ピシッ。

 その音が響いたのは、特訓も佳境の時だった。
 おそるおそる、自分の右拳を自分の視線に入れる橙也。
「……割れ……ちゃった?」


司木橙也誕生日SS
「PLUS ALPHA」
作:G☆SCR 【up dete 2000'09'24】


「困ったな……なんていって謝ろう」
 そんなことをつぶやきながら、橙也は科学部の部室へと廊下を歩いていく。その右肩には結構大きめの荷物の袋。中身はどうやら先ほどまで着ていた「鉄」らしい。
 実戦状態での勘を養うため、ここ数日校内での特訓は御堂あきから「鉄」を借りて行っていたのだが、橙也が成長したのか、それとも「鉄」の強度が連続使用で限界に来ていたのか。とにかく、渾身の右正拳突きを放った瞬間、いやな音をたて、「鉄」のナックルガード部分が砕けてしまったのである。
 もちろん、物なのだから壊れることもある。まして「鉄」は防具であり、橙也が以前に元・紅蓮姫である不和久遠と戦った……というより一方的にのされた時にはほとんど全壊してしまっているのだから、それから比べればわずかな破損であり、すぐに直るはずだ。
 橙也が気にしているのはそれではなく、壊れてしまった「鉄」をあきに見せることであった。あの日、ボロボロになった「鉄」を持って帰ってくると、あきは橙也の無事を確認後、すぐに「鉄」の修復に入った。その時かいま見えた悲しげな表情が、橙也には心苦しいのだ。自分が作った物が壊れている姿を見る気分がどういうものかはわかるつもりだ。その気持ちはまたあきに感じさせてしまうという思いが、彼の気分と歩みを落ち込ませているのだった。
 だから、うつむいていた橙也がその人物の接近に気づかなかったのも仕方ないことだろう。
「やあ少年、一体どうしたのかな♪」
 声の主がさしている少年が自分であることに気づき、顔を上げた橙也の前に立っていたのは、白衣を着た女性。説明するまでもなく、藤代霧瀬その人である。
「は、はい?」
まあ、普通、校内で教員から少年などと呼ばれることはあるまい。少なからず見せた動揺は、すでに霧瀬のペースにはまってしまっていたのだった。
「あ、ちょっと悪いんだけど〜、用事あるからつきあってね♪」
 返事を待つことなく、橙也を引っ張っていく霧瀬。その嬉しそうな表情と、いまだに状況をつかんでいない橙也のぽかんとした顔が対照的である。

「んー、いい感じ☆」
 霧瀬が眺めているのは、スーツを着込んだ橙也。スーツといっても「鉄」ではなく、黒と朱色を基調とした、言ってみれば忍者服にオプションが付いたような代物である。
「あ、あの……なんです、これ?」
 理解せぬまま保健室に連れ込まれ、「ハイ、着替えて! 五分以内!」という霧瀬の言葉を忠実に守ってしまった橙也。根が素直なのか、女性には逆らえないのか。
「私の開発したスーツ。結構似合っているわよ」
「……それって、正義の味方部のもんじゃないですか! 一応俺、敵なんですよ!」
 いや、一応じゃなくて間違いなく敵なんだけどね。
「細かいことは気にしないの☆ 昔からいうでしょ、敵に塩を贈るって」
「こういう場合に使う言葉ではないような……」
 ツッコミを入れてはみるものの、日々九行稜に激辛なツッコミを受けている霧瀬がその程度でめげるはずもない。
「そんなこと言わずに受け取って〜。ちょっと趣味でパワー重視のスーツ試作してみたんだけど、よく考えたらはーちゃん達向きじゃなくて〜」
「だからって……だいたい、俺には……」
「ほら、『鉄』壊れてるし、その間だけでも☆」
「な、なんでその事を?」
「ふふふ、この霧瀬ちゃんにわからないことはないのよ」
 胸を張る霧瀬。なんのことはない、橙也が着替えている間に袋の中身をこっそり調べておいただけのことなのだが、橙也はその事に頭が回らないらしい。まあ、普通は教師が生徒の荷物を確かめたりしないし。
「これは私が直しておくから。そうねー、3日もあれば完璧に直せるから、その日の夕方またいらっしゃい☆ その時気に入っていたら、もってっちゃっていいから♪」
 すっかり霧瀬ちゃんのペースに巻き込まれた橙也に断る術はなかった。よーく考えれば、その試作スーツが「何故か」橙也の体格にぴったりだとか、わざわざ朱色を使っていることなどに気づけたのかもしれないが……

「橙也クン、どうしたの? 怪我?!」
 運がいいのか悪いのか。
 保健室を出たそのシーンを、あきに見られてしまう。事情を説明すると、あきは瞬間ほっとした表情を浮かべたが、すぐにあきれてみせる。
「普通、正義の味方部の人からそういうのもらう? 橙也くんらしいというか……」
 「鉄」の事もあってか、恐縮する他はない橙也だが、あきの興味はすぐに次の物に移っってくれたらしい。
「で、それがそのスーツ? ちょっと見せてよ」
「あ、いいですけど……」
 さすがに廊下ではなんなので、科学部の部室まで移動して、スーツを調べはじめるあき。橙也はその横で所在なげに座っている。
(防御力が高いのは当然として……)
(インパクトの瞬間、そのポイントに効果的に負荷が集まって、対象によりパワーを伝えやすくしている……多分、「鉄」ぐらいの防御力なら一撃で抜けちゃうくらいの……)
 試作品だけあって全体的なバランスはあまり考慮されてはいない。特にエネルギー面では無理な部分もあり、まだ実用レベルではないと言えるが、橙也の戦闘力をより引き出すという点では「鉄」では比べるべくもない。攻防一体、造り手の才能が窺いしれる一品である。
(やっぱり、まだかなわないな……)
「橙也クン、これ、先生はもらっていいって言ってるんでしょ?」
「はい、まあ、そう言ってましたけど……」
「じゃあ、もらっちゃうべきだよ」
 何かに踏ん切りをつけるように強い口調で、あきは橙也にそう告げる。
「これなら、橙也クンはもっと強くなれるはずだよ」
 だが、当の橙也は前髪を掻きながら、
「でも、正義の味方部のものですしね……」
と、あまり乗り気ではないらしい。
「そんなこと言わないの、こっちの戦力アップにもなるんだし。……大丈夫だよ、調整とか、簡単な修理くらいはボクでもなんとかなるから」
 そうやって薦めるあきに、さすがにただことわるのも悪いと思ったのだろう。そもそも、「鉄」がないのだから特訓はこれを着てやるしかないのだ。
「まあ、とりあえず使ってみます」

三日後。
「どうもですー」
 保健室に荷物抱えてきたのは、もちろん橙也である。
「来たわね〜。どうだった、そのスーツは?」
「いいですね。軽くて動きが制限されないし」
 うんうんと、誉め言葉に頷く霧瀬は本当に嬉しそうだ。
「何より破壊力が高い。どんな原理は知らないですけど、楽に戦えますよ」
(ふふふ、もっと誉めて誉めて♪)
「んじゃ、置いときますね。ありがとうございました」
(んふふ、そうそう、置いてって……って?!)
 数瞬のタイムラグで現実に戻ってきた霧瀬の前からはすでに橙也の姿はなく、「鉄」と入れ替わりに置いてある試作スーツがあるだけであった。
(? ?! なんで、おいてくの?)

「あ、あきセンパイ」
 保健室を出たところで、どうやら橙也を待っていたらしいあきが、吃驚した表情で彼を出迎えてくれた。
「橙也クン、それ……」
 あきが指さすのは、橙也の抱えている「鉄」の入った袋。
「いや、『鉄』ですけど」
「なんで、あっちもらってこなかったの? あっちの方が性能いいのに」
 浮かびかけた表情をなんとかごまかし、あきは質問を続ける。
「『鉄』って、ボクの『聖』や『桜』より劣ってるんだよ? ほら、今からでも交換して……」
「でも俺、『鉄』好きですし」
 当たり前のような橙也の言葉に、あきの質問は途切れてしまう。
「今まで一緒に戦ってきたし……なにより、センパイが俺に作ってくれた物ですしね」
自分で言って恥ずかしかったのだろう、橙也は視線を天井に向けて頭を掻く。言われた方はといえば、今まで隠していた感情……喜びを満面に浮かべ、
「馬鹿なんだから……」
 という口調にも嬉しさがにじんでいる。
「……いきなり馬鹿はないんじゃないです?」
「だって馬鹿じゃない。あのスーツなら、不破さんに一矢くらい報えたかもしれないのに」
「その分自分が強くなりますよ、勝てるくらいまで」
 その表情は自信に満ちている。今は無理でも、いつかきっと。そう、自分に語りかけているようでもあった。
「……さあ、さっさと部室まで来てよね」
「へ? だって、もうこれ直ってるし……」
 すぐに特訓に向かうつもりだったのだろう、橙也の反応に少し口をとがらせ、「駄〜目」と告げるあき。
「スーツの調整は難しいんだから。他の人の調整じゃ、微妙に狂ってるかもしれないの!」
 そして、急かすように彼の背中を押していく。他の女性が調整したスーツなんて着させてあげないから、そんな心理に気づくはずもない橙也に苦笑しつつ、2人は科学部部室へと歩いていく。

 そんな2人を、保健室の扉の隙間から覗いていた人影。
「うーん、その辺まではさすがに計算できないわよね〜」
 霧瀬はそうつぶやくと扉を離れ、誰もいないベットへと仰向けに倒れ込む。
 料理は食材や腕だけじゃ決まらないって非論理的な意見がどこかにあったけど、今なら少しは信じてみてもいいかも。
「さて、アタシは可愛い3人娘のスーツの調整をするとしましょう♪」
 そう言ってエイヤッと再び立ち上がり、霧瀬は半ば部員用更衣室と化している保健室の奥へと歩いていく。
 後に保健室を訪れた天宮さつきによれば、その日霧瀬は鼻歌を歌うほど上機嫌であったそうだ。(終)