六道珍皇寺と小野篁

2008.6.1

 鴨川と清水寺の間、京都東山区、東大路道の西側に、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ・ちんこうじ)がある。
 通称「六道さん」、別名「愛宕寺」(おたぎでら)。
 号を大椿山(たいちんざん)。臨済宗建仁派に属する。
 阿弥陀ヶ峰(鳥部山)山麓に居住していた鳥部氏の氏寺(宝皇寺)の前身、あるいは空海(弘法大師)の師、奈良・大安寺の慶俊僧都(けいしゅんそうず)創建説、小野篁(おののたかむら)創建説など、寺の創建には様々な説がある。
 もとは天台宗で、空海(弘法大師)の真言宗 東寺の末寺だったこともあり、室町時代に建仁寺(けんにんじ)の僧、聞渓良聰(もんけいりょうそう)が再興して、臨済宗となる。
 薬師堂にある、伝教大師 最澄作と伝えられる本尊、木像薬師如来 座像は、重要文化財。他に、毘沙門天像(弘法大師作)、地蔵菩薩像、また、寺宝 地獄絵「熊野観心十界図」などがある。

 六道とは、仏教でいうところの「六道輪廻」のこと。現世の役目を終えると、生前の行ないによって、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天上界の6つの世界のいずれかに生まれ変わること。
「六道の辻」と書かれた石碑が、六道珍皇寺の門の手前、西福寺の塀の横に立っている。「六堂の辻」とは、6つの世界が集まったところで、この世とあの世の境目でもある。ここで僧侶に引導を渡してもらい、葬送地に送られる。
 東の葬送地は「鳥辺野(とりべの)」。西の葬送地は「化野(あだしの)」。北は「蓮台野( れんだいの)」。六道珍皇寺の門前を通る松原通り(旧 五条通り)は、鳥辺野へ向かう道である。
 現在の「鳥辺野」は、清水寺の南西、山腹にある墓地を指すそうだ。

 六道珍皇寺では、毎年、8月7〜10日には「六道詣り」という精霊会(しょうりょうえ=盂蘭盆会 うらぼんえ)があり、霊を現世にお迎えするための「迎え鐘」が鳴らされる。鐘は境内のお堂の中にあるため見ることはできないが、鐘楼の裾にある開口部から伸びた綱を引いて鳴らすことができる。ちなみに、お盆以外は、「迎え鐘」は「慈しみの鐘」となるので鳴らしても、霊が帰ってくることはないそうだ。
 対をなす「送り鐘」は矢田寺にある。8月16日の京都五山の「大文字焼き」の送り火で、霊を霊界にお送りする。
 北の葬送地、蓮台野にある「引接寺(いんじょうじ)」、通称、千本閻魔堂の精霊会も有名で、こちらも小野篁ゆかりの地とされている。

 六道珍皇寺の門をくぐった右側にある小さな祠は、閻魔堂あるいは篁堂(たかむらどう)と呼ばれ、中には、江戸時代につくられた小野篁像と、篁作の閻魔大王 座像などがある。
 また、本堂の西側奥には、小野篁が冥界への入り口としていた「冥土通いの井戸」がある。井戸の横にある、霊木、高野槙(こうやまき)の枝を井戸に垂らし、それを伝って冥界に行くのだそうだ。

 
小野篁(802〜852年)は、参議 小野岑守(みねもり)の子。平安初期の官僚、文人、歌人で、貴族でありながら、武芸にも秀でていた。嵯峨上皇の怒りをかい、隠岐に流されるが、その才能を惜しまれて、帰京を許され、参議、いわゆる高級官僚にまでなる。亡くなる前には従三位 左大弁。
 反骨精神旺盛で、奇行が多いことから「野狂」や「野相公」「野宰相」といわれていたそうだが、昼は高級官僚の小野篁が、夜になると井戸を通って、なぜ、冥界に行くのか。不思議である。
 史書にある小野家系図では、小野篁は、閻魔庁の冥官とされているそうだ。先祖にあたる小野妹子、孫にあたる小野小町らにも、不思議な話があるそうで、謎の多い一族なのである。


「今昔物語」第20巻には、閻魔大王が判決をくだす際に、小野篁が冥官として手伝いをしていたという話が載っている。
 原文では、学生の頃の過ち、となっているが、遣唐使の際のことといわれている。
 836年、30代半ばで遣唐副使になった小野篁は、1度目は遭難して、失敗。2年後に渡航が決まるが、遣唐大使の藤原常嗣が嵐で破損した自分の船と、篁らが乗る船とを交換してくれと言ってきた。上司にあたる常嗣に逆らうわけにもいかず、船は交換したものの、破損した船には乗りたくないので、仮病を使って、遣唐副使の役目をさぼってしまう。そればかりか、遣唐使が無意味だという内容の「西道揺」(さいどうよう)を詠む。
 西三条大臣、藤原良相(ふじわらのよしみ 811〜867年)に、篁は窮地を救われるが、官職は奪われ、隠岐に流されてしまう。
 ときを経て、藤原良相が重病で死んでしまう。閻魔大王の前で判決を待っていると、そこになぜか小野篁がいた。冥官の姿をした篁は、藤原良相の人柄や、これまでの仕事ぶりを話し、その進言により、再び藤原良相は生き返らされる。
 あるとき、ようやく2人になる機会を捉え、あの冥界でのことを篁に問うと、以前、助けてもらったことに感謝しており、当然のことをしたまでだと言い、自分は、冥界で閻魔大王の手伝いをしていると話す。ただし、人にはくれぐれも内密に、と。
 しかし、藤原良相は、篁の正体にあまりにも驚いたため、黙っていることができず、噂がひろがってしまった、そうだ。


 今昔物語の他にも、大江匡房(おおえまさふさ)の「江談抄」(ごうだんしょう)などにも同じような逸話が載っているらしい。
 ちなみに、この世に戻ってくるときに使う井戸は、嵯峨野の福生寺(ふくしょうじ)にあった。今は廃寺となり、井戸もないそうだが、嵯峨野・清涼寺山内の薬師寺に、その伝承が伝えられている。


 他の逸話によると、小野篁は、閻魔大王も助けている。 
 奈良県大和郡山市にある、紫陽花とお地蔵様で有名な、金剛山寺(矢田寺)の「矢田地蔵縁起」にある。
 罪深い衆生(しゅじょう)が多くて辛い、とこぼす閻魔大王に、自分の師、満慶上人(まんけいしょうにん)を連れて行き、菩薩戒を受けさせた。お礼に、満慶上人は「地獄」を見せてもらうが、そこで苦しむ人たちの身代わりになっている地蔵菩薩に逢い、そこから矢田寺の地蔵信仰が始まったといわれている。


 滋賀県滋賀郡志賀町小野に、小野篁神社があり、本殿は重要文化財に指定されている。隠岐に配流されたときに詠んだ歌碑がある。


参考:
http://kaiwai.city.kyoto.jp/search/view_sight.php?ManageCode=1000245&InforKindCode=1
http://www.kyototsuu.jp/Temple/RokudouChinnouJi.html

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