贈り物は潔く

2006.3.19

 会社に来る際に、スーパーのビニール袋を両手に抱えて来てくれる友人がいる。訪ねてくる時に何かしらおみやげを持ってきてくださる方たちの気遣いにはいつも感謝しているが、さすがにそれには驚いた。
 中身は塩辛、カップラーメン、サラダ、ソーセージ、インスタントみそ汁、トマト、プリン、唐揚げ、冷凍食品、チップスなどなど。とても書ききれないが、会社で合宿しても大丈夫なほどの食材と量である。
「さすが、個性的な人は、考えることが違う」と感心した。
 しかし、次に来てくれた時に、また両手に白い袋を2つ抱えている。
 今回の中身も、基本路線は一緒だが、種類が多少変わっている。
 そして、次の時も。入ってくると同時に両手に抱えたパンパンにふくらんだ白い袋が2つ見えた。
 この頃になると、少し気になってきた。毎回、そんなにおみやげを持ってきていただいたのでは申しわけないということが一つ。もう一つは、これが最大の謎、なぜ、食料品なのだろうかということだった。
 もしかして、食糧難の時代に、お菓子類よりも日常食のほうがありがたいと考えられていたのと同じように、どう見ても裕福そうには見えないので、わざわざ実用的なものを選んでくれているのかもしれない、などと考えてもみた。
 気になる。気になる。思い切って聞いてみた。
「いつもユニークな組み合わせなのですが、どうやって選ぶのですか?」
 おみやげををいただいておいて、失礼な話だが、聞かずにはいられない。
 すると、あっさりと答えてくれた。
「自分が食べたいな、と思った物を適当に買ってきているだけなんです。僕は、どこへ行く時もそうしているんです」
 その話をそのまま受け取れば、やはり書き表す言葉がないほどユニーク過ぎる。
 そういえば、昔、木製の組み立て飛行機をもらったことがある。相手曰く、「一生懸命考えたあげく」というのだが、なぜ、一生懸命考えて、組み立て式の飛行機になったのかがわからない。どう考えても、関連する話をした記憶もないし、それに含まれた意味もないだろう。
 私はといえば、贈り物を考えることがとても好きであると同時に、とても大変なのである。好みを知っている人も悩むが、あまり知らない人にも、また悩む。花束を頼むにも悩んでしまう。たとえば紅茶にしようと決めても、その後、種類で悩んでしまう。ああでもないこうでもないと考えていると、次第に頭が空回りを始めて、気がつくと、2000円くらいのおみやげで1時間近く迷っていることなんてしょっちゅうだ。包装してもらってお金を払った後でも、やっぱり、もう一つの方にすれば良かったかなと考えていることもある。ただの優柔不断なのだが。
 それなのに、自分が食べたいと思った物を選ぶ。なんて潔い買い物なのでしょう。
 贈り物は相手が喜んでくれるものを、ということに固執し過ぎて、結局、とても無難なものにしてしまったことも何度かあって悔やまれる。
 もちろん、相手が喜んでくれる物が一番いいとは思うが、いくら考えてもわからない時は、自分の好きな物を。これでいいのだ。
 そう考えると、あの木製の組み立て飛行機は、自分が好きだったものなのだろう。
 友人が持ってきてくれた中でも特に、「糖分が多いトマト」はとてもおいしくて、それからやみつきになっている。

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