高山流水

2006.5.6

 すばらしい音楽のことを「高山流水」と言う。
 中国の故事にもとづく言葉である。
 春秋時代、伯牙(はくが)という聡明な琴の名人がいた。すばらしい琴芸を身につけていたが、自分の感銘をうまく表現できていないと感じていた。
 その苦悩を感じ取った琴の師、連成は、伯牙とともに蓬莱山に向けて船を出す。蓬莱山には連成の師匠が住んでおり、師匠を連れてくると言ったまま師は船を漕いで行ってしまった。数日立ったが、連成は戻ってこない。
 仕方なく、伯牙は、鳥の鳴き声、海の波の音、沈む太陽に、感じたままを即興で琴の音で表現した。それはとてもすばらしいものだった。師の連成は、大自然の中で感受性を探究して欲しかったのだ。
 しばらくたったある月夜に、伯牙が船の上で琴を弾いていると、喝采の声が聞こえてきた。
 見ると一人の樵夫が岸辺に立っている。伯牙は、船へと誘い、再び、琴を弾き始める。
 高山を想って琴を弾くと、その樵夫は「泰山の如し(高くそびえる泰山のようだ)」と評し、流水を想って弾くと「江河の如し(洋々と流れる江河の水の情景が見える)」と的を射た賞賛を贈った。
 伯牙は嬉しくなって、「知音(ちいん)。あなたこそ、世界でただ一人の理解者であり、真の友である」と手を取る。
 樵夫は実は、評論家の鐘子期(しょうしき)で、二人は兄弟の契りを結び、親交を深めた。
 ある約束の日、出会った場所で待っていたが、鐘子期は来ない。鐘子期は亡くなっていたのだが、魂が会えるようにと岸辺に自分を埋葬させたと聞く。それを知って伯牙は絶望の思いで琴を弾くと、琴の弦を切って斧で壊し、以後、生涯琴を弾くことがなかった。このことから知己の死を悼むことを「伯牙絶弦」「伯牙断弦」という。
 この故事から、「高山流水」は、真の理解者に巡り会うことの難しさ、そして、真の知己を持つことのすばらしさをも指す。
 また、真の友のことを「知音の友」という。

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