見えないもの

2007.1.28

 見えないものが、もっと、見えるようになればいいな、と思う。
 仕事でも、家事でも、目的やしくみがわかっている人には「見える」ことも、わからない人には「見えない」ので、段取りや仕上がりに無駄や失敗が多くなる。
「頭が切れる」人や、手際の良い人は、皆に見えない、「完成図」が見えている。
 優秀な医者、ホテルマン、写真家、画家、音楽家、美容師、デザイナー、建築士、料理家、仕立て屋、漁師、武術家、舞踏家・・・。そして、母親には父親には見えない物が見えている。
 目的が定まっていないときには、見ようと思えば見えるはずの、目の前に転がっているパーツも組み立てることができない。邪心があると、見えているものも見ようとしないことがある。
 そういえば、霊や魂、そして気やオーラなどが見えるという人がいる。「科学的に立証できない」「あるいは同じようなものが科学でつくりだせる」「その存在自体に矛盾がある」などの理由で、そんなものは信じないという人がいる。
 ジッと一点を見つめていると、そこになかったはずの形が見えてくることや、恐怖心などから自分の脳が、勝手に幻影をつくりあげることもあるので、見えるという人の中には、それに近い人もいるのかもしれないが、見えたのが先なのか、脳がつくり出したのが先かは、本人にも、わからないだろう。そして、他の人には、見えていないのだから、誰にも決めようがない。
 しかし、人を騙すインチキなものは論外として、自分には見えないからという理由だけで、「見える」と言っている人に「ウソ」だと言うのはおこがましいと思っている。自分が知らないことを知っているという人の話に「ウソだ」と言っているのと似たところがあるからだ。世の中には、不思議としか言いようがないことも多い。
 人間は、基本的に、五感の中でも、視覚から多くの情報を得ているが、見るときに、すでに感情でねじ曲げられていることもある。センスによって捉え方がまったく違う場合もある。カメラ(機械)は、何も調整をしなければ、見えている物を、邪魔な影、顔のシミまでしっかり撮るが、人間の眼は、とても高度なしくみになっている代わりに、興味のない対象物や、見慣れているものは、見ていると認識していないこともある。
「見える」物の種類は、人によって様々だ。見えるものによっては、辛いこともある。人の感情や思惑などが「見えすぎる」ため、自分の動きがとれなくなってしまうこともあるからだ。
 それでも見たい。

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