私のFENリスニング具体的体験シリーズ(3)
<1. FENとの出合い(2)>
最初、聞き始めた頃は音の洪水で、
雑音だけが乱舞していた。
それはまるでH2Oになる前のH(水素)と
O(酸素)が空中でうごめいている感じで、
真っ白い霧の中にいるようだった。
このような元素に似た音素が耳を襲い、
いつシラブル(音節)に化けるか分からない
日々が延々と続いたが、そのうちに
チルチルミチルと音素同士が結合し、
シラブルを作ったような音に変わってきた。
そうした毎日の遅々とした歩みの中で
毎月一回必ず、おやと思う日が訪れた。
その日は、それまでとは違う聴覚が走り、
突然隆起したような飛躍的な進歩を感じた。
毎日、続けてきてこそ気づく微妙な隆起だったが、
これを月々重ねていけば、必ずや文として聞ける日が
くるだろうと信じ、私はFENに賭けることにした。
一月に一段、百の階段を登る決意をした。
アリの歩みよりももっと遅い遅々とした歩みだが、
このエベレストだけは征服しなければならない、
どうしても登り切るのだと自分に言い聞かせた。
こうしてこの階段を少しずつ登るにつれて
聴覚風景が変わり、五年半近くが過ぎ64階段に
達した頃、単語音が急にスムーズに耳に入り出した。
この頃からヒアリングの足取りをメモに残し始めた。
また、ヒアリングの上達ぶりをゴルフのハンディーに見立て、
64段階でハンディキャップ36とし、
それ以後毎月一つずつ下げていった。
30、20、10と大台を割り、ついに0に達した時
私は還暦を迎えた。この還暦でぜひ目標達成
したいと望んでいたが、一年ずれてしまった。
私がどうしてここまでFENにこだわったのか、
自分でもそうはっきりと動機を自覚していないが、
潜在的に願望があったものと思われる。
幼い頃から英語に興味をもち、学生時代を
通じて比較的成績の良かった英語を武器に
商社に入り、ロサンゼルス、シドニー、ニューヨークと
英語圏ばかり通算十年近くの駐在経験を
もちながら、ロクにテレビもラジオも楽しめない
屈辱と悲しさから、いつかは必ず脱け出して
みせると人知れず誓っていた。
FENの伝えるニュースは日本のテレビ、雑誌、
新聞でも見聞きできるし、情報的には何ら支障はない。
私の本当の関心は、英語を母国語とする人たちが
どのような感覚あるいは語感で英語を理解しているのか
それを知りたいからだった。これから
いよいよ彼らと同じ語感をもって彼らの思考に
触れていきたいと考えている。
以下シリーズ(4)に続く
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