尖ったさざ波聴覚
今朝の、(2003年7月26日)AFNリスニング聴覚は
昨日と違った。一段と本物に近づいた感じがする。
かつて意味の「意」の字に言及したことがある。
この字は音の下に心と書く。そしてこの「音」は「言」という字の
口に一本、線を入れて声の節回しを表わす。つまり、口から出た音に
節を付け、その音声で思いを発すると理解できると書いた。
母親が幼児に向かって声を発するとき、幼児にその心が通じるか、
上の音に邪魔されて下の心は見えにくいのではないか、大人には
音と心が渾然一体となっていて、意識は常に心にあるから上の音は
意識しないが、幼児には逆、上の音ばかりが耳につくのではないか
と述べた。
このことが今はっきりと自分にあてはまる。最近まで音に邪魔されて
意味が見えなかったが、今では意味のみが意識の前面に出てきて、
音は完全に後退した。音は征服できた。次の課題は意味の様態だけである。
今朝と昨日の違いは意味取りのリズムにある。音のリズムでなく
意味取りのリズムだ。ここで言う意味取りとは、一つの句に相当する
ぐらいの意味、時間にして0.3秒ぐらい分の意味を掴むことを指す。
日本語のテープを故意にゆっくり回すと、意味がゆっくり流れすぎて
却って分からない。テンポが狂いリズミカルでなくなるからだ。それと
同じで昨日までは意味の流れが間延びしていた。それが今朝はいい具合に
リズミカルになったので、意味が掴み易くなったのだ。
波に喩えると、昨日までの波はどこか間延びした大波だった。が、
今朝の波は心地よい小刻みのさざ波に変わった。これまでに経験したこと
のない聴覚だった。
これはどうしたことか。人間の脳はコンピュータと同じで、一定の
キャパシティーでデータの加工もデータの記憶もする。データ加工に
キャパを喰われ過ぎると、記憶用のキャパが少なくなるし、逆に、
加工にそれほどキャパが食われなければ、記憶にもっとキャパが廻せる。
どうもこの関係が働いたらしい。
喩えの波の凸部分を加工、凹部分を記憶とすると、昨日までは凸部分
が長く、凹部分が短かかった。それが今朝は逆転し、凸部分が短く、
凹部分が長くなった感じなのだ。丸いお椀形をした波形が一転、
先の尖がった波形に波の円弧が逆転したのだ。記憶部分が長くなると、
意味の印象が強まり意識に残り易くなる。そうなると前後関係がはっきり
するから後続の加工もし易くなる。つまり加工キャパが少なくて済む。
この良循環が生まれると、意味の束(二波、三波)が連続してきて
文意、大意も愈々取り易くなる。
いつも経験的に言うことだが、リスニングは階段型に上達する。
ある日、突然ひょいと理解度が上がる。それが大体一ヶ月に一度起こる
のでバイオリズムと感じているのだが、それがまた今朝起こった。
今回で187回目のバイオリズムだ。200回目ぐらいになったとき、
どんな聴覚が持てるか今から楽しみだ。
分速160語ぐらいで読んでも、もうひとつはっきりしないニュースが、
本場のアナウンサーが分速200語ぐらいで読むのを聞くと、はっきりと
印象に残る、そんな奇怪なことが起こるとは、実際に経験した者でないと
分からないかも知れない。しかし、想像はできるだろう。読む方が聞く
よりも分かり易いと信じるのは、音を知らないからで、目に頼る以外、
経験がなければ耳のことは言えないからだ。
しかし、音が分かれば事情は一変する。目に頼らなくても耳に頼ること
ができるからだ。市販の教材で学んだ耳ではない。本場アナウンサーの声で
長年鍛えた本格的な耳に、だ。この耳と今までの目とでは圧倒的に違う。
従来の目に劇的な速読能力は期待できないし、不自然な自己流の発音と
自己流の抑揚で読んでいては限界があるからだ。難しい構文でも、
アナウンサーの自然なリズムと自然な抑揚で聞けば理解も早まるという
ものだ。
字が読めない人でもその音を知っていれば他人の話が分かる。
新聞の読みずらい人でもテレビの声なら聞ける。言葉に例外はない。
英語の上達を期すには聞くことが先決、ただし、音の征服には長い年月が
かかることを覚悟しなければならない。
(2003.7)