。
「でも、怪我がなくてよかったわ」
と、これは冴と一緒に居間にいる葵の母、都。心なしか嬉しそうなのも当然だろう、以前学校で見かけ「可愛いわ〜」と思っていた子が、今自分の前で自分のブランドの服を着てくれているのだから。
 その冴は、都ブランドの新作らしい、黄色を基調とした明るめの服装が恥ずかしいのか顔を赤らめてしまっている。
「あ、あの……この服……」
「あ、気にしないで☆ それはあなたにプレゼントするわ☆」
 質問の趣旨と回答はかなり食い違っっているように思われるが、
「勇敢な女の子へのささやかな報酬。きっと彼氏も気に入ってくれるわよ」
などと言われてしまっては、「え、え、あのその……」と、恥ずかしさで頭はパニック状態、遠慮するだのもらえませんだのと考えることもできなくなる有様。そんな冴の初々しさがまた気に入ったのだろう、ここぞとばかり都は勧誘をはじめる。
「それにしてもいい感じ☆ ねえ、今度モデルのバイトしない?」
 ちょっと強引な都の勧誘にたじたじというか混乱しまくりの冴を救ったのは、台所から帰ってきた葵だった。
「こら〜。またやってる! 彼女、困ってるじゃない」
「だって〜」と後ろ髪引こうとする都を放っておいて、葵は冴のほうに近づいていく。
「時間の方は大丈夫?」
「あ、は、はい、あと1時間くらいありますから……」
 恥ずかしさで半ばボーッとしていたのだろう、ようやっと我に返ったという感じの冴の声。ならよかったと、葵はホッとしたような表情で応える。
「じゃ、クッキーも焼き直していけるね」
「え? で、でも……」
「大丈夫、もうオーブンは暖めてあるし、材料も下ごしらえしてあるストックがあるから」
 もちろんそれは、いつでもはやなに焼いてあげられるよう準備してあるものである。さすがは葵ちゃん。
「せっかくだもん、持っていこうよ、ね?」
 葵の声に、冴はいつもの小さな声で感謝と喜びを伝える。
「……ありがとう……」
「たいしたことじゃないわよ。さ、早く始めよ☆」

 都ブランドの服に身を包み、胸に抱えるのは新しい紙袋。
 急がなくても十分間に合うのだが、知らず小走りになってしまうのも待たせたくないという優しさの現われだろう。
 そして、先ほどの猫を助けた道につく。ここからなら5分、3時までは10分ほどある。ようやっと安心できたのか、冴は歩みの速度を少し落とし、抱えている袋の中身の無事を確認する。
 だが、冴にとってこの場所は鬼門のような場所らしい。
「ねえ、彼女、一人?」
 いまどきこんなベタな声をかけるやつがいるかどうかは知らないが、こんなの言い出すのはナンパ目当ての野郎と相場が決まっている。驚いた冴が見た先には、大学生くらいの男が4人。
「悪いんだけど、ちょっと道教えてくれないかな?」
「わ、私……急いでますから……」
 か細い声で必死に冴は応えるのだが、男達は聞こえていないのか、聞こえない振りをしているのか、
「ん? 何言ったの?」
と、更に近づいて彼女を囲む始末。反射的に身を退こうとした冴の手首をその中の一人が掴んで逃がさない。猫を助ける勇気はあっても、人に対するのは苦手な冴である。振り払って逃げ出すことも大声で助けを呼ぶこともできず、ただ小さな声で「離して・・」と言うだけである。
「おいおい、急に逃げ出さなくて……痛っ!」
 突然、男の掴んでいた手が外れ、その顔が苦痛に歪む。その背後にはいつの間に近づいたのか、刺すような視線を持った男が、掴んでいたのとは逆の手を折れよとばかりに捻っている。
「……八草重さん……」
 少し涙ぐむ冴は、その男が誰だかわかった。八草重遊。自分と同じ世界征服部の「紫閃」である。
「まったく、それでも世界征服部の一員か?」
 冴に厳しい言葉をかけつつも、男の手を捻るのは忘れない。顔が更に歪み、もう少しで骨がいい音を奏でるところで、手を離して自分の後方へと突き飛ばす。仲間が助けに……実のところ遊から離れるために駆け寄る間に、遊は冴の前に立つ。
「あ、ありがとう……」
「さっさといけ。どうせ浅凪と待ち合わせか何かだろう?」
 感心なさげにそう応えると、愚かにも自分に対峙しようとしている男達の方を向く。だが、一向に動く気配のない冴を訝しみ、顔だけをそちらに向ける。
「いても足手まといだ。さっさといけ」
「でも……」
 何もできないくせに心配だけはするのか、と内心あきれた遊だったが、その心配は自分に向けられていないことにはたと気づく。
「……手加減はする。安心してさっさと行け」
 その言葉にホッとした様子を見せ、ぺこりとお辞儀をしてその場を立ち去ろうとする冴。それを追いかけようとする男達の前に、遊がスッと割って入る。
「ど、どきやがれっ!」
 2分後。男達は皆うめき声を上げてその辺りに転がっていた。当然、遊の方は無傷である。2分かかったのでさえ、冴が見えるうちは攻撃をしなかったからであり、実際には10秒とかかってはいない。
「て、てっめえ……」
 一人の男がなんとか立ち上がり、何かを探るようにズボンのポケットへと右手を入れる。その動きを見逃す遊ではない。男がポケットから手を抜くより早く、右手を軽く揺らし、そのまま右手首のスナップを使って……
「はい、そこまで」
 男の二の腕を、がっしりとした体格の男……橙也が掴んでいた。にこやかな表情を浮かべているものの、かなりの力が込められているのだろう、掴まれている男の顔が苦痛に歪む。
「これ以上続けるなら俺も参加しちゃうけど……まだやります?」

「余計なことを」
 逃げ去っていった男達の方など目もくれず、射るように自分を睨む遊のその視線をはぐらかすように、橙也は軽い口調で応える。
「怪我させちゃ可哀想でしょ、あいつらが。それより、そろそろしまったらどうです?」
 橙也の言葉に従ったというわけでもないだろうが、遊は右手に持っていたスローイングナイフをまた袖口に戻す。
「それにしても、助けるならもう少し優しい言葉かけてもいいんじゃないすか?」
「……見てたのか?」
 いきなり瞳に厳しさが増す遊。気配を感じたのだろう、橙也も一瞬緊張した表情を浮かべるが、すぐにやり合う気のないことを示すように両手を開いて示す。
「俺が見かけたときには、もう心優しい男性が女性を救ってましたよ」
「……残念だったな。これからはもう少し早く気づくようにしろ」
 そう言い残し、遊は何事もなかったようにその場を離れていく。それを見届けた橙也はふうっと一つ息を深くつく。ないとは思ったが、もし相手がやる気を起こしていたら……そう考えただけで、嫌な汗がにじんでくる。
「あの人も、もう少し素直なら誤解もされないのに」
 もっとも、それでは遊でなくなってしまうのも確か。結局はあの人らしいということなのだろうな、と橙也は一人頷く。
(それはそうと……冴先輩、間にあったかな?)

「すみませんっ……」
 通りの入り口の、古めかしいデザインの街灯。その下で彼女を待っていた九郎への、冴の最初の言葉がこれであった。
「冴さん?」
 ずっと頭をさげたまま、泣き出しそうな声で謝っている女の子。それを前に動じない男というのはそうはいない。だとすれば九郎はたいした人物ということになるだろう。……鈍感だから、という気もしないではないが。
「……冴さん、私、何か悪いことしましたか?」
「……え?」
 自分が責められるのならともかく、九郎の方に悪いことなど一つもない。驚いて冴が顔を上げると、安心したように九郎が微笑み返してくる。
「よかった……。一度も顔を合わせてくれないものですから、嫌われてしまったのかと」
「そんな……私、せっかく先輩が誘ってくれたのに、遅れてしまって……」
 申し訳なさそうに、また顔を俯け始める冴。おやっという表情を浮かべ、九郎は左腕の腕時計を確かめる。
「冴さん、遅れてなんかいませんよ? ほら」
 えっ、と小さく声をあげ、冴が見たその腕時計の文字盤は、今ちょうど3時を示そうとしていた。そんなはずは……と考える冴が、そのことを思い出す。
「九郎先輩、その時計……」
「ギリギリセーフでしたね、冴さん」
 彼女の反論を咎めるように、にっこりと笑う九郎。冴もその表情に、先輩らしい優しさに、言いかけた言葉を口には出さず、ただ笑顔で応える。
「さあ、行きましょうか」
「はい……」
 歩調を合わせてくれる九郎の横を、少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうな表情で並んで歩く冴。
(……私達、他の人にはどういう風に見えているんだろう……)
 そんなことを考えて、更に顔を赤らめる。
「? どうしました?」
「い、いえ、なんでもないですっ」
 とてもなんでもなくは見えない彼女の様子を、どうしたのだろうですませる九郎。……鈍感もここまで来ればむしろ天晴れである。そのまま視線を腕時計の文字盤に移し、冴にも聞こえないくらいの小声で呟いた。
「ありがとう……これからも、よろしく」



【作者より】
 どうも、G☆SCRです。
 今回はいつもの世界征服部の話……なのに、あきちゃんが出てこないのはどういうことだ自分(笑)
 ふと、八草重がちっとはかっこいい話を書こうと思ったら、いつの間にやら冴ちゃん以外は男ばかりに(笑) 葵ちゃん出てこなかったらどんな話になっていたのでしょうねえ……
 こういうSSを書くというのはキャラの魅力の再発見につながるようで、かくいう私、これ書きながら「おお、八草重も結構良いヤツじゃん」と感じるようになってまいりました。でも沙利阿部長にナイフ突きつけたのは許せぬ(笑)
 感想などありましたら掲示板やメールでよろしくお願いします〜。では。