遊びをせんとや生まれけん

2008.2.22

 動物の子供が、じゃれて遊んでいる姿は、見ていてかわいい。
 「遊ぶことが仕事」と言われる人間の子供と同様に、じゃれ合うことが、仲間との付き合い方を学ぶための大切な学習なのだとか。
 ピョンピョン飛んだり跳ねたりしているのも、敵に襲われたときに逃げるための練習であり、物を前足で転がしているのはエサを獲るときのための練習。人間でいえば、体力をつけたり、仕事をするための準備である。

 時には、動物も、じゃれ合っているうちにケンカ(真剣)になってしまうことがあるそうだ。そうならないために、力の強い相手には、目や動作で「遊びだからね」という意味のシグナルを送り、逆に、子供の方が遊びに夢中になって力加減を忘れていると「それ以上は駄目だよ」という意味のシグナルを送る。たとえば、犬同士でじゃれている途中、ふと顔を背けるのは、「これ以上はケンカになるのでやめよう」という合図。
 人間も動物と同じように、相手の目を睨み続けるとケンカを売っている(挑発している)ことになる。そのことから、向かい合って席に着くときには、相手と少し斜めの位置に座るとケンカになりにくいと心理学ではいわれている。
 人間には言葉があるが、思っていることをハッキリ言わなかったり、心と裏腹な言葉を使うので、やはりシグナルを読みとらなくてはいけない。動物の行動を見ていると、やはり人間も動物なんだと思うことが多く、逆に動物の行動から教えられることもたくさんある。
 動物のなかにも、本来は一緒に遊ぶことのできない相手と遊ぼうとして、相手がシグナルを送っているのを見過ごして攻撃されてしまう「空気の読めない」タイプもいるのだそうだ。
 
 生物学者によると、知性の高い動物ほど、脳の発育時期に当たる子供の頃によく遊ぶ。そして、遊びたがる動物ほど学習も早いそうだ。
 動物を訓練するときや褒めてあげるときにエサを与えるが、なかにはエサ以上に、遊んでやることがご褒美になる動物もいる。 
 その逆で、仲間と遊ぶことができない環境におかれた動物の子供は、自分がどんな動物(存在)なのかという自覚を持つことができず、成長しても仲間と交わることが苦手なため、群れの中で孤立してしまい、時には暴力的になってしまうこともあるのだそうだ。
 人間の子供を見ていると、ケンカは駄目、危険だから汚いからと外で遊ばせない、知らない人と話をしてはいけないといわれて育てられ、友達とは携帯電話で話をする、一緒に遊ぶのはテレビゲーム、とコミュニケーションの場が失われている。そういう環境の中では、どう考えてもコミュニケーション能力を育てるのは難しいのではないかと思うのだ。
 経験不足で、社会に出て、いきなり「コミュニケーション」といわれても、頭で想像するしかない。些細なケンカをしたこともなければ、相手との距離を測ることもできず、感情の表し方もわからないため、良い子が、いきなり爆発してしまうのも、心の「遊び(余裕)」が足りないからかもしれない。

 そういう意味では「良い」環境で育ってきたといえる、5、60代の男性たちは、「遊び」が大切だとよく口にする。
 確かに、そのひとつ、造語にもなった「飲みにケーション」は、人生の先輩から、仕事や人生など、いろいろなことを学ぶことができる場だった。
 しかし、飲むことだけがコミュニケーションだと思っていたり、説教の場にしたり、上司の悪口を言っている姿を見せられると、そんなことのために自分の大切な時間を使うことはくだらないと、若者に誘いをおことわりされてもしょうがないのかもしれないとも思うのである。

 子供の頃にどれほど遊んだかによって、その人のコミュニケーション能力が培われるのであれば、もう遅いのだろうか。
 しかし、人間ほど、親離れまでの期間が長い動物もいないので、まだ、これからでも間に合うかもしれない。     



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