意思の疎通は難しい

2006.5.5

 常々疑問に思っていることがある。
 現在、50代以上の年齢の方に言われることが多いのだが、「聞くより先に、とにかく動け」「頭で考えずに体を動かせろ」という言葉である。
 確かにすべてのことにおいて、説明を受けたり、結論まで考える必要がないものはある。説明が多すぎるのは、説明している本人の中で整理しきれていないこともあり、矛盾が生じて、却って混乱することもある。
 入社して1年にも満たない部下に仕事を頼むと、「なぜですか」「何からどのようにすればいいのですか?」と必ず聞かれて、「自分で考えてみて」というと、「これは初めての仕事なので、説明してくれないと動けません」と堂々と切り替えされるので、説明に時間をとって困るという話を聞いた。
 会社に入って間もない頃に上司に仕事を頼まれると、その上司しか知らないようなことについては、直接、質問して確認をとるようにしたが、他の誰かに聞けばわかるようなことは、先輩や同僚に聞いたりして補うようにしていた。理由としては、聞き返す雰囲気ではなかったこと、あるいは忙しそうなので聞き返して時間を取らせるのが悪いと思ったこと、最後に、そんなこともわからないのかと思われることが嫌だったことである。
 先ほどの質問を切り替えされて困るといっていた人も、おそらく、今までの新入社員には聞き返されたこともなかったし、自分も聞き返すことなく、なんとか処理して、部下を持つ立場にまでなったのだろう。

 仕事を上手にこなすためのマニュアルなどには、たとえば、「急ぎの仕事を頼まれていて、さらに違う人から別の仕事を頼まれた時には、急ぎの仕事を頼まれていることを説明し、その仕事の後で、今、頼まれた仕事を処理しても良いかどうかを聞く」となっている。そうしなければ、後で頼んだ方のスケジュールが狂う場合もあるからだ。状況がわかれば、「僕の仕事は後回しでいいよ」とか、「急いでいるから他の人に頼むよ」などと上司が判断しやすい、ということである。説明することで、仕事をスムーズに進めるという手段の一つ。上司だって、部下がいま何をしているかを逐一知っているわけではないのだから。
 しかし、現実は、急いでなくても自分の仕事を先にしてもらいたいために、先の仕事を後回しにするようにと指示されることもあり、上司によっては、仕事をしたくないための方便と取られかねないなど、思いもよらない結末になってしまうこともある。
 仕事を頼んだ時のことだが、感覚を生かして欲しかったので説明が多くなりすぎないように、ポイントだけを説明して依頼したことがある。聞き返すことなく「わかりました」と言われたので、一緒に仕事をするのは初めてだけど、さすがプロだと感心していたら、あがってきたものが説明したものと、まったく違う。そういうこともあるだろう。言葉は便利だが、受け止め方によってニュアンスが変わる抽象的なものだ。そこで、もう一度、今度はビジュアルを取り入れながら、説明した。「わかりました」と返事が返ってきた。これでもう大丈夫だろう、と思ったが、そうはいかなかった。難しいものである。

 最初は何のためにしているかさえわからなかった仕事も、周りの人のしていることを見ているうちにわかってきたり、全体の状況がつかめてきて、そのうえ上司の個性もわかってくると、判断もつきやすくなり、処理もスムーズになってくる。そこにたどりつくには、個人の能力もあり、時間も多少は必要だが。
 昔から職人の世界では、師匠にいわれたことが絶対で、わからなくても聞くことは許されなかったそうだ。わからないことでも、とにかく言われたら体を動かす。当然、意図したことと違うことが多く、どなられて説明なし、という世界なのだそうである。教わることなく師匠のすることを見て、盗みとり、頭で考えるのではなく体が自然に動くようになるまで体に染みこませるのである。
 職人といわれる世界に限らず、聞かれて微妙なニュアンスを説明することが難しいことはある。自分が工夫しながら行なってきたことなどは特にそうだが、聞かれれば、時間さえあれば説明しようと思えばできないこともない。

 仕事を頼まれるということは、大なり小なり、まず、相手がなんのために、どのようにして欲しいかをくみ取ることから始まると思っている。
 しかし、最近は、相手によっては、最初に多少わからないところがあっても、聞かずに独断で進めるようになった。そういう相手は、自分のレベルで考えるために「一から十まで聞くな」と言われたり、説明しなくてはならないという状況に機嫌が悪くなったり、時には、「そんなことまで考えていない」と言われることが多いからだ。仕事を進めていくうちに、勘違いしていたところは修正できるし、感があたっていればラッキーだ。
 そうかと思えば、仕事の進め方が違うため、すべてを見通せれば、結論は同じなのだが、手順の違いだけにこだわる人もいる。
 また、変な指示をされたので多少とまどいながらも進めていると、途中で担当者から「上司からの命令なので」と説明される。それでも意味不明だったが、上下の関係でそうせざるを得ないのだろうと、その通りにしていたら、ある時、上司の方からなぜこうなっているのか、と怒られた。しょうがなく、話を聞いてみると、その上司が以前言ったことを部下はすべての仕事に当てはめていたらしく、状況が変われば、それもまた変わるという単純なことだった。しかし、その上司、説明は聞かれれば拒まないが、とても長いのだ。そんなことも読み取れないのかと上司は嘆いていたが、部下たちは、それぞれに部下を持つ立場でありながらも、その威圧感に負けて聞き返すことなく進めてきてしまっていたのである。それも一人ではなく全員が、である。基本の指示は覚えていても結局、意図がくみ取れなくて、応用が利かなかったため、そこからさらに指示を出される部下はさぞ混乱しているだろうと思う。


 あげれば、きりがないが、そうしたことを体験してきて、聞き返すことや、考えて行動することがそんなに悪いことなのだろうかと思うのである。
 もちろん、何回も聞き返したり、調べればわかりそうなことをなんでも聞くことや、相手が忙しそうな時には後で聞く、無粋な事は聞かない、そういったことは大事だが、そうでないことは逆に聞いた方が良いのではないかと思うのである。もちろん、相手が答えやすいようにポイントをまとめて、聞くことはいうまでもない。
 頼む方も、「〜をしてくれ」ではなく、「〜をするために、〜をしてくれ」と、たったひとこと増やすだけで、頼まれた方は、一番適した方法を選択できるため、結果的には良いのではないかと思うことも多々ある。コピー1つとっても、急いでいるので多少曲がっていても文字が読めればいいのか、それとも、交渉相手に渡すためのコピーなのかによって、本のように取りにくいものであれば、かかる時間も変わってくる。
 説明することを良しとしない人が、いざ説明すると説明下手だったり、自分の方法論が完璧すぎて、人のやり方に妥協することができない人が多いように思うのは、穿った見方だろうか。

 あまりよろしくない言葉だが、「プロだから知っているのかと思った」と、つい使ってしまう言葉。「プロだから、すべてを知っているわけではない」と軽く笑われた。確かに、プロとは専門分野全般について、何でも知っている人ではないし、すべてをこなすことができる人ではない。だとしたら、未熟な素人では尚更だとは思わないのも不思議である。
 有名な選手に「上手にボールを打つためにはどうすればよいのですか」と聞いたところ、自分で打つ真似をしながら、「ボールが飛んできたら、バットを構えてボールの中心を打てばいいんだよ」と答えたという話があるが、本当に上手に打ちたければ、いろんな人のバッティングを見て、自分で研究して練習すれば良い。しかし、せめて、「ボールから目を離さないこと」くらい言って欲しいと思うのは、甘えなのだろうか。

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