痛み

2009.9.21

 TBSテレビ「官僚たちの夏」の最終回。原作の城山三郎氏の本は、臨場感、そして人物の細やかな気持ちが随所にあふれているところが好きで、何冊読んでも、心と体ごと取り込まれてしまう。
「官僚たちの夏」は、昔、書店で何回か手に取りつつも、結局、タイトルに関心が持てず、読んでいなかったもの。
 ドラマでは、1回ずつ、年代を追って、時代を象徴する出来事をコンパクトにまとめて取りあげ、そこに魅力的な登場人物の性格が最大限に活かされたドラマティックな展開になっていた。
 結局、最終回後に買ってしまった原作は、テレビと比較すると、主人公はスマートという言葉にはほど遠く、その計り知れないエネルギーが両刃の剣になっていた。それは、どのような状況にあろうと、くさることなく、あきらめず、全力で走り続けた庭野という登場人物が、最後に主人公に言った「少し休んでもいいですか」というセリフに表れていた。

 つい最近、江戸川区のことを調べていて、本州製紙と葛西の漁業者の事件を知った。
 調べるきっかけとなった、旗を立てて漁に出るたくさんの船のモノクロ写真を最初見たときは、そこに躍動感や雄々しさを感じた。いわゆる、古きよき時代である。
 しかし、調べていく内に、経済成長の名のもとに、とんでもないことがまかり通っていた時代があったこと、それは、「時代」に責任を押しつけるだけでは終われないものがあるような気もしてきた。
 ドラマで「黒い水事件」として写真と同じような船に乗って抗議に向かっているシーンがあり、写真の見え方はまったく変わったものになってしまった。
 昭和30年代になってもまだ日本は「戦後」から抜けきっておらず、様々な政策により経済成長を果たし、その裏に生まれた矛盾を乗り越えながら、それぞれが一番良いと思う道を押し進めるために、官僚たちが外、そして内と闘ってきた。その延長がいまの日本。
 ドラマで、退官した後の主人公が言った最後のセリフ、「この国はどうなっていくのかな」は、原作に出てくる主人公は言いそうにない。しかし、それは、当時、再生復活しようとしていた人たちが常に片方で抱いていた思いだったのかもしれない。
 身動きが取れない中で、できること、信じる道を進んできたにも関わらず表面的には何も変わらなかった、どころか、希望を持っただけに、大きな衝撃が自分だけでなく、多くの人をも苦しめた。なんとかしたくても、どうにもできないジレンマ。
 いろいろ取りざたされて、一気に悪者になってしまった感のある官僚だが、いまも身を粉にしてがんばっている人たちにとっては、その烙印はやりきれないだろう。

 
 破綻しそうな町の、再生への道のりを描いているNHKドラマ「再生の町」。
 ドラマではあるが、膨大な予算をつぎ込んでのニュータウン建設のために、病院や介護、区画整理などの予算が切られようとしている中でさえ、住民の「夢」を求める気持ちはなんとなくわかる気がする。
 夢(ニュータウン)を完成させれば良くなるという保証はなく、おそらく経済的な「地獄」も付いてくる。それでも夢がなければ、現実の困難な状態を乗り切ることができない。
 現実社会でも、ほんの数年前、いや数十年前から、舵取りを人にまかせて、希望と称した何かにすがって、現実は見ないふりをしてきてしまった。そして、うまくいかなければ、誰かに責任を押しつける。責任は誰か1人のものであることは少ない。
 民主主義とは。本当に受け入れるべき「痛み」とは何なのだろうか。

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