ポッサラッセの最近の活動

        2012年5月五行歌
 

   「男も女も一緒じゃん、人間じゃん」

    口癖に

    オレの横浜弁真似する

    大阪生まれの孫娘、小四

    方言より台詞が気に入ったらしい

 

    あぁ、嬉しや

    食膳の

    グラス一杯の冷酒

    今日一日の濁りを

    追い出してくれる

 

    大きな幸福も

    小さな幸福も

    幸福に変わりはないか

    大地の空気も

    部屋の空気も同じように

 

      私は

      一服の清涼剤

    みなの

    口の

    ハッカになればいい

 

      腹を割って話したい!

    必要ない、と大きな口を開け

    あの蛙みてごらん。口開けて腹の中丸見え!

    あのざくろみたいに口開けて心の中丸見え!

    解った、割らなくて結構

 

    彫の深い

    欧米人

    目鼻立ちだけじゃない

    個性まで深い堀を

    巡らしている

  

    あの凶暴で

      快楽的で

    エゴイストな

    女を見てみろ

    あれがゲルマンの血だ

 

    欧米人は

    察しない

    いわなきゃ解らない

      察して欲しいと思うのは

      甘えの構造

  

      控えめと

    察しは

    一対の

    美しい

    「日本コード」

 

    遠い過去を見てるの

      遠い未来を見てるの

      過去を回想してるの

      未来を先取りしてるの

    あなた、双眼鏡手にして

 

    木へんの中で

    さんずいへんと戯れ

    月へんを案じながら

      魚へんを愛でる

    示へんの日々

 

    行間に潜む

    行間の

    そのまた

    行間に潜む

    真実

 

    5月のエッセー         欧米人と日本人

    一般的に、彫の深い、目鼻立ちのはっきりした欧米人と、凹凸
    の目立たない顔つきの日本人を見比べていると、欧米人は鼻と
    頬に段差があるように自分と他人の間にも深い堀があると思え
    てくるが、日本人は鼻と頬に大きな段差がないように自分と他
    人の間も陸続きの仲のように思えてくる。これは人種差別的に
    いっているのではない。単に貴我の違いをマンガチックに譬え
    たものに過ぎない。

 

  彫の深い

欧米人

目鼻立ちだけじゃない

個性まで深い堀を

巡らしている

 

都会のオフィス街を颯爽と一人で歩いて行くアメリカ人女性に対し二人仲よく手を組んで楽しそうに笑いながら歩く日本人女性、昼食時でも口角泡を飛ばし何か言い合っているアメリカ人男性に対し群がって黙々と口にものを運んでいる日本人男性の光景をみるにつけ、これらのことの実感が湧く。

欧米人は一人一人が独立していて自分と他人の間に空間的物理的距離を保ちたがるように見える。が、日本人は隣り合わせに座り“袖摺り合う仲”で“和気藹々”と群れていることを喜ぶ。

欧米人は何よりも議論好きで、挨拶代りに相手の言い分に「ノー(違う)」とゲームでもしている気楽さで応える。が、日本人は相手の顔色を伺い「そうは思いませんが、…」とやんわりと感情的にならないように反論する。

欧米人も日本人も同じ人間だが、なぜこうも違いが起きるのだろう。それはどこから来ているのだろう。

思うに彼らの先祖はそもそも北方の厳寒の地、ゲルマンの森から民族大移動でヨーロッパに移住してきた自由奔放な狩猟民族で、先住民やラテン民族と常時、食うか食われるかの戦いをしてきた粗野で凶暴な野蛮人である。森の中では外敵から自分という「個」を守らねば生きて行けない。この本来ひ弱な「個」を守り、外部の衝撃に押し潰されないことが「個」の「自由」だった。この「個の自由」を価値体系上、最上位に位置づけたのが西欧の近代化だった。「自由」がなければ「個」はない。

一方、日本人は周囲を海に囲まれ、島国で多民族の侵入も少なく、自然と一体となって働く農耕民族だった。ここでは「個」人の自由というより集団の自由を守ることが第一義であり、その集団の中にうまく個を溶け込ますことが必要だった。もちろん、日本にも戦国時代という弱肉強食の時代はあった。日本人も欧米人も基本的な人間性は同じだが、生きてきた地理的歴史的条件の相違が違った価値観を生みだし、行動パターンにあらわれただけのことだろう。

森という自然を征服してきた野蛮人はヨーロッパの地でギリシャ・ローマの古代文明に触れ洗練はされたが根は自由に生きるゲルマンの森の住民だった。ローマ風の「法の支配」を知り、ギリシャ風の「理性」を働かせ、キリスト教の「愛」を以って他人と食うか食われるか、支配するか支配されるか、の真剣勝負に挑んできた。

中世におけるローマ教会の教権や絶対王政や封建領主の圧政に苦しんだ民はプロテスタンティズムを叫び神との直接対話を、また王政打倒を目指しフランス革命を、アメリカ独立を勝ち取った。それはみな、欧米人たちは「法の下での理性による勝利」だと考えた。

日本人同士仲よく和を以って尊しとなす伝統は聖徳太子以来、紆余曲折しながら、長い年月を経て醸成されてきた価値観である。食うか食われるかの深刻な他者との対立抗争よりも他者の気持ちを忖度し対立が起こらないように相手を気遣い、配慮する情緒的行動を「和の精神」として優先してきた。

欧米人の、「支配するか」「支配されるか」の人間関係、「自由な個人」同士の間の人間関係、それに集団生活を維持するためには、「法の支配」が必要であり、「法の正当性」を成員に納得させるためには「理性的なもの」としての「法」または「ルール」の「客観的普遍性」が必要だった。つまり「原理原則」で動くことが必要だった。そこに感情的、情緒的人間関係の入る余地はない。情緒は理性の弱さを証明するようなものだと、考えてしまったからだろう。

一方、日本人は集団の中での個の自由を守ろうとする。集団や組織との情緒的一体化のためには、「ヘ理屈並べず」「あまり固いことを言わずに」、「丸く納めよう」とする情緒的言動が最優先される価値体系を持つ。

欧米も日本も自由な民主主義を奉じることに違いはないが、「個人」や「自由」に対する考え方はまるで違う。欧米人は、「自由な個人」を確立した後、集団、社会の秩序を維持するために必要なものは「法の支配」と考えた。が、日本の個人は所属する集団の中での社会的個人であって、その中での制約された自由である。まず、集団の秩序維持があって、そのなかで、「個人の自由」への欲求も満たそうとする。日本の組織で生きて行くためには個人の自由を殺す必要すら出てくることがある。最近、「個性豊かな人材を求む」の広告をよく見かけるが、これはあくまで組織を乱すことのない限りの個性であって、欧米的個性ではない。

欧米人も日本人も人間である。人間には理性的側面も感情的、情緒的側面も元々備わっている。この相矛盾する側面のどちらを優先し、どちらを犠牲にするか。理性を立て情緒を犠牲にするか、情緒を立て理性を犠牲にするか、その価値観問題であって善悪や優劣の問題ではない。

欧米人が彼らの尺度で日本人を測ると、日本人の控えめな初対面のスマイルは理解しがたいし、日本人が自分たちの尺度で欧米人を測っては、彼らの遠慮会釈のない不躾な最初からのノーには戸惑う。

ジャングルで人を見たら敵と思って剣を構えた「不信」ベースの欧米人と野で人を見たら仲間と思い微笑み返す甘えの「信」ベースの日本人の行動様式に違いがあるのは当然だろう。この深層心理の違う欧米人と日本人が互いにその行動様式を理解するのは至難の技だが、少しでもこの違いを知ることが重要である。異文化交流と異文化理解の必要性はここにある。                  (2012.5.23)

 


        

      2012年4月五行歌

          センスは角度
      腕は長さ

         根気も長さ

        
それで決まる
        
芸術作品三角形

        
あのジャブは
        
魚狙って
        
急降下する
        
鳥だ
        
亀田興起を観た夜

         魔法にかかった
        
極楽鳥と孔雀
        
色香だけ残して
        
空気となって舞う
        
音楽サロン空間

        
白地に
        
赤い旭日も
        
今や
        
冴えない
        
曇天の斜陽

         遊休老年
      
重圧借金

         
瓦礫の山
        
満載の方舟
        
漕ぎ手無し

          定年後守護神

        
絵画
        

       音楽
       詩歌
    
       

       朝に
       聴く
       蜘蛛の巣の
       妙なる
       隻手の声

          (蜘蛛の巣でできたヴァイオリンの弦の事を聞き、
           「隻手の声」は白隠法師の禅の公案)

      丘に
      立ちて
      海を呼ぶ
      シベリアンハスキーの
      叫び



     2012年4月のエッセー(芸術作品三角形)

    

      芸術作品三角形

     齢重ねて喜寿に達し、ついに人生の第四コーナーを曲がった。
   ここから真っ直ぐにゴールインしたいものだ。昨秋は齢相応に
   大病を患い、少し気弱になっていたが、暮れにはほとんど完治し、
   今年に入ってからは「ポッサラッセ展」なる喜寿のイニシエー
   ションをしたので、もうすっかり新たな気分になりまた新たな
   気力が湧いてきた。

   「人生、六十からがおもしろい」と唱え、「遊、友、優、悠」を
   モットーに、趣味三昧を生きて十六年、かつての仕事人間も今で
   はすっかり変身、趣味生活が板についた。顧みてこんな五行歌を
   詠んだ。

         定年後守護神
         絵画
      

         音楽
         詩歌

     いずれも六十五歳以後に始めたものばかりだが、十年経つとそれ
   ぞれの分野の美的境地が少しずつ見えてきた。どの分野において
   もプロがおり大家がいる。それらの人たちの行きつく美的境地と
   私のそれとは初めから比べべくもないが、私は私なりにそれぞれ
   の美的境地を楽しむと同時に多分野に共通した、あるいはその相乗
   効果として生まれる美の境地を楽しむことができた。そこで詠んだ
   もう一つの五行歌。

         センスは角度
      
腕は長さ
      根気も長さ
      それで決まる
      芸術作品三角形

      三角形は二辺の長さとその間の角度で決まる。どんな三角形がで
   きるかはその三つの要件によるが、芸術作品の場合、いや、芸術に
   限らずどんな分野でも腕前のよさと根気のよさ、それに挟まれる
   センスのよさが物をいうだろう。
    
センスはラテン語のsentireが語源で「感じる」こと。つまり感性。
   五感または六感からくる審美眼でもある。それをもっと広く解して
   個性と言ってもいい。絵心とか歌心があるというのもセンスだろう。

   腕、腕前は才能。文才、画才、詩才などを指す。これは生まれ
   もった才能でもあろうが、多分に後天的に養った能力でもある。訓練
   に訓練を重ねて習得、修得した結果は生来的とも後天的とも区別がつ
   かなくなる。これはセンス、感性や審美眼と大いに関係するが、ここ
   では感性とは違う別の能力として一応区別しておきたい。

    根気は一つのエネルギーである。根気が続く、続かないは才能を伸
   ばす上で、あるいは才能を発揮する上で大いに影響する。折角の才能
   も根気が続かなければ萎れてしまう。この根気には忍耐力や集中力も
   含めておこう。どれだけ物事に一心不乱に集中できるか、どれほどの
   長さ集中できるか、耐え忍べるかが物事の決め手となる。

   さて、この三要素による芸術作品三角形はどんな形をとるのだろうか。
   たとえば、絵の場合、具象画も抽象画もあるいはまたマンガ画も絵に
   は違いがなく、またそれぞれに根気よく画才を発揮して描いたもので
   あっても作品は自ずと違う。これはセンスの違いだと言ってもいいだろう。
   センスが似通い、画才も同じくあるが、根気の続く人と続かない人で
   は作品三角形も変わってくる。

    定年後始めた趣味のグループで一番気付くのはセンスの違いである。
   活動する回数も時間もほぼ同じ、習得程度も集中力も大きくは変わらない。
   が、センスは大きく違う。これが作品の違いを大きくしている。

   センスは感性、審美眼、個性と言ったが、これは氏育ち、性格、家庭
   環境、幼少体験、住環境、生活体験、社会体験、時代背景、教養、衣食住
   の好みなどの総和から生まれた結果だろう。それがどのようなものか、
   実は本人ですらよく解らない。しかし、色んな芸術活動をしているうち
   に自分の持てるセンスらしきものがだんだん見えてきて、それがどんな
   分野においても角度となる。私の場合、それは詩的雰囲気だと言いたい。
   絵でも書でも音楽でも詩歌でも詩情が漂わなければ私の作品ではない。
   これは、何事かに一筋に生きたプロと色んな社会体験をしてきた私の
   センスの違いだろう。出来上がる作品の雰囲気が違うのは当然である。

   絵を描いているとクラシック音楽が聞こえ、クラシック音楽を聴いて
   いると絵が浮かぶ。書も同じ、太く逞しい線を走らせていると、フルート
   の長く太い響きが聴こえ、微妙にかすれた線を書くと細く消え入りそうな、
   味のあるフルートの音が聞こえてくる。音楽は聴くだけだが、その聴いた
   味わいや印象を何とか文や詩にしたくなる。できるかできないかは文才や
   詩才によるが、したくなること自体が一種のセンスだろう。

   人生第四コーナーを回った今からはラストダッシュとして、芽生え自覚
   した、この自分のセンスをもっと煮詰め、磨き、センスに撚りを掛け、
   何らかの新境地を発見したいものと考えている。これからどんな芸術作品
   三角形を創り出せるか楽しみである。

                    (2012.4.28)

 




          2012年4月の油絵  「花園」 8号

        





  2012.3.19           異文化について

       昨夜、あるお宅のホームシアターでモノクロの懐かしい戦時中の映画を見た。
    途中で入ったので題名は知らないが、ゼロ戦に乗る特攻隊スタイルの若者と六、
    七才の丸刈りの子供たちが映っていた。見た瞬間に思わず、あぁ、あの子はオレ
    だと思ったぐらい懐かしいフィルムだった。

    昭和十一年生まれの私が物心の付いた三、四才の頃、初めて聞いた言葉は
    「紀元二千六百年」、街中がこの言葉ではしゃいでいた。意味はよく解らなかったが
    言葉だけはいまだに耳に付いて離れない。それは神武天皇から昭和天皇まで続く皇族
    一系の歴史で昭和十五年(西暦1940)がまさしく2600年目に当たるというの
    だった。皇紀2600年ともいわれ、大戦中に生まれた海軍の戦闘機、ゼロ戦はこの
    2600年の0に因んで付けられた。

    今年は、そんなわけで紀元または皇紀2672年に当たる。

    それはともかくとして私が終戦を迎えたのは小学四年生、年齢にしてまだ九才の時。
    軍国少年とはまだ言えず、国粋主義的な価値観はほとんど芽生えていなかった。そんな
    無邪気な時期に目にしたのが進駐軍で、いかにも彼らは格好よく、また街を走る将兵の
    車はパッカードやナッシュというアメリカの高級車で少年の目を惹いた。米兵から貰っ
    た缶詰の缶には摩天楼が描かれていたし、中学の英語のリーダーにはエンパイア・
    ステート・ビルや自由の女神の挿絵が描かれていた。私はこんなアメリカを憧れずには
    いられず、いつかアメリカに渡るぞと大志を抱く少年に育っていった。

     以後、日本の復興とともに成長して行くが、当時は、テレビはおろか電話すらない
    時代、英語のテキストを通じて知るアメリカはいわば針の穴から覗いたアメリカだった
    が、それに憧れ続けた。甲斐あって商社に入った私には意外と早くチャンスが巡ってきた。
    米国駐在の辞令を受けたのがケネディー大統領暗殺の頃、東京オリンピックの一年前
    だった。初めて降り立ったロサンゼルスには片側六車線の高速道路が縦横無尽に、しか
    も立体交差で走り、その上を大型のアメ車がビュンビュンと飛ばしていた。一年後には
    夢にまで見た憧れのニューヨークに着き、ブルックリン・ブリッジから眺めた実物の
    エンパイア・ステート・ビルに感無量となった感激、感動はいまだに忘れられない。

    当時のアメリカはまだヴェトナム戦争を知らないパックス・アメリカーナ(平和な
    アメリカ)の真っ只中、目も眩むばかりの物質的に豊かな黄金の六十年代だった。
    日本との格差は優に十年はあり、その豊かさの中で洗礼を受けた私は完全にアメリカ
    信奉者になっていた。

     それから後、七十年代にはオーストラリア、シドニーに、また八十年代にはニュー
    ヨークに駐在し、通算十年、海外で生活しているうちにいろんな異文化に触れてきた。
    アメリカもオーストラリアも移民の国、そこには世界各地から移民してきたいろんな
    人種、民族がいて、だれもが声高に自己主張しなければ生きていけない社会だった。
    そこは日本と大違い、単一民族の日本はまるで正反対、全員仲良く生きて行くために
    和を以って尊しとなす伝統は聖徳太子以来のもの。出しゃばって和を乱すような言動
    は厳に慎まなければならない社会だった。

     九十年代には定年となり、以来、年に数回、音楽関係でニューヨークはじめヨー
    ロッパの各地に出掛けることが多くなった。かつてと違い今度はアーティストの立場
    からいろんな文化現象を見る機会が多くなった。芸術家、つまりアーティストは個性、
    その持てる天性、なかでも感性を存分に活かさなければならない存在だが、どうも
    観察するに、出しゃばることをよしとしない日本人は感情表現が下手だし苦手、
    指導者は指導者で生徒の天性、天分を見抜いて伸ばすより、間違いのない標準的な型に
    はめようとして内面よりも技術面に拘る。そのため多分に教科書的な人材は養成され
    るが、面白みのある、個性豊かなアーティストは育ちにくいようだ。

     それはそれとして、このように過去約半世紀、二十八才から七十六才まで何らかの
    形でいつも欧米文化と接触するうちに却って一体、日本とは何ぞや、日本人とは何ぞ
    やという疑問があらためて湧いてきた。

      私たちは古い文明といえば、エジプトやメソポタミアあるいは中国を思い浮かべが
    ちだが、実のところ国としては、日本が一番古い国だそうだ。それが冒頭に述べた
    紀元または皇紀2672年で、かくも長い間、脈々と生きてきた国は世界広しといえ
    ども日本以外にない。
     戦後、神話は非合理、または非科学的として占領軍によって排除されたが、神話の
    ない国はない。ケルト族の神話、北欧の神話、中国の神話、身近なところではキリスト
    の神話、キリストが処女マリアから生まれたのは非合理、非科学的ではないというのか。
    そういう意味でわれわれはわれわれの神話を再認識する必要がある。そうして忘れら
    れた、あるいは意図的に避けられた日本の国創りに今こそ思いを巡らしたい。

     そんなことを考えていた折も折、湘南国際村に新しい同好会が誕生した。その名を
    「異文化交流同好会」という。この村には海外生活経験者も多いからきっとおもしろ
    い会に発展するだろう。実はその会の代表に私が祭り上げられたのである。
                             (2012.3.19)


   

  2012.3.18    ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタを聴いて

        

今日(三月十七日)、上野の東京文化会館に漆原啓子&練木繁夫両氏による

ベートーヴェンヴァイオリンソナタ全十曲の演奏を聴きに行った。ベートー

ヴェンが二十年近い歳月をかけて創り上げた十曲のソナタをたった一日で全

曲年代順に演奏しようと言うのだ。そのエネルギッシュな意欲とエクスパー

トネスに聴く前から感服し脱帽した。第一部は14時から第一番から第五番ま

でを、第二部は18時から第六番から第十番までを演奏した。私はこのうち

第二部だけを傾聴した。

 

道すがら、今日はどのような聴き方をしようかと実は迷っていた。いつもの

コンサートだと色々バラエティに富んでいるのでそれぞれの音色を楽しんでお

ればいいのだが、今日は勝手が違う、もっと音楽のイデーとか音楽性を味わう

べきかと思ったが、そんなおおそれたことができる手合いではない。それでも

聴いた以上はその感激、感動を何らかの形で表現するのが聴衆の演奏者に対す

る礼儀だと弁えている私だからいよいよ迷うのだった。しかし、入口でもらった

案内書にちゃんと書いてあった。悩むなど心配無用、どのように聴いてもよい。

そもそも「音楽会の理想的な聴き方」などあろうはずもない、と、音楽評論家

が宣たもうていたのだ。救われた気持ちになりながら、例の岩窟を思わすホー

ルに入って行った。

 

定刻きっちり緑のイヴニングドレスを着た漆原啓子さんと黒のタキシードを

    着た練木繁夫氏が舞台に立った。観た瞬間、今日は変なことが頭をよぎり、漆

原啓子さんをヴィオレッタ、練木繁夫をフォルテと名付けてしまった。そして

この二人の演奏をこの男女が交わす対話ムードに見立てて徹頭徹尾聴いてしまっ

た。その対話ムードを以下記して行こう。

 

第六番(以下6と書く)、第1楽章(以下@と書く)。室内でフォルテ君がしんみ

    りした口調で語り出すとヴィオレッタ嬢が黙って聞いている。Aしばらくして

今度はヴィオレッタが神妙な面持ちで、「ねぇ、聞いて」とフォルテに落ち着

き払って持ちかける。Bそのうちにどちらともなくここらで気分を変えるため

外に出ようと穏やかな秋の木漏れ日の下に向かう。

若い新婚夫婦の日常生活を思わす情景だった。

 

7.@二人は派手な語り口で喋る。ピチピチと朗らかに時にはおどけて見せる。

どちらも結構自己主張が強い。Aそのうち、どちらも少し言い過ぎたと自省し始

め、しんみりした口調で真面目に語り合う。それが段々深刻めいてくるに及んで

Bもっと明るく行きましょうよとヴィオレッタが言うと、Cもうペチャクチャ、

ペチャクチャ、ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う掛け合い漫才の雰囲

気となる。

壮年夫婦のホンネ丸出しの日常生活を見る思いだった。

 

8.@澄み切った青空の下、二人は胸を張り喜びに浸る。内から燃えてくる歓喜、

感嘆。ヴィオレッタの姿はモネ描くパラソルを差す女だ。Aもうフォルテもヴィ

オレッタもうっとりと夢心地。季節は春だろうか、Bそのうち二人は賑やかに踊

り、人生を謳歌、讃歌して歌い出す。汽車、汽車、シュポ、シュポ、シュポシュ

ポ、シュポッポ。

中年夫婦の幸せな熟年振り、羨ましい限りの日常を見る思いがした。

 

9.@ヴィオレッタの独白のような独り言が始まる。今日の現実を見詰めて滔滔

と力強く自己主張するヴィオレッタ。Aその一方で遠い過去を湿っぽく追憶する

風情も見せる。このピチカートは、あの時の、あの出来事を指すのだろうか。昔

を語らう二人には想い出に更ける哀愁が漂っている。このドラマチックな実年の味。

B少し湿っぽくなったところで、また元気を出そうと構える二人、さぁ、元気で

行くぞ、人生はまだまだこれからだと力強く宣言する二人。典雅でもあり雄大で

もある。

酸いも甘いも噛みしめてきた夫婦の味がじんわりと滲んでわが胸に重く響いて

くる。

 

10.@ここで二人の小競り合いが始まる。ヴィオレッタの泣き入りそうな声。

フォルテの大きい声。盛んに言い合っている。Aヴィオレッタもフォルテも内心

を吐露する。Bヴィオレッタの細いながらも凛々しい声。そんな声で自分の心境を

感情込めて一心に語る。Cフォルテもまたその確固たる自信に裏付けられた張り

のある声で今までの人生を語る。

高年齢に達した夫婦の過去を振り返る姿に幻想的な味すら滲みてまことに美しい。

 

この第六番から第十番に至る五曲を結婚生活の五つのステージに見たてた結果

となった。ひょっとすると第一番から第五番は独身時代の五つのステージになっ

たかもしれない。いろんな聴き方があろうなかで、今回、このように私は一本筋の

通った夫婦の物語として捉えたのがよかったのかもしれない。わが結婚生活に照ら

して滋味豊かに聴いていた。こじつけも多分にあるが、今、あらためてこのように

記すうちにもヴィオレッタとフォルテの個性豊かな美声がもう一度響いてくると

同時に二人で創る夫婦のような味わい深い得も言われぬハーモニーが聞こえてくる

のである。

                (2012.3.17 ポッサラッセ)

 

 


       
      2012年1月五行歌                   

    

    背が伸び、声変わりして

      表情が引き締まってきた

      小六の孫息子

    昨日のピンポン球が

    テニスボールになったよう

 

    京都という

    コンデンスミルクを

      飲むと

    たっぷり老年向きの

    滋養が付く

 

    果物のアップルも

      都会のビッグアップルも

      iPadのアップルも

    みんな好き好き

    シャキッとしてるから

 

    現役時代は

    公が認めた私がありましたが

    もう何もありません

      私が認める

      私があるだけですから


      2012年2月五行歌
     
     
どす黒くはなったが
    ピッカピカの若者に伍して
    今も活躍している
    世の甘いも酸いも舐めてきたオレは
    昭和三十八年生まれの五円玉

  
    外庭にも部屋にも
    太い黒線と
    明るい矩形
    二月の朝は
    日差しの大胆幾何学模様

     
    「おかえり」といってくれる
    相手(ひと)が欲しいはず
    解ってるくせに
    見栄を張るから
    出きないの

    
    i-Padのemail
    99%が出会い系サイト
    寂しいのか
    オトリか
    喜寿の「君子近寄らず」

    
    天に届けとばかり
    ゆらめく緑の炎
    ゴッホの糸杉
    彷彿とさせる
    庭のカイズカイブキ

   


    2012年2月の油絵 「寒椿」 6号   

       


    2012年3月の油絵「ピエロ」 8号           3月の隷書