シャネル、ゴルチエなどパリコレでは毎シーズン30本以上のステージをこなし、アメリカ、ヨーロッパ、日本のマガジンを手掛け、パリ、ミラノで仕事をするMICHIO。
今回はWORKS主催のイベントに登場だ。

オープニングは、いきなりZEPPELINのヘビーな曲でMICHIOの仕事のラッシュムービー。
そのあとに現れたMICHIOは、おもむろにモデルの髪をカットしはじめる。
マガジンやショーの仕事をしているだけに、シザーとコームのコンビネーションに無駄がなく、すばやくスタイルを仕上げる。

カットしてアレンジを加えて解説する。モデルの個性とスタイル。その解説は実に的確だ。

事前に観客から受けていた質問に答える。
「流行とはなにか?」。
そばらく考えて「的確な答えかわかりませんが、素敵なそれでいて大事なものかもしれません」。

「トレンドって、僕らの仕事、雑誌の仕事ですけど、雑誌って仕事が3ヶ月後に発売されるんでいつも先のトレンドを予測していなければ、この仕事を続けることは難しいんです」。
「ショーの仕事は難しいですよ。デザイナーとの関係、そしてモデルとも。いわゆるスーパーモデルとかNOと言われたら、それまでの世界です」。

「美容師になって、最初に興味があったのはMODEなんです。いまどういう動きなんだろう、それがいつも気になってたんです」

「僕はいい歳になってサロンワークの枠を出ようと思いました。サロンワークへの不満からではなく、やっぱり最初に自分の求めていたことに忠実になろうと思ったんです」

イベントの後半になっていくにつれて饒舌になってきたMICHIO。
「自分への落とし込み」。この言葉が何度も出てきた。たぶん「IN PUT」「咀嚼」のように、自分の中でトレンドのモードを消化して、さらに先のモードを見つける、といった的を射た言葉だ。
白水道雄

福岡県出身。1981年ニューヨークに渡る。
モモタロー スカースデール店のオープニングマネージャーを経て、その後ピピーノ・ブチェリーという80年代ニューヨークで一番ホットなサロンでエドワードトリコミ、ロジャートンプソン、マークピピーノなど当時のトップスターヘアースタイリストと共に仕事をする。
90年初め、当初の目的であったファッション関係の仕事に手をつけフリーランスの道へ。
90年半ばヤニックD,sとの出会いでニューヨークコレクションを、その後パリコレで、カルバンクライン、ドナカラン、ドリスバンノッテン、マックスマーラなどのショーを手がける。
ミラノ・パリ・ニューヨークのショーをしながらファッション雑誌などの仕事を中心とする活動が始まる。フレームエージェンシーのマネージメントのもとで同じ事務所のオデール・ジルベルトと出会い、シャネル、ゴルチェなどのショーで、毎年2ヶ月近くパリミラノで仕事をすることになる。同時にアメリカ ヨーロッパのマガジンをはじめ日本の雑誌も手がける。
昨年9月マンハッタン55丁目にサロン「MINGUL」をオープン。新たなチャレンジを始めている。

写真:上松尚之

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