命数

2007.9.1

 一、十、百、千、万・・・億・・・兆・・・。たくさんの「0」を数える時に口から思わず出てくる数字の単位。
 その上にもまだ単位がある。
 調べてみると、京(けい、きょう)、垓(がい)、(じょ)、穣(じょう)、溝(こう)、澗(かん)、正(せい)、載(さい)、極(ごく)、恒河沙(こうがしゃ、ごうがしゃ)、阿僧祇(あそうぎ)、那由他(那由多、なゆた)、不可思議(ふかしぎ)、無量大数(むりょうたいすう)と続く。ちなみに無量大数は、0の数が68個(あるいは88個とも)。
 上記を「大数」といい、小さな数を指す「小数」もある。
 分(ぶ)、厘(りん)、毛(もう)、糸(し)、忽(こつ)、微(び)、繊(せん)、沙(しゃ)、塵(じん)、埃(あい)、渺(びょう)、漠(ばく)、模糊(もこ)、逡巡(しゅんじゅん)、須臾(しゅゆ)、瞬息(しゅんそく)、弾指(だんし)、刹那(せつな)、六徳(りっとく)、虚空(こくう)、清浄(せいじょう)、阿頼耶(あらや)、阿摩羅(あまら)、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)。
 涅槃寂静は、小数点以下の0の数が24個といわれている。

 これらの呼び方は「命数」(命数法)といい、それに対して、数字だけで表すのが「記数法」である。
 漢字が使われているのを見てわかるように、上記は漢字文化圏で使われる命数で、統一されているものではなく、呼び方や使い方は、時代や地域などによって変化しているそうだ。
 知ったからといって、何に使えるわけでもないのだが、なぜか心ひかれるのは、仏教の言葉に由来するものもあるからだ。

 気になった命数を、いくつかあげてみると、

[恒河沙]の恒河は、ガンジス川を指す梵語に由来する。沙は「砂」のこと。恒河にある無数の砂をたとえている。
[阿僧祇]は、数え切れないほど大きな数。
[那由他(多)]は、極めて大きな数。
[不可思議]は、思うことや議論することができない(不可)ものを指す。ちなみに「不思議」は不可思議が縮まったもの。

[渺]は、かすんでいること。
[須臾] は、しばしの間。
[瞬息]は、瞬きをし、息をする間の短い間。
[刹那]は、仏教の概念での最小単位。
[六徳]は、人が守る六種の徳のこと。
[弾指]は、指を弾く間。禅宗で、不浄を払うために指を弾く動作から。
[虚空]は、何もない状態を指す。

 イヌイットの人たちは、「白」を表す言葉をたくさん持っているという話を聞いたことがある。日本には、独特の色彩を表す言葉で一冊の本ができるほど、微妙な色の違いを表す言葉を多くある。
 数学者は0(ゼロ)の中に夢を見ることができる。実業家は、「0の数」に夢を見る。
 どちらでもない私は、せめて、普段、数字では数えられずにひとくくりにされてしまうことにも、意味を持つ言葉が当てはめられていることを思い出してみようと思う。
 逆に、「1」と「50,000」は数の大小ではなく、捉え方によっては、同等の意味を持つものであるということも忘れないように。

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