2006年も、あと10日。

2006.12.25

 自分の行動(性格)は、残念ながら、完璧には、客観的に見ることができない。客観的に見ること自体、不要だという人もいるかもしれないが。
 含みのある言葉で、その場にいる人を揶揄していることが、わかる時がある。いい趣味とはいえないが、揶揄されている本人はまったく気づかない。大抵の場合、本人にわからないように言うのだから当たり前だが、そんなことをする人がいるとは思わない純真な性格なのか、あるいは、自分の言動が周りに迷惑を与えていることにまったく気づいていない場合が多い。
 実は、私自身、時々、ふと思うことがある。「あれ、さっきの言葉は、私の事?」。本人に確かめようもなく、考えすぎの場合も多いようだが、ひとまず、気をつけようと、一応、心で思うのである。かと思えば、普段は気にならないことも、精神状態によっては、相手の言動にショックを受けることもある。思い返すと、自分も同様のことをやった記憶があり、もし、その時の相手も同じような精神状態だったとしたらと考えると、その事にもショックを受けるのである。
 すごく感じが良い人に会い、少しでも見習おうと思っていると、他の人には「感じ悪い」と映っていたこともあり、同じ言動を見て、逆の感情を抱くことがある、ということに驚くこともある。他にも、人によって、同じことに、まったく違う反応を見せ、自分ではとらないだろうと思う反応を見ると、新鮮で、受け止め方というのは本当に様々だなと思う。
 占いの性格判断がおもしろいと思うのは、自分の行動が、何に基づいたものかがわかる時。宇宙や自然にサイクルがあるのだから、あまり興味はないのだが「○○年の運勢」も、あながち間違いとはいえないかもしれない。たとえば、「人とのつきあいを大切に」と書いてあったとして、いつも以上に人づき合いに重点をおいてもバチはあたらない。仕事や大事なことをそっちのけにしてしまうと、問題があるかもしれないが。
 結果的に、1年が終わってみて、普段の年と何も変わらなかった、あるいは良いことがあったとしても、当たる当たらないという結論とは関係ない。占いを信じる信じないは、また別の話なのだ。占いに振り回されて、すべての決断を頼るのはどうかと思うが、「たまには占いでも見て、自分の行動や性格に気づきなさい」と言いたい人もいる。
 性格には、いろいろな面がある。たとえば、攻撃的な性格は、見た目通り、挑戦的である場合と、逆に自信の無さの裏返しの、過剰な防御反応のこともある。
 人に対する印象は、自分の中で固まってしまうと、その面だけで捉えることがどうしても多くなる。自分のことを振り返っても、いろいろな面があるのだから、人も多面体のはずなのだということを忘れてしまっている。
 タイプに分ける占いを信じない人が、実は、占い以外のことでは、誰よりもタイプ(既成概念)に縛られている、と思うこともある。いつも穏やかで、嫌なことを進んでやってくれる人に頼ってばかりいると、ストレスの原因になっているかもしれない。
 そういえば、最初に書いた、人に嫌みを言われてわかっていない人も、案外、わかっているのに、わかっていないふりをしているのかもしれない、な。

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