五典の水庭

2006.5.22

 もう10年も前のことになるが、東京・谷中にある台東区立朝倉彫塑館(登録有形文化財)を訪れた。朝倉彫塑館は日本近代彫塑の基礎をつくった朝倉文夫氏(明治16年〜昭和39年)の美術館だが、アトリエであり住居であり、朝倉彫塑塾の教場でもあった。
 実は恥ずかしいことに、それまで朝倉文夫氏のことは知らなかった。訪れた際、購入した「彫塑余滴」(財団法人台東区芸術・歴史協会)という朝倉氏の文集を読んで、彫塑家としてはもちろん、俳句、南画、華道、茶道、ガラス蒐集などにも造詣が深いことに驚き、このまま知らずにいたら、もったいないことだったと真剣に思ったほどである。
 5歳の時に祖父から教わった碁の腕前もかなりのものだったようだが、12歳の頃に、ある出来事があって──その時の父親とのやりとりが粋なのだが──父が凝っていた俳句へ興味を移し、碁はやめてしまう。二十一世、本因坊秀哉(ほんいんぼう しゅうさい)氏の像をつくっていた50歳の頃、本因坊と呉清源の天下分け目の対局があった。新聞で見ていて、本因坊が最後にたった2目で勝ったことに興味を持ち、後に本人に直接聞いたところ、驚いて「先生は碁が打てますね」と言われたという話が「彫塑余滴」に載っている。
 この本は、朝倉氏の著書などの一部をまとめたものらしいが、その温かい人柄と、一般的な感覚で捉えると、あまりにも極めすぎていると思う趣味の一端を、興味深く覗かせてくれる。また、人間だけでなく、植物や魚などにも深い愛情を持ち、池の鯉について細かに観察しているところなどはおもしろく、一つひとつの話に含蓄がある。

 氏自らが設計し監督したという屋敷(朝倉彫塑館)は、それ自体が芸術で、竹をモチーフとした数寄屋造り(日本建築)と、彫塑が展示されている鉄筋コンクリートのアトリエ(西洋建築)が融合したもの。8回もの増改築を行ない、現在の形になったのは昭和3年から7年かけて大改築したものだそうだ。
 西側にある表門から入ると、左手に東屋がある。玄関から建物に入り、アトリエで作品を見て、書斎を通って、南側にあたる渡り廊下を歩き、ぐるりと回ると、北側には、居間、茶室、寝室などがある。「書斎」は、南側の大きな窓を除いて、天井までぎっしりつまった本棚が三方を囲んでいるが、天井までの高さは4メートル。ここには、遺愛品や書画などのコレクションが飾られており、ここだけでも十分楽しめると思ったほどである。「茶室」は、天井に神代杉、障子の桟に胡麻竹などが使われている。
 2階は、趣味の書画や茶道を楽しむための部屋があり、もう一つの「蘭の間」は、400〜500種もあったという東洋蘭の温室だったそうで、今は、片時も傍らから離さなかったという愛猫家らしく猫の作品が展示してある。
 3階は、来客のための応接間「朝陽の間」で、「円み」をモチーフに、瑪瑙(めのう)の壁や、松の一枚板の床、屋久杉の根の床柱、落とし掛けの真竹など貴重な用材が用いられ、同時に客への心配りが盛り込まれている部屋となっている。
 屋上は、ダイコンなど野菜栽培や、朝倉彫塑塾の園芸の授業でも使っていたそうだ。
 どの部屋も、自分が知っている範囲での住居というものが、ただの箱に見えて、溜め息が出るのだが、なかでも中庭の「五典の水庭」といわれる日本庭園は必見である。
 建物の中央に位置し、向い側には渡り廊下が見える。畳に座って眺めていると、現世にいることを忘れてしまいそうだ。
 地下の湧き水を利用した池には鯉が泳いでいて、1月の白梅に始まって12月の山茶花まで、季節ごとに白い花を咲かせる中で、ただ一本、赤い花の百日紅の木が植えられている。白を素直さや純粋さと捉えた朝倉氏は、自分もそうありたいという願いを込めて、また「物事は満つると欠ける」ことから、完璧を避けて百日紅を選んだそうだ。
 庭の五つの巨石は、儒教の「五常の徳」を造形化したもので、朝倉氏の自己反省の思いが込められている。真ん中に、ひときわ大きい2つの「仁」と「義」。そして「智」。南側に「礼」と「信」と名付けられたものが配置されている。
 パンフレットを見て、次のような意味があることを知った。

 仁も過れば弱(じゃく)となる
 義も過れば頑(かたくな)となる
 礼も過れば諂(へつらい)となる
 智も過れば詐(いつわり)となる
 信も過れば損となる

 時々、中庭の景色とともに思い浮かべるほど好きな言葉である。

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