笑顔の代金

2007.10.10

 自分がそそっかしいことを知っているので、忘れ物や失敗がないように、入念にチェックする。そのお陰で、忘れ物は片手で数えるくらいしかないが、言動はチェックが間に合わず、思い違いをそのまま口に出して、恥ずかしい思いをよくする。
 他には、客が多く並ぶスーパーのレジで、1円玉が一つ足りなかったり多すぎたり、50円玉と100円玉を間違えて出してしまって、あたふたすることがある。たぶん、後ろで待っている人のために早くしようという気持ちが裏目に出ているのだろう。
 しかし、そのそそっかしさのお陰で気づいたことがある。いろいろな店員の態度である。
 わざと間違えたとでも思っているかのような冷ややかな目で見ている人、小銭を置くトレイでジッと数えていた指が止まったまま、こちらが気づくまで何もいわない人、「足りませんけど」といくら足りないのかを言わない人など、反応は様々。ただ、一緒にいると性格が似通ってくるのか、同じ店では、同じような対応をされることが多いようだ。
 相手の立場に立って考えると、多くの客を早くこなさなくてはいけないのだから、迷惑このうえないことだろう。小銭の数を間違えて出す人なんて滅多にいないと思うので、故意と思われてもしょうがないのかもしれないが、それにしても、最初に受けた爽やかな笑顔とのギャップにショックを受けてしまうものが多いことにも少し驚く。まるで、爽やかな声で電話をかけてきて、丁寧におことわりすると、物もいわずにガチャっと切られてしまう営業電話のようだ。
 自分にとって都合の良いときには、人間誰しも「いい人」を装えるが、そうでないときに本音が出る。
 もし、そこの商品が大変良いものだとして、そのような人を雇用している会社のものは買いたくないと思うのは、古い考え方なのだろうか。
 先日、スーパーのレジで小銭を数えていた店員の指がふと止まった。またやってしまったと思いながら慌てて財布に手をやると、「1円足りないようですけど・・・」と少し申し訳なさそうな声が聞こえてきた。驚いた。謝りながら1円を置いて、視線を向けると、20歳くらいの女性で、アルバイトと書いてあるネームプレートが見えた。こういうと変かもしれないが、少し嬉しかった。

 私自身は、台本を読んでいるような言い回しや、つくり笑顔は、接客業でもいらないと思っている。笑顔のない店員さんに、最初は不安になったが、考えてみると笑顔を買いに来ているわけではない。対応はシャープである。
 逆に愛想笑いや言葉遣いは丁寧だが、簡単なことにまごついていたり、客を放置しておしゃべりしているほうが嫌だ。

 笑顔はもともと、「敵意はありません」ということを表現したもので、人間も動物も、赤ちゃんのかわいい笑顔や、か弱い高い声は、自分を保護してもらうための生存本能でもあるのだとか。
 日本人の笑顔の種類は多いそうで、照れ笑い、愛想笑い、特に意味のない笑いまである。
 笑顔を見ると、仮に不快な思いをしていても、少しは気持ちを抑えらるという人も多い。つまり、簡単な失敗や不手際を補うためには、とても有効な手段なのだ。ということは、ことさら愛想笑いをしない人には、笑顔で補わなくてもいいプロとしての誇りがあるのかもしれない。笑うと、クールなイメージから随分変化するのかもしれないという勝手な想像をして愉しむのもおもしろい。
 最近の風潮に、すべてをお金に換算する考え方があるらしい。そうだとすると、もしかしたら「笑顔は代金にふくまれていない」と考える人もいるかもしれない。考え方は自由だが、その考えに責任が持てるだろうか。つまり自分1人のイメージが、店のイメージと捉えられることもあるということに。
「給食費を払っているのだから、感謝の気持ち「いただきます」「ごちそうさま」をいう必要はない」と子どもにいう親がいるそうだ。多くの人は笑うだろうが、ふと考えるのである。「仕事の対価は払ったのだから、感謝の気持ちは不要」に言いかえても、何の屈託もなく笑っていられるかどうかと。

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