やせがまん

2006.7.4

 電話が鳴る。受話器を耳に当てると、「○○です。・・・・・で、電話料金が安くなります」、あるいは「・・・・で、コピー機の使用料が安くなるので・・・」と言い、とにかく話は「安い」の連呼。手続きも簡単です、とマニュアル通り、合理的に話が進められていく。
 話が切れるタイミングを見計らって、「申し訳ないけれど、関心がないので、いいです」と言いかけると、ガチャンと切られたり、なかには「えっ、安くなることに興味がないんですか?」と、まるで、非常識な行動を咎めるかのように、受話器の向こうで急に声が飛び跳ねる。
 もちろん、安いのは好きである。関わっている人たちの労働時間や賃金、精神状態などに負担が掛からず、かつ、内容も変わらないのであれば、大歓迎である。
 しかし、何十年か経って不具合に気づいてからでは遅すぎる、という事柄がこう多くなると、ゾッとする気持ちも片方にある。安くするのも、無理な時間短縮なども、顧客へのサービスで、つまり、実情を知らなかったとはいえ、消費者が望んだことが、一つの遠因となっている、と思わないではいられないからだ。
 郵便受けに、「ほっとトーク」(2006.SUMMER)という朝日生命保険相互会社の冊子が入っていた。
 めくると、北野大氏のインタビュー記事が載っている。
「北野先生のお母様の教育はどうでしたか?」という質問に対して、「おふくろには3つのキーワードというのがあるんです。「おせっかい」「やせがまん」「もったいない」。」という答えで始まる箇所があった。ご両親のことは、ドラマ化、映画化もされているので、その中でも出てきたかもしれないが、ユニークに思えて、考えてみるとシンプルなそのキーワードの内容について、改めて感心した。
「やせがまん」の箇所にはこう書いてある。
 郊外の、値段の安いスーパーマーケットに客が流れたことが、今、「シャッター通り」と呼ばれている昼間からシャッターが降りた(閉店している)店が多い商店街の増えた理由。多少値段が高くても「やせがまん」して近所で買い物をすることが、物を通した、いい人間関係を築き、人の顔が見えるコミュニティの形成に欠かせない大事なものなのだと。
 確かに、同じ物を、わざわざ高く買うのは経済観念という点ではどうかと思う。特に、今の時代、10円でも安いものを買うことは、「チリも積もれば」で、どれだけ家計費が助かるかと考えると、地域のコミュニティまで考えていられない、という気持ちもある。
 しかし、ふと気がつくと、たとえば、説明することを厭わずに本当に客に必要なものを見極めてくれて、時にはこちらが、店の売り上げにならなくて申し訳ないと思うような品物を選んでくれる、職人的なスタッフが店から減ってきていた。どこのお店で買っても、お店の名前や場所が変わるだけ、ということになれば、後は、やはり価格へ目が向いてしまうことになるだろう。
 数字で見える部分だけを大切にして、なかなか見えにくい、精神的なものがおざなりにされ続けた結果は、すでにあらゆる事件に現れているように思うが、このまま進むと、どうなるのだろうか。
 弱肉強食、自然淘汰が自然界の掟である。しかし、人間は、不自然に、不要なものを手に持ち、本当に大切なものを捨ててしまおうとしているような気がする。

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