ムシできない

2008.9.10

 角を曲がった瞬間、2mくらい離れたところを、天から何か白い物が降ってきた。男性の紺色のスーツの背中を通るときだけ、白い色がよりハッキリ見えた。
 男性の立っていた頭上には電線がある。鳩の止まり場所になっている。
 そう、男性は気づかなかったが、あと、10cm立ち位置がずれていれば、あの、男性のスーツは、鳥の糞で汚されていたことだろう。
 時々、糞が落ちてきたという人の話を聞くが、まさにその瞬間、になりそうなところを目撃してしまったのである。しかし、その男性は、まったく気づいていない。
 気がつかなければ、何もなかったのと一緒。そういうことって、案外多いのかもしれない。


 ゴキブリも気がつかなければ、いないのと一緒だ。しかし、そう上手くはいかない。
 階段を上ろうとして、ふと、ゴキブリと目が合う。どこに目があるのかわからないが(知りたくもないが)、確かに、こちらを見た。あきらかに、ゴキブリは戦闘態勢に入った。と思う。
 ゴキブリの憎らしいところは、普通、虫は、音のする方、風や振動のある方へ向かってくることはないが、ゴキブリだけは威嚇するように突進してくる。(道ばたでも、居酒屋でも、そうだった)
 階段のゴキブリと睨み合ったまま、2秒。そのゴキブリを越えて、階段に足を乗せることより、離れた位置にある別の階段へと廻ることを選択した。

 夜、街灯があたっていないため、ますます黒くなったアスファルトの上を動くゴキブリにも結構、気づく。
 そういえば、なぜか自分の左側に見つけることが多いことに、今気づいた。
 あるときなど、あわや、一緒に歩いていた男の人の革靴の下敷きになるところだったので、声を出す間もなく、慌てて、男の人をどついた。
 いきなり、押されたその人は、何が何だかわからない顔で、ポカンと、私の顔を見ていた。 


 つい先日、帰るため駅に向かって歩いていると、左前方の道で、何やら白い物がうごめいた。焦点を合わせると、長さ10cmくらいの巨大蚕のような物体がもぞもぞ動いている。
 あまりの不気味さに、形状からして飛んでくることはないと思ったが、目をそらすことが出来ず、見つめながら側を通り過ぎようしたとき、左後方から追い越そうとした男性の足が、目の端に入ってきた。
 ああ、そのままだと踏んでしまう、と思った瞬間、道路を注視しながら歩いていた私に気づいたのか、「ん?」と言いながら、虫を発見して、歩幅を修正し、なにごともなかったかのように携帯電話で話しをしながら、通り過ぎていった。
 私は、そのなんだか得たいのしれない虫の、命の恩人になってしまった。
 あんな、大きな靴で踏まれていたら、虫の直径は2cmくらいあったと思うが、命はなかっただろう。しかし、あれは何だったのだろう。


 視力がいいわけでもないのに、なぜ気がついてしまうのだろう。小さな蟻を、ちょうど降ろしかけた靴の下に見つけて、慌てたこともある。
 小さなゴミが部屋に落ちていても、きっと気づかない。動かないからだ。 
 自分では気がつかなかったが、虫が道ばたにたくさんいるということが気になり始めてからは、下を見て歩くことが多くなっているのかもしれない。夜の雲を眺めるのは、案外、おもしろい、と思って、空の見えるところを選んで帰るように。
 嫌いな物を見るために、わざわざ下を見て歩くこともないと思うが、靴の手入れをしようとして、もし、靴の裏に、なにかの痕跡を見つけたら、と思うと……。


 外で会う虫はまだいい。
 先日、台所の床に2cmくらいの細長い緑色のものが落ちていた。野菜の切れ端かと思ったら、わずかに波打って動いている。
 やや、かがんで見つめると、小さな、案外、かわいい青虫。買ってきた野菜にでもついていたのだろう。
 無農薬野菜は特に、洗っていると時々、葉の中から「こんにちは」と虫が顔を覗かせることがある。阿鼻叫喚。大騒ぎになる。


 ある時、ベランダに蝉が仰向けに転がっていた。怖いが、解けて無くなりそうもないので見なかったフリをするわけにもいかない。ゴミ箱には捨てたくない。土に返すのが妥当だが、そんなに長く、持っていられそうにもない。
 そのとき、ベランダの下に、高い植え込みが見えた。 
 そこで、雑誌の表紙を切り取り、そっと、すくいあげ、そのまま樹の上に。枝を伝ってそのうち、下に落ちるだろうと考えたのだ。少し乱暴だが。
 それに、紙の上に乗っているとはいえ、そのくらいの時間が持っている限度だ。
 翌日覗いたが、蝉はそこにいた。2週間くらいして、ようやくこの間の大雨で落ちたようだ。ところで、これは、不法投棄なのだろうか。


 立っている人がほとんどいない電車の中で、1mくらい離れたところを、胴体の丸っこいものが飛んでいるのを発見した。
 動体視力は良くないが、なぜか、「クマバチ」だと思った。
 少しずつ少しずつ、こちらに近づいてくる。
 電車のドアの前に立っていたので、一歩ずつ後ずさりしていると、いきなり速度を増して、近くに立っていた男の人へ突進してきた。気づいた男の人が手ではらったためバランスを失ったのか、一瞬、こちらへ来そうになったが、態勢を立て直し、方向を変えて座席の方へ飛んでいった。
 目で追うと、座っている男の人の太ももあたりに舞い降りた。きっと、さっき、手で払われたショックを癒そうとしたのだ。
 しかし、あの人は刺されてしまうかもしれない。どうするだろう、と見ていると、ジッと虫を見たその人は、次の瞬間、手でつかみ、そっと足下の床に置いた。そして何事もなかったように本を読み始めた。隣に座っていた男の子2人のほうが、手でつまんだことを逆に驚いて騒いでいた。
 私から3mほど離れた床をヨタヨタ歩いている虫に焦点を合わせると、体が緑色っぽい。クマバチではなかったようだ。そういえば、ハチはきっと、夜は行動していない・・。
 

 家の前の道は、通り道になっているのか、アゲハチョウやシジミチョウによく遭遇する。動物は例外なく子供のほうがかわいいものだが、虫は大人になったほうがかわいい。ゴキブリは別として。
 本当に。好きと嫌いは背中合わせ。どちらも関心があるから、目に止まるのだ、と思う。
 人間は嫌いが好きに変わることもたまにはあるが、虫はそういうわけにはいきそうにもない。

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