表情と感情と気

2008.5.28

「…雑誌のグラビアページで、道路に腕組みしてニュッと立っていた。その顔を見て、何かしら唸ってしまった。笑い顔ではなく、どちらかというと苦虫を噛み潰したような顔。といってそれほど嫌なことを考えている顔でもなく、何かしょうがないことを漠然と頭に浮かべている顔。それはもう考えてもしょうがないんだという感じで腕組みして道路にニュッと立っている。俳優では絶対に作れない顔だった。何の気兼ねもなく、自意識過剰のカケラもなく、いつも自意識過剰でくよくよしている私などは圧倒された。これは凄い人だと思った。」( 常識論 赤瀬川原平著 大和書房より)
 色川武大氏の顔を、著者が写真で初めて知ったときのことを書いたもの。赤瀬川氏のこの本には、好きな箇所が多いが、その中の1つ。
 
 読んでいるうちに、かなり昔の記憶が蘇ってきた。
 小学校高学年のとき、クラスで1人ずつ、黒板を背に、教壇で顔写真を撮った。出席番号の順番に、教室にいる生徒たちが1人ずつ前へ行く。私の順番はあと少し。1人の女の子が前に進む。その子は、教壇に立つと、次の瞬間、思いっきり上下のマブタを見開いた。
  大きな目の、ハデな顔立ちの子なのだが、何が起こったのかと、目が釘付けになった。
 隣で、女の子たちのヒソヒソ声が聞こえてくる。「かわいく写ろうとしてるよね〜」。なるほど、そういうことか。そんなことは頭の隅にカケラもなかった小学生の私にも、より大きな目にしたのだとわかって、感心した。

 正確にいうと、写るときに何も考えていなかったわけではない。普通に写っていればいいなと思っていた。それ以上に、どう写ろうかということまでは、考えていなかっただけである。
 他の生徒も似たようなものだろう。もし、思ったとしても、みんなの見ている前で、あれほどはっきりとしたアクションは起こせなかったに違いない。
「普通に」と思い続けて久しいが、成功率は非常に低い。自然の流れの中で無意識に撮られたものに何枚かあるだけで、ほとんどが、どこかに不自然な緊張感がある。写真の中の楽しかった思いは蘇るのだが、写真を見ると、まるで楽しんでいないようにも見えるのが残念だ。

 この間、運転免許証のための写真を撮った。待っている間にコートを脱いだり、鏡を見たり、準備している人たちを見ているうちに、なぜか面倒くさくなってきて、ウールの厚手のコートも脱がず、そのまま、ポンとイスに座って撮った。
 そんなふうだったので、交付されたときには、もう期待もなかった。しかし、免許証やパスポート、証明写真、これまで何回も撮ってきた中で、もっともまともにーー楽しそうでもないが怒っているようでもないーー普通の、そのままの自分が写っていた。

 子供が写っている写真に、多くの人が心を捉えられるのは、写真映りのことなど考えていない、その表情の透明さにひかれるのだろう。真剣に仕事をしているときの大人の顔も、子供のそれと似ている。
 表情の中で、笑顔をつくるのは、高等動物も人間も、コミュニケーションをとりやすくするため。そして、人間は、自信がないのを隠すとき、嘘を隠すとき、自分以上に見せようと思うときなどにも、つくる。

 会話をしている間中、何回も起こるデジャブ(既視感)のように、寸分の狂いもない「笑顔」を何度も見ていると、その笑顔は私を素通りして、私の後ろにある、見えない鏡を見ているのでないかと思うときがある。
 その笑顔は私に向けられてはいるけれど、話に頷いてくれてはいるけれど、私は誰と話をしているのだろう、と不安になる。

 怒っている顔は、見ているだけで疲れる、という人は多いが、私には感情のこもらない美しい笑顔のほうが怖くて、疲れる。ドラマの配役でも、悪そうな顔の人が怖いことをするより、穏やかな優しそうな人が怖いことをするほうが100倍、怖い。
「あの人は、顔は笑っているけど、目が笑っていない」と聞くことがあって、"あの人"を観察していて、気がついた。目の小さな人の中には、光の量のせいか、角度によっては笑っているように見えないこともある。あるいは、黒目がちの瞳は、ときに冷たい表情に見えることもある。
 視力の弱い人が、目が潤んできれいに見えるとか、普通にしていても笑っているように見える顔の表情の人、というのとは逆のパターンである。つまり、見えている「形」から受けるイメージのほうが強くなるのである。

 表情や反応が乏しくても、温かい「気」に包まれているような感覚で、疲れない人がいる。逆に、すごく感じが良く、過剰なにぎやかさもなく、周りの評判も良い人なのに、後でドッと、疲れてしまう人がいる。
 相性や、表情や、その相手への自分の感情や、そのときの体調、話の内容など、いろいろな条件を比べてみたが、何が違うのかわからない。
 とすると、原始の脳が、何かを感じているのかもしれない、としか思えない。目や、理性の脳のように騙されない、何かが伝わっているのに違いない。
「人に気づかれないのが本当の優しさ 本当の親切」と島田洋七氏の佐賀のがばいばあちゃんも言っているそうだから、「本当の笑顔」も見えないものなのかもしれない。

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