忘れてしまったことと、忘れられない「昔」

2008.5.22

 事件の容疑者について質問するインタビュアーに、近所の人がよく口にする言葉がある。
「自分から挨拶する礼儀正しい人でしたよ」
 確かに、挨拶は感じが良い。
 しかし、近所の人はもちろん、家の近くですれ違った見知らぬ相手でも軽い会釈をするくらいは、特別珍しいことでもなかった。今は親しくない相手に挨拶すると、怪訝な顔をされることもあるようだ。

 小さな頃、家に帰ると、母親が「手を洗って、うがいしてね」と言っていたが、いつ頃からか、うがいの習慣はなくなってしまった。
「習慣」で飲んでいた食後のお茶も、今は、みそ汁もコーヒーもない食事の時以外は気にならなくなった。
 日本茶は好きである。しかし、いつからか「食後はコーヒー」になってしまったのである。
 食後のさっぱり感を得る以外に、緑茶には虫歯菌を抑制する作用もあり、歯磨き粉のなかった時代の日本人の知恵だった。そのうえ、ビタミンCも多い。それを知って、しまったと思った。毎日自然に摂ることができたはずの、水溶性ビタミンCの含有量は見過ごせない。
 便利なことや好きなことだけを選択しているうちに、せっかく親がくれた習慣なのに、もったいなかったと思うことが時々ある。

 10年以上前になるが、スーパーで買い物をしていたとき、時々咳をしている私が気になったのか、近くの棚を見ていた60代くらいの女性が寄ってきて、「風邪にはダイコンとハチミツがいいんだよ」と丁寧に、どのようにして飲むかまで教えてくれた。
 想像すると不気味な味だったが、帰って、つくってみた。
 今では、おばあちゃんの知恵などとして本にも載っているので珍しくもなく、びっくりしたことに商品として売っているのも見た。
 考えてみると、最近、こんなふうに声を掛けられることが少なくなった。もう、教えてあげる側の年齢なのかもしれないが。
 心配して近寄ってくる見知らぬ人は少なくなったが、電車などで咳をしている人から、風邪をうつされたくないとばかりにあからさまに遠ざかる人はいる。確かに、進化し続ける未知のウイルスを避ける為にも近寄らないほうが無難かもしれない。ただ、1m離れたくらいでは、あまり意味がない。  
 
 親切に声を掛けてくる人を「最後に、何か買わされるのもしれない」と疑わざるを得ないほど、物騒なニュースも増えた。
 疑うのではなく、疑われない行動をとることも大切らしい。
 混み合っている電車に乗るときは、万が一にもチカンに間違われないために男性は極力、手を上にする。公園で、男の人が1人でいると、危ない人かもと疑われるので、ボンヤリ座ってもいられないらしい。
 これでは、「昔」や「知恵」「風習」に浸るどころではない。「昔は」という言葉を使う会話は嫌われることも多い。
 しかし、誰しも、自分が生きていた中での「昔」を持っている。その時、中高年だった人には、もっと前の「昔」がある。
「昔は」というときには、10代後半から20代くらいのことをさすことが多いようで、「昔」は少しずつ、ずれながら順番に巡っているのである。
 そして、「今」も、そのうち、誰かの「昔」になる。
 そのとき、この時代を良かったと言う人がいない、なんてことがないように祈っている。

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