各駅停車から始めよう

2006.11.3

 韓信は、中国、漢の時代の武将。名将として名高く、「韓信の股くぐり」という逸話は有名である。
 あるとき、「兵法」に書いてあることとは逆の陣法を用いた韓信に、勝ち戦の後で、その理由を聞いたところ、韓信は兵法の別の文章を答え、それを聞いた部下が「なるほど」と唸った話があるそうだ。「兵法」にも様々あるが、孫子の「兵法」は欧米などでも評価が高く、活用されているらしい。
 兵法などの書や先人の言葉も含めて、「基本」は、普遍なもの、時代を越えても場所が違っても通用するものが多い。そのため、それをどう生かすかは使い手次第。逆にいえば、読み手や聞き手のレベルも問われているのである。
 ずいぶん昔になるが、海外出張に行く同僚が荷物に詰めていたポジフィルムの袋に、「ASA400」という数字を見つけて、見慣れていた「ASA100」との違いを聞いたことがある。「感度を表す数字。数字が高い方がきれいに撮れるから」という答えに、値段も高いのだから、きっと、きれいに映るのだろうと納得した。
 自分ではカメラを持つこともなく、それ以降、思い出すことはなかったが、写真の撮影現場に関わるようになって、ふと、聞いてみた。すると、「暗い場所で」あるいは「スポーツなど、被写体の動きが早いときには」という条件付きで「明るくきれいに映る」ということがわかったのだ。
 今考えると、同僚は、視察などで室内を撮ることが多かったため、室内の光量が少なくても良いフィルムを選んでいたのだと思う。しかし、高感度フィルムは粒子を粗くすることで、きれいに見せているため、「きれい」という意味が少し違うのだ。それを、私は、数字の高い方が、無条件できれいに映るのだと思いこんでいたわけである。
 太陽がサンサンと輝く屋外で撮るときには、「ASA100」で十分、というより、その方がきれいに映るということを5年も経ってから、ようやく知った。その間、人に話す機会もなく、自分の思いこみだけで良かったと思う。知識のない相手だったら、信じていたかもしれない。フィルムの話くらいでは大丈夫だとは思うが、世の中には、悪意はなくても、結論的に騙したのと同じことになっている場合も多いからである。
 何かを知りたい時、専門書を読み、専門家の話を聞いて、結論を導き出すのを早くすることがある。本当は、自分で一つずつ調べるべきだが、「時は金」、の場合はショートカットである。しかし、教えることを専門にしていない人に話を聞くときは、相手にとって当然の箇所はショートカットされていることも多く、注意が必要である。自分の知識不足で、勝手に解釈して、間違えて覚えてしまっていることもある。
 専門的なことは仕方ないとしても、最近、ニュースなどを見ていて、当然、自分で考えなくてはいけないところがショートカットになっているのを感じて、これでいいのだろうかと思うことがある。あまりにも合理的で短絡的なのだ。「○○だから、良い」とか「○○だから悪い」という二者択一の答えが多く、「有名な○○さんが言っているから」「みんながそうしているから」など。そこには、自分で再考した、「どうして」なのかが抜けている。
 条件が変わっても、結論が以前と同じなので、不思議に思って聞いてみると、「このマニュアルに書いてあるから」と言われて、唖然とすることもある。韓信や、他の戦術家たちが聞いたら、どう思うだろうか。
 本をまとめるために、どれほどの人と時間が費やされているか、研究して結論を導き出すまでにどれほどの時間や労力が必要だったか。そう考えると、正確でレベルの高いものを利用するのは必然である。しかし、本や人から得た知識は、「他人が運転する新幹線」に乗って目的地へ着いてしまうようなもの。せめて、それを読み取って使えるだけの脳細胞を錆び付かせないためには、自分の脳の中を、電車(信号)が走るレール(シナプス)だけは常につくっておかないといけないのである。使わなくなったレールは錆び付いてしまうが、使えばすぐに復活する。もしかしたら、自分で新幹線を走らせられる可能性も、なくはない。
 人の新幹線で行って、知り得たことは、時には、各駅停車で、ゆっくり後戻りすることも必要だ。目で見て、耳で聞いたこと=「結論」にする癖が付くと、そのうち、脳の中を電車が走れなくなって、廃線になるかもしれない。

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