謙譲の美徳

2007.3.19

「愚妻」「愚息」という言葉を使う人は、もう少なくなっただろうが、いまだ「愚夫」という言葉を聞いたことはない。一度使ってみると、おもしろい反応が返ってくるかもしれない。
 外国でつくられた日本を描いた映画を見ていて、日本人の精神性をつかみ損ねていると思うことがある。自分の立場を控えめにするという意味での「謙譲の美徳」もそのひとつ。たとえば、外国では、自分を下げるのではなく、相手を高くするという方法が使われることが多いようだ。
「つまらないものですが」と言って手みやげを渡すことに対して、「つまらないものなら持ってくるな」という日本人の年配の方の辛口エッセイを読んだことがある。確かに。一生懸命選んだ物でも「つまらないもの」なのである。
「なぜ、つまらないものをわざわざ持ってきたのか」と不思議に思い、開けてみて、好みが合わず、「なるほど」と思われる時代も遠くはないかもしれない。「口に合いますかどうか」と言ったら、「合わないようです」という答えが返ってきたとしても、お世辞よりは、よいかもしれないとも思うが。かと思えば、「弊ブログ」という言葉もあるそうで、なんとなくおもしろい。
 本題しか書かないメールを素っ気ないと感じている人がいるかもしれないと思ったことがある。私自身は、本題だけのメールも好きである。余計なことは書かず、的確なメールを書く人は、話す時にも言葉に飾りはないが頭の回転が早い人に多い。話をしていると、こちらの痛いところをつかれてドキッとすることもある反面、お見通しなのだという安堵感もある。
 2、3行の、さりげない文章が添えてあるメールを書く人がいて、それもいいものかもしれないと思った。そこで、会うことが少ない相手には、本題を書いた後に季節のことを2、3行付け加えてみることにした。しかし、ある時、その他愛もない文章に対して、どのように返信しようかと考えて仕事以上に時間がかかると悩んでいる人の話を、同じ会社の同僚が、こっそり教えてくれた。メールの相手は、言葉の選び方がうまく、言葉のかけひきがない人で、常々、見習いたいと思っている人だ。しかし、書くということは、片方で、話す以上に気を遣う作業である。大げさにいえば、そこまで真剣に考えないと、あれほど素敵な言葉を紡ぎ出すことはできないのかもしれないとも思った。
 一方、美辞麗句が盛り込まれた前文に、何の用件かと不思議に思いながら読むと、本題を和らげるための単なる前振りだったということがわかるメールがある。感情を揺さぶることのできる会話では通用しても、特にパソコンの文字では通用しにくい。言葉はへりくだっているが、内容は「尊大語」といわれる言葉が合う文章である。
 かと思えば、こちらが謙遜して使った単語を、返信でそのまま使われていて、そのままの意味で受け取ると「そんなにひどいものなのか」と感じることもある。
 こんな笑い話を聞いた。20才くらいの女性が、家に招待されて手料理をおいしくいただいた後、感謝の気持ちを込めて口から出た言葉が「お粗末様でした」。当然、なんともいえない気まずい空気が流れ、後で意味を聞いて赤面したという話。「粗末」という言葉自体を、使うことが少なくなっているのかもしれない。
 聞きかじりで言葉を使うと、悪意はなくても相手を怒らせたり、呆れさせることがある。
 ある時、打ち合わせの日時を決めるためにメールを送付したところ、「○○(同僚の名前)は11時に謁見されるので云々」という返信が返ってきた。
 う〜ん、と唸った。そんなに大変なお方では、なかなかお目通りもかなわないかな、と思った。

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