ヒトの進化

2012.6.6

霊長目ヒト上科

 サルを見ながら「これが人間の祖先」と言うことがあるが、厳密には違う。
 系統樹では、約1800万年前にテナガザルが大型類人猿と分岐し、その後、霊長目ヒト上科に含まれる類人猿たちが次々に枝分かれし、約700万年前、最後にヒトとチンパンジーが分岐した。
 つまり700万年前のチンパンジーの祖先が、人間の祖先でもあるということだ。
 現在わかっている最古の霊長目(サル目)は、約6500万年前に現れたプルガトリウス。体長10cmほどでモグラやネズミに似た外見をもっている。
 霊長目は、真猿類と原猿類の2つに大別され、ヒトは新猿類の1種である。
 通常、霊長目ヒト上科には、ヒト、そして現存する大型類人猿のチンパンジー、ボノボ(ピグミーチンパンジー)、ゴリラ、オランウータン、小型類人猿のテナガザルが含まれる。
 共通祖先は四足歩行だが、短い距離を二足歩行することもあったと考えられている。その後、直立二足歩行に変化していったのは、環境の変化などで行動範囲を広げる必要性ができたので、エネルギー効率の良いほうを選んだため。あるいは手を使う利便性に気がついたからではないかといわれている。
 ヒトの祖先は二足歩行することで、あいた手で道具をつくり、使うことを可能にした。森の木から降りて草原で暮らすようになると、食物は軟らかい果物の実から、硬い根や豆などになる。そのことから、臼歯が大きくなり、エナメル質も厚くなり、代わりに犬歯は退化した。
 様々な変化は大脳の発達をも促すことになった。体に比べて脳が大きく、脳の進化を表す「大脳化」は、二足歩行をしていた猿人より後の、初期の原人以降に顕著である。このことから、二足歩行が脳の進化をもたらしたという、ダーウィンの仮説は成立しなくなった。


足の変化

 後に出現したもののほうが必ずしもヒトに近いとは言えない。身体機能は、他の種と同じように試行錯誤で変化していったようである。
 猿人には様々な種がいる。
 1995年、エチオピアで約440万年前のアルディピテクス・ラミダス(ラミダス猿人)の化石が発見された。ヒトの祖先と考えられている。  
 1978年には、タンザニアのラエトリで、約350万年前のアファール猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)の約27mに渡る2列の足跡化石が発見された。手をついた跡がなく、アファール猿人の下肢の形態は現代人とは異なっているが、類人猿とは違い、土踏まずがあり、親指は前を向いていた。
 1974年にはエチオピアのアファール盆地でアメリカの人類学者ドナルド・ジョハンソンらが、後にルーシーと命名される320万年前のアファール猿人を発見。下半身から推測すると、樹上で暮らしていたが、二足歩行もできたと考えられる。
 1891年、インドネシアのジャワ島でオランダ人のウジェーヌ・デュボアがジャワ原人(ピテカントロプス・エレクトゥス後にホモ・エレクトゥスに改め)を発見する。脳の容量は800cc以上。化石の大腿骨の特徴から直立二足歩行をしていたと考えられるため、二足歩行の後に脳の進化が始まったという説が唱えられた。
 ヒトが類人猿と違うのは、膝を片方ずつ曲げて歩き、土踏まずができたことで、体重を片足で支えられる骨組になったこと。その代わり、足の親指が前を向いたため、足で物をつかむ能力を失った。サルのように母親に自力でしがみつくことができなくなると、母親は自分で食物を探すことが難しくなる。そのこともあって、集団や夫婦で子育てをするようになっていったのではないかと推測されている。
 また、類人猿やヒトの脳は、他のほ乳類とは違って出産後に劇的に成長する。それは自らエサをとることができるまで
の期間を長くすることも意味し、ヒトは特に顕著である。


猿人と原人

 脳は、体の中でもカロリーを多く必要とする場所。
 発見されている石器は、約250万年前が最古のもの。その頃、猿人は、石器で肉をさばき、骨から蛋白質の多い骨髄などを食糧とすることで、脳も発達したと考えられている。
 約700万年前にチンパンジーと分岐した猿人。約370万年以降の猿人は、顎や歯が華奢か頑丈かで、前者をアウストラロピテクス、後者をパラントロプスと分類することもある。 約150〜120万年前頃に猿人は絶滅したとされている。
 これまでは、猿人、原人、旧人、新人で時代が分けられていたが、いまは、時代が交差していたことがわかっている。地域によっては、出現順序と住んでいた時期が逆になる場合もあるそうだ。
 原人が登場するのは約200万年前。
 その約20万年後、原人はアフリカから出て、ヨーロッパやアジアへと分散していく。
 100万〜80万年前に、アジアでは、別種のジャワ原人(ピテカントロプス・エレクトゥス、ホモ・エレクトゥス・エレクトゥス)、そして北京原人(シナントロプス・ペキネンシス、ホモ・エレクトス・ペキネンシス)が出現する。原人はいまから30万年前頃まで生存していたとされている。
 2003年にインドネシアのフローレス島で発見されたホモ・フロレシエンシスは、位置づけは様々だが、原人と考えれば、一番長く、約1万年前まで生存していたことが確認されている。
  タンザニアのオルドヴァイ峡谷から出土した人類頭骨の破片は、
180万年前の猿人と原人の中間の様な存在で、「ホモ・ハビリス」と命名された。ホモ・ハビリスの中でも脳、体、歯、ともに大きいタイプ(ホモ・ルドルフェンシス)は、ヒトにつながる祖先と考えられている。


たき火で氷期を生きたネアンデルタール人

 約80万年前、旧人が現れる。
 約40〜50万年前には、旧人の1種で別名、古代型ホモ・サピエンスともいわれるネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)が出現する。
 1856年8月、ドイツ、デュッセルドルフ郊外のネアンデル渓谷(タール)で骨が発見された。
 1994年3月には、約4万3000年前のネアンデルタール人の化石骨が、スペイン北部のエル・シドロン洞窟からも発掘された。
 ジブラルタル半島突端の崖「ジブラルタルの岩」では、12万5000年前から、ネアンデルタール人の最後の痕跡となる2万8000年前までの石器、たき火の跡などが見つかっている。定住は農耕の始まる新石器時代(約1万年前)以降のため、繰り返し利用していた場所と考えられている。
 いまから3万年ほど前は、数百万年前から続く気候変動が大きい時期で、北アメリカとヨーロッパ大陸に氷床が拡大した寒冷期(最後の氷期)にあたる。当時、ネアンデルタール人は暖かさを求めてイベリア半島、中欧、地中海沿岸などや中東、中央アジアなどに住んでいたが、その後、絶滅したと思われる。
 ネアンデルタール人は、馬や鹿、野牛などほ乳類の狩猟が中心で、女も狩りをしていたと考えられている。平均身長は160cmだが、体重は約84kg、骨太、筋肉質で、胴長短足、肺が大きかった。
 これは気温が低い時期を生き抜いたことにも関係しており、20万年前頃までに数十万年をかけて、徐々にこのような特徴に進化していったと考えられている。その後はほとんど変化がみられない。


ネアンデルタール人絶滅の理由

 1997年、遺伝学者スバンテ・ペーボは、腕の骨から抽出したミトコンドリアDNA(母系遺伝子)の塩基配列から、約60〜70万年前に、ネアンデルタール人はすでに現生人類(現存する人類)と種が分岐していたとする。
 ネアンデルタール人は人類の祖先だったと思われていた時期があり、約2万8000年前頃のネアンデルタール人の絶滅は、大きな謎ともなっている。
 一説に、高度な脳を持つ初期の現生人類(ホモ・サピエンス=知恵のある人)によって絶滅させられたというものがある。
 ネアンデルタール人の脳は現生人類より大きい1500ccほどだが、生まれた後の成長度の違いから、知能というよりは筋肉を動かすためのものだったとされる。しかし、1960年頃行なわれたイラクのシャニダール洞窟の発掘により、高度な精神性を備えていたこと、また装飾品を身につけていたことなどから、末期には現代人に近い文化レベルに達していたとも考えられている。ちなみに、両者が戦ったことを表すものはまだ発見されていないそうだ。
 ネアンデルタール人には、複雑な発声ができる咽頭部の構造や言語遺伝子を持ち、言語を司る脳のブローカ野が発達していたことを示す頭蓋骨のくぼみがあることから、言語能力を持っていたかもしれないとされている。下肢の変化で直立二足歩行ができたため、類人猿にはない喉の構造(言語を発声する)を獲得することにつながっていったと考えられている。
 緯度が高く、日照時間が少ないユーラシア大陸に移り住んだネアンデルタール人は、紫外線を遮るための黒い肌、黒い目、黒い髪から、日光をより多く取り入れやすい白い肌、青い目、金髪に変化したとされている。しかし、発見されているネアンデルタール人の化石からは、骨格異常のものが多く見つかっているそうで、「くる病」は、絶滅理由のひとつにもあげられている。
 履き物を日常的に使用するとつま先の中央部にかかる力は軽減されるため、骨は弱くなる。ワシントン大学の古人類学者エリック・トリンカウス氏の調査で、約4万年前の化石のつま先の骨が華奢だったことがわかった。これまでは、習慣的に靴のようなものを履いたのは3万年前とされていたが、ネアンデルタール人も簡単な靴をはいていた可能性ができた。
 約3万5000年前のヒトは、絵を描き、楽器のようなものもつくっていた。この後、日本にもヒトが渡ってくる。


現生人類とネアンデルタール人の接触

 約25万年前、旧人から分岐した初期の現生人類(新人)が誕生する。約6万年前にアフリカから移動して世界中に散らばっていった現生人類は、ネアンデルタール人より大きな集団で生活し、男は狩猟、女や子供は小動物や木の実、植物を採取するという分業で、食生活を豊かに安定させたとされている。
  ネアンデルタール人の絶滅と現生人類の生存を分けたものは、体型、集団の規模、食生活などのほんのわずかな差だったのではないかと考えられている。
 ネアンデルタール人は、もっとも多い時期でも約1万5000人ほどで、地域を分散したことでさらに集団規模は小さかったと思われる。小さな集団は、進化するための変化や有害な変化を排除する力も弱まるため、種が絶滅する大きな理由のひとつとなる。
 進化には、既存の特徴を保ちながら新しいものを加えるか、まったく新しいものに変化させるという方法がある。ネアンデルタール人は古い特徴を残してしまったために、環境に対応できなくなったとも考えられている。約20万年前以降、ほとんど変化していないこととも一致する。
 同時期を、別々に進化していったとネアンデルタール人と現生人類。
 基本的に交流はなかったとされていたが、氷河期に食料を求めて行動範囲を広げた結果、交配が行なわれたとする説もある。そのことで、保全生物学でいう「交配による絶滅」、つまり数の少ないネアンデルタール人のゲノムが減少することになり、絶滅につながったという説もある。また、接触により、免疫のない新たな病気に対処できなかったとも考えられる。
 ネアンデルタール人と初期の現生人類が、アフリカで共存した痕跡はまだ発見されていない。交配があったとしたら、現生人類がアフリカを出た直後のヨーロッパあるいは中東だったのではないかとされている。
 チンパンジーと人間のDNAの塩基配列は98.7〜98.8%同じとされている。ネアンデルタール人は99.5〜99.7%。
 ネアンデルタール人はヒトの直接の祖先ではないようだが、現代人の遺伝子構造の5%程度はネアンデルタール人に由来しているともいわれている。
 

ネアンデルタール人は祖先か否か

 1980年代後半、学者たちの間で新人の起源を巡って2つの説が唱えられた。
 ひとつは「多地域進化説」。
 100万年以上前にアフリカを旅立った原人が、アメリカやユーラシア大陸などに散らばり、旧人から新人へと進化したとする説。この説では、異種交流を持たない限り、世界各地で遺伝子が異なっていない説明がつかない。さらに、イスラエルの化石を測定した結果、新人(クロマニョン人の祖先)がネアンデルタール人と同時期に存在していたことがわかり、説として不十分であることが証明された。
 かたや「アフリカ単一起源説」は、アフリカで誕生した「新人」が各地へ散らばっていったとする説。
 1987年、カリフォルニア大学の遺伝学者アラン・ウィルソンはアフリカ、アジア、ヨーロッパ、ニューギニア、太平洋の5つの地域の女性147人のミトコンドリアDNAの塩基配列を分析した結果、起源は約20万年前のアフリカの1人の女性であるという「ミトコンドリア・イブ」仮説を打ち立てた。
 細胞核のDNAと違い、ミトコンドリアDNAは母親の卵細胞しか伝達せず、さらに突然変異の頻度が高いため種類が多くなる。突然変異が多く起こるには長い期間が必要となる、つまり年代も古いと解釈される。これに基づき、アフリカの差異がもっとも大きかったことから、人類の誕生はアフリカが起源というのが通説となった。
 説が正しければ、ヨーロッパや中東、中央アジアにいたとされるネアンデルタール人は現代人の祖先ではないことになる。
 1998年、ネアンデル渓谷の人骨からDNAを抽出して配列を調べたところ、現代人に進化するためには約60万年が必要であり、そのことからも直接の祖先ではないということが証明された。
 
 
 
参考:『われら以外の人類』内村直之著・朝日新聞社刊
   『ナショナルジオグラフィック日本公式版サイト』http://nationalgeographic.jp/nng/index.shtml
   『国立科学博物館』http://www.kahaku.go.jp/

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