相手の立場に立つと〜レトロウイルス(retrovirus)

2008.9.15

 ある、無罪が確定した裁判について、法律と一般感覚との隔たりを改めて感じた。頭では理解できても感情や気持ちがついていかない。
「罪を犯したかどうかを確定することができないため判決は無罪だが、それが罪を犯していないということと必ずしも一致するわけではない」というテレビのコメンテーターの言葉を聞いて、少しだけ納得しながらも、ふと思った。
 通常の感覚では、正しいか間違いかは、道徳や常識などといわれるものや、時代、世代なども基準となり、もっとつきつめて個人レベルで考えると、自分にとってどうなのか、であることが多い。極論すれば、個人レベルでの良いか悪いかは、人によって正反対の場合もある。
 だからこそ、そこに法が存在する。
 多くの動物にとってあまり良い存在とは思えないウイルスやガン細胞なども、相手の立場に立つと、同じ生物として自分を増殖させることは悪いことではない。ただ、「自然界のものには意味があり、すべて存在価値がある」と、おおらかな気持ちにはなれないだけである。

 生物の定義に「細胞からできているもの」(細胞説)というのがある。そのため、細胞を持たないウイルスは、生物になるかどうか、分かれるところらしい。
 ウイルスは、核の中に遺伝情報を持っているが、ミトコンドリアなどの器官は持っていない。他の動物細胞のように、細胞膜を通して、栄養や不要になったものなど様々な物質交換を行なっているわけでもない。つまり、増殖(遺伝情報を伝える)するためには、他の生物(細胞)の存在が不可欠なのである。

 1911年に行なわれたペイトン・ラウスの実験(発ガン性ウイルスの発見)は、1958年に証明されて、そこから、12年後の逆転写酵素の発見につながった。
 逆転写酵素の発見は、DNAの遺伝情報はRNAに転写されて、子孫に伝えられるという、それまでの常識(セントラルドグマ)を覆した。RNAの情報をDNAに逆転写できることがわかったのだ。
 逆転写酵素を持つウイルスには、ガン細胞や白血病、エイズなどを引き起こすものがあり、逆転写という言葉を省略して「レトロ」ウイルスと呼ばれる。
 細胞内の染色体の中には、RNAに複写し、逆転写酵素でDNAに逆転写されることで転移するレトロトランスポゾン(Retrotransposon。レトロポゾンとも呼ばれる)が存在している。
 それが、別の細胞や、あるいは別の個体に移動できるように進化したのが「レトロウイルス」だといわれている。
 レトルウイルスは、細胞の遺伝子に潜り込んで(プロウイルス)、自分の遺伝子を伝えていくのである。

 もともと、遺伝情報はRNAが持っていたという説がある。(RNAワールド仮説)
 しかし、RNAは不安定で壊れやすかったため、35億年以上前の原核細胞(細菌、バクテリアなど、生命の起源となった細胞)の誕生と共に、逆転写酵素によりDNAが遺伝情報を持つようになる(DNAワールド)。
 レトロウイルスはそのままRNAに遺伝情報を持ったまま生き続けた。
 今のところ、RNAに自己複写能力があったということは証明されていないらしいが、1980年代に簡単な反応に触媒することができるRNAの発見があり、RNAワールド仮説は真実味を帯びてきている。
 細胞内にある、タンパク質とRNAで構成されている「リボソーム」は、タンパク質の合成を行なっているが、その働きはRNAが主体となっている。

 人間の細胞の中には、病原性レトロウイルスが2種類あるといわれている。エイズの原因となるヒト免疫不全ウイルス(HIV)と、成人T細胞白血病の原因となるヒトT細胞白血病ウイルス(HTLV)である。

 ウイルスたちは、自分の遺伝情報を伝えていくために、巧みな戦略を考え出した。
 しかし、自分だけでは増殖できないゆえに、相手を滅ぼしては身の破滅である。生かさず殺さず。まるで、世の中に蔓延る、相手を利用して起こす「極悪」な行為にも似ている。
 多少の「悪」は必要悪などといわれて、かえって貴重な存在である。細菌やストレッサーなどと共存し、乗り越えることは、成長の助けにもなる。
 しかし、人間の「極悪」は、次から次へと法の網をくぐり抜ける。イタチの追いかけっこである。ウイルスのように自らの生存をかけた闘いでもないのに。 

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