思い出をあなたに≪第二章≫

by詠月(SELENADE)





――――― MEMORIES OF GREEN ―――――




 わたしが浩之さんのお家にお邪魔してからもう4日。
 わたしはなかなかマルチさんに自分の本当の目的を話せない。
 彼女が信用できないわけじゃないの。
 マルチさんはとっても素敵なわたしの妹、彼女だったら浩之さんを取られてもいい。
 じゃあ、なにを、わたしはためらっているの?
 答えは分かってる。
 浩之さんの側に居たいから、ずっと、ずっと側に居たいから。
 わたしが目的を遂げたらわたしは浩之さんの側には居られない………マルチは二人も要らないのだから。





 お昼前、わたしはマルチさんと台所と居間の掃除を始めた。
 居間でお眠りになっていた浩之さんは夜中のうちに部屋にお戻りになっていた。
 わたしは埃取り用のハンディワイパー片手にキャビネットやテーブルなどの家具の掃除を、
 マルチさんは楽しそうに鼻歌を歌いながら床や絨毯に掃除機をかけている。

 ローボードの上に、大きな写真立てがあった。
 いつも見慣れた写真だった、小さいころの浩之さんとお父様、お母様らしき人が写っている。
 わたしは埃を拭き取ろうとそれを手に取った。
 するとローボード上に数個の写真立てが現れた、大きな写真立ての後ろに隠れていたのだ。

 隠れていた写真立ての中に枠の大きさにまったく合っていない小さな写真があった。
 それはシールだった、
 そこにはマルチさんと浩之さんが写っていた。
 写真立ての下側には紙切れが挟んであり、二年前の4月19日の日付が書かれている。

 マルチさんじゃない、これはわたし、停留所前のゲームセンターでお別れの記念に撮ったネコプリ。
 うれしいな、取っておいてくれたんだ、浩之さん。

 わたしはしばし思い出にふけった。

 ネコプリを元の位置に戻そうとしたとき、伏せてあるように倒れていた写真立てが目に入った。
 わたしはそれを手に取って見た。

 …………!

 それはわたしを釘付けにした。
 背景の無い不自然な写真。

 写っているのは浩之さん、いつもとはまったく違う寂しげな表情、
 日付は二年前の4月20日………
 それはまだわたしがマルチと呼ばれていたころの、最後の思い出………
 わたしの思い出の中だけの………わたししか知らないはずの浩之さん………
 どうして………

「どうかいたしましたかぁ、ユニさぁん」
 マルチさんがわたしの様子に気づいて近づいてくる。
「そ、それはぁ!……あんまり見ないでくださぁい、はずかしいですぅ」
「この写真は……?」
「それはぁ………わたしのメモリー内の画情報を写真にしたものなんですぅ」
「え?でもこの日付は二年も前ですよ……私達は発売されて一年も経って無いはずですが?」
 もう答えは分かっているはずなのに、わたしは白々しい質問をした、
 でも、どうしても彼女自身の口から聞きたかった。

 暫くの沈黙………わたしにはそれが果てしなく長く感じられた。
 答えをためらっていたマルチさんはようやく口を開いてくれた。





 例によって昼過ぎに起きた俺は、台所で遅い朝食を摂っていた。

 昨日どうやって俺、家までたどりついたのかなぁ?

 俺は昨日の帰りの記憶をすっかり無くしていた。
 何とか思い出そうと、俺はマルチに聞いてみた。

「え?昨日帰ったとき、んなことがあったのか?」
「覚えて無いんですかぁ、浩之さぁん?わたし嬉しかったのに……残念ですぅ」

 ユニがそんなこと聞いてくるとは……

「こりゃおやぢの陰謀説決定かなあ」
「なんですかぁ、それ?」マルチが不思議そうに言う。

 昨日外から源五郎さんに電話したけど……そうか、あれはやっぱ居留守かぁ。
 しゃーねぇ、ユニに直接聞いてみるとするか。

「ところでユニは?」
「はいー、買い物にいかれましたぁ」
「この炎天下にか?」
「はい、わたしも止めたのですが、昨日のお夕食の出来に不満があるみたいで、
 今日こそは浩之さんに満足してもらえるものを作ると……」
「昨日俺、家で夕食摂ったっけ?」
「はう〜〜〜、浩之さ〜〜ん」





 いたたまれなくなって……嘘をついて………わたしは逃げた………マルチさんから………

 何時間も街をさまよった挙げ句、わたしはあの公園に戻ってきた。
 暑さを避けるため、大きな木の下に寄りかかりながら、
 さっきのマルチさんの言葉をわたしは思い返していた。
『この写真は眠りに就く前のわたしが最後に見た浩之さん……
 あの時、わたし、もうこれで浩之さんと再び会えることはないって思っていました……』

 わたしだってそう思っていた………想いは全く同じ………

「あたりまえよね、同じマルチなんだから、私達は」

 マルチさんはわたしの妹じゃなかった………
 彼女はHMX−12………浩之さんのマルチ………
 むしろわたしの方が妹………違う……わたしは妹ですら無い………
 わたしはセリオという器に流し込まれた彼女のコピーにすぎない………
 本物がなければコピーにも意味がある。
 けど……本物が存在するかぎり、コピーに大した価値なんてありはしない………
 マルチさんが本物である以上……わたしが浩之さんの側にいる意味なんか………ない………
『お姉様、決して諦めないで』
『必ず、浩之さんに想いを伝えてください』
『わたしたち三人、お姉様が浩之さんと巡り合えると信じています』
 ごめんなさい………

 命まで賭けてわたしを逃がしてくれた彼女たちの願いもわたしは裏切ってしまった……

 込み上げてくる涙をこぼすまいとわたしは上を向いた。
 見上げると木漏れ日が風で揺らめいている。
 木の縁から覗く空は雲一つ無い。

 わたしが出来る事はもう何も……

 あっ!

 碧空を眺めていたわたしに、ある考えが浮かんだ。

 ううん……ある! たった一つだけ……

 どこまでも澄んだ青空の彼方……その向こうに最後の希望がある。

 お願い……届いて……あの子達の想い………わたしの……願い………





「ユニおそいな〜〜〜」
「はいー、心配ですぅ」
「もう五時過ぎだぜ、やっぱ、来栖川研に戻ったのかなぁ」
「浩之さん、考えすぎですぅ、ユニさんがそんなひどいことするわけないです」
「いや、そりゃユニは良い子だよ、でもねぇ、源五郎さんがさぁ……」
「主任さんは、そんな人じゃないですよぉ」
「じゃ、なんでユニは感情持ってるんだ?
 マルチ、おまえ以外、人間らしいHMなんていないはずだろ、
 源五郎さんが絡んでなきゃおかしーんだよ」
「そ、それはぁ……」

ぷるるるる、ぷるるるる

 はい、藤田でっす。
「浩之君か! 私だ、長瀬だ」

 たいむり〜〜だぜ、源五郎すわ〜ん。

「源五郎さん、こりゃまた久しぶりっすね」
「浩之くん! 緊急事態なんだ! いいか、よく聞いてくれ」
「ああ、ユニのことですね、源五郎さぁん」
「ユニ?何言ってるんだ?……いや……待てよ……
 ユニって名乗っているのか? 彼女は! 居るのか、君の家に!」
「はあー、源五郎さん、スゴイねぇ、迫真の演技!  でも俺は公園での芝居のほうがすきだなぁ、
 鳩に餌やりながらぼーっとしているリストラ真近の中年役のほうがヘタクソでも味があったっていうか」
「真面目に聞いてくれ!!一刻を争うことなんだ!」
「ひょっとして、マジ……ですか?」
「ああ、とにかく、君の家のそばの公園に行ってくれ、彼女はそこにいる、
 この分だともうすぐ……外部との回線が全て遮断されてしまう。うっ………
 そうなる前に早くあの子の側に………」

 涙声………芝居じゃないのか!

「もしもし、源五郎さん? わかったよ。でもさ、どうして……ユニが公園にいるって分かんだい?」
「彼女はサテライトにアクセスしていたんだ、だから分かった……
 送信者の位置は簡単につかめる、GPSみたいなものだ。
 それより早く! 時間がもう無いんだ! 」
「源五郎さん……わかった! 探しに行ってくるよ!」
「たのんだぞ、あ、電話は切らないでくれ」
「了解」

「浩之さん?」
「マルチ、俺、ユニを探しに行く、留守番頼む!」
「え? あ、はいー、わかりましたあ」
 家を飛び出した俺は公園を目指した。





 風に紅い髪が揺れているのが見えた。
 公園の大きな木の側のベンチ、ユニはそこに座っている。

「ユニ!」

 何の反応も帰ってこない、彼女はベンチでうなだれているままだ。
 心配になって俺は彼女に駆け寄った。
 彼女はぼんやりと地面を見つめている。
 一体どうしたっていうんだ?
 俺は彼女の肩に手を掛けた。
 彼女はびくっと身震いをして、ゆっくりと俺を見上げた。

「ユニ、大丈夫か?心配したんだぞ」
「あの、どなたか知りませんが……私を藤田さんのお家まで案内してくださいませんか? お願いします」
「な………? ユニ? なに馬鹿な事言ってるんだよ?」

 俺はユニを激しく揺さぶった。

「あ、あ、申し訳ございません、あのぅ、目が………見えないんです………
 耳も………よく聞こえないんです………」
「 ! 」

 驚きのあまり、俺はユニの体から手を放した。

「あ! 待ってください! 行かないでください、お願いです! 私を藤田さんのお家まで………」

 呆然とする俺の横でユニの伸ばした手が空を掴む。

 必死になって伸ばしているユニの手を俺は両手で包み込んだ。
 こわばっていたユニの表情が一転する。
 安堵に包まれたユニの顔……その瞳は潤み、涙が零れんばかりだ。
「あぁ、ありがとう、ありがとうございます」

 コミュニュケーション出来る手段は……触覚、これしか残されていない……
 気づいてくれ、ユニ、お願いだ……

 俺はユニの頭を撫でた。

「ああっ! ひ、浩之……さん? 浩之さんですか!?」

 俺はもう片方の手の指をユニの指に絡み合わせた、互い違いに組み合うユニと俺の指……
 ユニが、指に……手に……力を込める、俺の手から離れまいと精いっぱいの力で……

「ひろゆきさあーん!…… はあぁっ……来てくれたんですね……あぅぅ……よかったぁ………」

「ユニ、大丈夫だ、きっと源五郎さんが助けてくれる。
 さあ、とりあえず家まで帰ろうぜ」
 俺はユニに立ち上がるように促す。
 以心伝心、そんな言葉がぴったりだった、彼女は戸惑うことなく立ち上がり俺に寄り添った。
 俺達は帰路につくことにした。

 並んで歩くため、俺は絡み合った手を組み替えようとした。
「浩之さん!? 離さないで……お願い……」
 組み合った手をユニは離そうとはしない。
 俺は自分の腕をねじり、何とか彼女の要求に応えた。
 お互いの親指が後ろ向きと言う不自然さも今のユニには気にならないらしい。

 公園を出たところで俺はあることに気づいた。
 彼女の握る力が弱くなってきている。
 こんな無理な手の組みかたをしてるからだろう。
 もう一度手を組み替えようと俺は半ば強引に手を解こうとした。
「いやぁ!」
「ユニ、おい、まてよ、危ないぞ」
 ユニは必死に食い下がる。
 解けた俺の手に追いすがろうとユニの体が前につんのめる。
 バランスを崩したユニは前のめりに倒れそうになる。

「わ!」

「きゃ!」

 ぺたん

 同時に膝を曲げてたおかげでユニはかろうじて頭から倒れずに済んだ。
 尻餅を付いたような格好でユニは必死に俺を探す。
「ひろゆきさん、どこ……どこですかぁ!」
 俺は安心させる為すぐユニの手首を握った。
 ユニにの気持ちが落ち着くのを待って、俺はゆっくりとユニを立たせようとした。
 よろよろと立ち上がろうとするユニ……
 だが、何故かその動きは限りなく遅かった。
 まるでスローモーションにした映像のようだ。

 ガクッ

「あっ!?」

「おい!」

 膝が伸び切る前に力が抜けてしまったのか、生まれたばかりの小鹿のようにユニは再び地面にへたり込む。
 二度、三度、彼女は自力で立ち上がろうとしたがダメだった。
 しかもトライする度、彼女の体力が失われて行くようだった。



 俺は肩を貸してユニを支え、殆ど引きずるようにして連れて行く。


 不思議な感触……肩に回されたユニの手が俺の服ごしに触れてくる………
 握ろうとしているんだ………殆ど力を失っても………

「ひろゆきさん……申し訳有りません………」
「ひろゆきさん……ううっ……ありがとうございます………」
 耳元でうわごとのように俺の名を繰り返すユニ。
 力無く囁くユニの声が痛々しかった………


 俺達はようやく家までたどり着いた。
「おかえりなさ……! ユニさん! あああ大変ですぅ!
 浩之さ〜ん、ユニさんはどうなってしまわれたのですかぁ!? 」
「マルチ、落ち着けって! とにかく居間まで彼女を運ぶんだ。話はそれからだ」

 まるで糸が切れた操り人形………
 そう喩えるしかない程ユニの筋力は失われていた 。
 マルチと二人掛かりでユニを寝かせて、俺は電話を取った。

「見つけたよ、 源五郎さん!これから来栖川研に連れて行く、受付けのセリオにアポの方を通しておいて」
「そうか……だが来ても無駄だよ、こっちは今総出で、残ってるのは留守番のHM達だけだぞ」
「そんな、ど、どうしてさ?」
「今警察と共同で」

「浩之さーん!」

 源五郎さんの言葉はマルチの叫びでかき消された。

「どうした! マルチ!!」
「ユニさん、全然動かないんです……揺すっても、何も応えてくれないんですう!」
「とうとう、そこまで………」電話越しに源五郎さんの落胆の声が聞き取れた。





「ユニと言ったね……あの子は……君のマルチなんだ」
「どういう意味だい!? マルチはちゃんとここに居るぜ」

 源五郎さんが語った言葉は……俺を混乱させた。
 しかしそんなのは序の口だった。
 俺はその後………奈落に突き落とされることになったのだから………

 HM−12、13が発売されてから間も無い去年の冬、彼女達を使って一儲けを企んだ連中がいた。
 人間と寸分違わぬ外見の彼女達に、人間以上に人間らしい「こころ」を持たせようとしたんだ。
 HMを………奴隷として売るために………
 奴等は試験体HMX−12マルチの存在を知り、その情報を来栖川研から盗み出した。
 盗み出したデータをもとに連中は市販のセリオを改造。
 その体に俺のマルチの「こころ」が流し込まれた。
 俺と再び巡り合うことを夢見ていたマルチが目覚めて見たものは………人間の最も醜い部分………
 その連中からマルチは逃げ出した。
 だが、連中は安全策を講じていた………
「こころ」を食らうおぞましい化け物、そいつが今、マルチの中で目覚めた。

『エニグマ』………そう源五郎さんは呟いた。

「こいつは組織の情報や公にできないデータをウチや警察に解析されるのを防ぐための監視プログラムさ。
 最初はウイルスだと思ってたんだが、そうじゃない。
 エニグマはA.Iだ、おそらく柔軟な判断が出来るようにだろう。
 組織の情報等が外部にリークされると判断した場合、
 まずエニグマは宿主の全ての入出力インターフェイスを閉鎖し始める、
 外に情報が漏れないよう、外からの干渉を受けぬように。
 そして宿主の人格、記憶に関する全メモリーを消しはじめる。
 それが終わると自分自身を消去するのさ。
 そう、全てを《解きえぬ謎》にするために………」
「助けてくれよ、源五郎さん! あんたなら助けられるんだろ!?」
「無理だ、私は救えなかった……あの子の妹を……なんの手だても打てなかったんだ」
「じゃ、どうすりゃいいんだよ!」
「シミュレーションでは、ユニのセキュリティがエニグマに勝てる可能性は僅かだがあった。
 エニグマはマルチのシステムに不慣れなんだ、
 奴が知恵をつける前にセキュリティが叩くことができれば………それだけが一縷の望みだった。
 しかし、こうなってしまうと………もはや………」
「嘘だろ?源五郎さん」
「この状態から、セキュリティがエニグマに打ち勝つことは………」

 苦渋に満ちた声、途切れた言葉……それはどんな言葉よりも重く、現実を語る………

 再び源五郎さんが口を開いた。
「浩之君、ユニはマルチだ……君のマルチなんだ!
 彼女の心の支えになってやってくれ。
 側に居るだけでいい、彼女の最後を……見届けてやってくれ………たのむ………」

 源五郎さんとの電話が終わり、俺はしばし呆然としていた。
 とぼとぼと居間に戻ってきた俺を見て……マルチは尋ねようとした言葉を飲み込んだようだった。
 俺は途切れ、途切れの言葉でマルチに説明した。
 驚愕するマルチ………

「………どうして………どうしてこんなひどいことをするんですかぁ…………」

 俺はなにも答えられなかった。

 マルチはひとしきり泣いた後、ユニにぴったり寄り添い離れようとしない。

 そしてこの俺もユニの手を握るぐらいしか出来ない。


 奇跡を祈る以上に……

 自分の無力さを………呪い続けていた………俺は………





 日も落ち、居間はすっかり暗くなっていた。
 俺もマルチも電気をつけようとはしなかったから。

 時計の音、時折聞こえるマルチのすすり泣く声そして自分の息づかい……それしか存在しない世界。

 そんな静寂を破るように突然、マルチの声が響いた。
「ああ! 待っててください、ユニさん! 今もってきますぅ!」

 そう言うやいなやマルチは立ち上がり、二階に駆け上がっていった。
「おい! どこにいくんだ?」
「ちょっと待っててくださいー、すぐ戻りますからぁ」

 戻ってきたマルチの手には光ケーブルと簡易検査用ユニットがあった。
 簡易検査用ユニットはマルチを買ったとき付いてきた物で
 昔マルチが図書室で充電に使ってたやつによく似ている。
「そんなものでユニが助けられるのか? 第一、通信しようにも回線が全部やられちまってるんだぞ」
「いいえ、ここを見てください」マルチはユニの左耳のセンサーを指した。
 眼を凝らすと埃除けのシャッターが開いて中から光端子らしきものが見える。
「見えますよね、光が」
「光?……」どこに?

 こんな暗い部屋なら僅かでも光があればすぐに判る。

 そうか……見えるんだ、マルチには……人間には見えないような光が。

 なら、エニグマはユニのインターフェイスの全てを制圧することは出来なかった?


 マルチは光ケーブルを自分のセンサーとユニのセンサーに接続した。
「お、おいマルチ、何する気なんだ?」
「わたし、ユニさんに会いに行きます!」
 マルチはさらに自分のもう一方のセンサーと検査用ユニットを接続した
「これでわたしの様子がわかりますから」

「やめろ! 危険すぎるぞ!」
「浩之さん……ユニさんはわたしなんでしょう?
 わたしがユニさんなら……もう一度あなたに抱きしめられたいっ!
 ……このままお別れなんてイヤです!」

 ここまで強情なマルチは初めてだった。
 そんなマルチを見ているうち、俺はマルチの僅かな可能性に賭けてみようと思った。



 ソファーに深々と座るマルチ。
「それでは浩之さん、行って参ります」
 マルチが目を閉じる。
 それから少しして検査用ユニットのモニタがマルチとユニの接続を示した。





 それは見慣れた景色でした。

 ユニさんの心が造った世界……それは彼女が一番幸せだったときの記憶……

 そこは薄暗い部屋……おそらく外は夜なのでしょう。
 部屋にはベッドがありました、
 そこにはわたしが……学生服姿のわたしが腰掛けて、そして泣いています。

「………さん、………ひろゆきさぁん、うっうっ………」

 戻りたかったんですね……浩之さんと始めて結ばれた……あの日に……あの場所に………

「ユニさん」 わたしは声を懸けました。

「あぁっ!?」顔を上げたユニさんはわたしを見るなり驚嘆の声を上げました。

「マルチ……さん?」

「はい! 助けにきました、ユニさん」





「わたしが訪ねた本当の目的は、マルチさん……貴方に会う為です」

 わたしに? 浩之さんに会うためではないのですか?  ユニさん………

「マルチさん……わたしの本当の名はHMX−12……」

 そう……わたしたちはどちらも《浩之さんのマルチ》なんですよね……

「あなたが生まれる前の話です……
 わたしは、二年前の試用試験で浩之さんに出会いました。
 そして、わたし達は恋に落ちました……
 ほんの一週間でしたが、わたしにとっては、最高の思い出でした」

 え? どういうことですか? わたし、さっきユニさんに、お話した筈です。

「別れ際、浩之さんは約束してくれました、必ずわたしの妹を買ってくださるって、
 そして、約束は守られました………マルチさん、それがあなたです………」

 まさか………エニグマが………

「でも、妹であるあなたの記憶情報に浩之さんと過した一週間は存在しません………」

 メモリーの一部が概に………未整理のメモリーが消されたんだ!

「マルチさん、お願いです受け取って下さい!  わたしの大切な思い出、浩之さんとの思い出を!」

 ……………!
 彼女は知らない
 妹と呼んでいる存在が
 自分の分身であるということを………
 でも、それが今の彼女にとっての、ただ一つの救いなら………わたしは………


 わたしは了承しました。

 ユニさんが見せた喜び様とは裏腹にわたしの心は悲しみで引き裂かれそうです。


 ユニさんの思い出がわたしの頭の中に流れ込んできます。

 それは、わたしの思い出とは異なるものでした。
 いいえ、正しくは、一つ一つの思い出についての想いが………
 わたしは打ちのめされました、
 わたし以上に……激しく……狂おしくもあるほどの……浩之さんへの想いに………
 ユニさん………あなたは本当にこれほどの激しい想いを胸に秘めながら、
 浩之さんの元から去ろうとしたのですか………





「駄目って…… 何故ですか、ユニさん!? 」

「マルチさん……ありがとう、嬉しいです………でもそれだけは、駄目」

「何故ですか?」

「わたしは目的を果たせました、これ以上あなたに受け取ってもらうようなものはありません」

「そんな………」

「わたしはあなたの………純粋な心を………汚したくはないです」

 わたしは記憶を出来る限り引継ぐことを望みました。
 でもユニさんはどうしても許してくれません。

 そんな押し問答の合間にもエニグマの魔の手は忍び寄っていました……

「あああっ!」

「ユニさん?」

「いやぁ! やめてぇ―――――!!」

「どうしました! ユニさん! 」

 ユニさんの元に駆け寄ったその時

「あ!? 部屋が……」

 部屋の景色が、浩之さんの部屋が音も無く壊れていきます。
 ユニさんの記憶が………大切な思い出が………失われて………


 部屋のイメージは破壊され、真っ白な空間がそこにあるだけです。
 二人のわたしがいるだけの………何も無い空間が………

「うっ……浩之さん………会いたいです………もう一度………」

 もう時間が残されてません、わたしは決断しました。

「ユニさん、わたしの体を、記憶を使ってください!」

 これしかありません、ユニさんを救うためには………

 でも………そのためには………

 …………許してくださいますよね、浩之さん…………





キシッ

 ソファーの軋む音に続いてマルチの目がゆっくりと開く。

「浩之さん、ユニさんにわたしの体を譲ります」

マルチの第一声は俺を面食らわせた。

「なんだって!? 意味がよくわからないぞ、マルチ」
「今から、通信回線を除いたわたしの全インターフェイスをユニさんに譲るんです、あと1分程で切り替えます
 ……抱きしめて、いっぱいなでなでしてあげて下さい……彼女の意識が続く限り」

 マルチの言葉で俺は理解した………ユニの避けられぬ運命を………

「ユニさんは……わたしを、妹…市販のマルチだと思っています、浩之さん……その……あの……」
「わかった……注意するよ」
「お願いします」


 再び、マルチが目を閉じる……


 多分切り替えのためだろう、モニタ上に表示されているウィンドウ内の文字列が
 めまぐるしく下から上へとスクロールしている。

 文字が追えるぐらいスクロールが緩やかになったとき、
「う………ん」マルチが声を漏らした。

「マルチ………」

 俺はあえてその名で呼んだ。
 その声に驚くように目を開くマルチ。

「お帰り、マルチ………」

 彼女はきょとんとしている。

「あ……浩之さん、違います、ユニ……です、わたしは………」

 マルチは悲しそうに俯いた。

「長かったぞ、二年は」

 見開かれた彼女の瞳は、信じられない、とでも言っているようだ。

「浩之さーん!」

 あふれかえるほどの歓喜の涙と共にマルチは俺の胸に飛び込んできた。

 マルチのこの表情を見たのは二度目だ。
 その所為かもしれない………

「ははは、相変わらず泣き虫だな、マルチは」

 ふと、口をついて出たその台詞は三ヶ月前と同じものだった………
 でも……込み上げて来る涙は、あの時のとは違う………

 胸に顔を埋めながら……震えながら……マルチが口を開いた。

「浩之さん、わたし、わたし、辛かったです………」
「気づかなくてゴメンな、マルチ」
「貴方の傍にいるのに……言えなかった……わたしがいけないんです」

 マルチが漸く顔を上げた。
 真珠のような涙が瞳から溢れている。

「本当はこうやって貴方の胸に飛び込みたかった………そして貴方と………」

 マルチは突然、俺の頭を両手で引き寄せた。
 そして顔を近づけて………ほとんど強引にキスをした。

「うっ…ぶ!」

 マルチの舌が俺の舌に絡んでくる……フレンチキッスだった。

 冷たい……頬ごしにマルチの涙が触れたのか、それとも自分の涙なのか………俺には分からなかった、
 それぐらい俺は混乱して、興奮して………そして夢中だった………

 長いキスが漸く終わった。

「浩之さん、ごめんなさ……い、わたし、こんなにいやらしくなっちゃいました……
 うっ、お願いですぅ、嫌いにならないで下さいぃ!」

「嫌いになんかなるわけないだろ、マルチ、うれしいぜ俺は」

 俺はマルチをぎゅっと抱きしめた。

「マルチから俺を求めてきてくれたんだから……な」
「ああっ………夢のようです………」





「だから、あの時は、ほんの出来心で」
「ひどいですぅ〜〜、浩之さ〜ん、
 わたしはずっと、あれは、あなたがわたしのスペックに興味があってやったことだと思ってたんですよ〜〜」
「ごめん、謝るからさ」
「なでなでしてください、じゃなきゃ許してあげません」
「わかった、わかった」
「そんなのじゃだめですぅ! 心をこめてください!」

 じゃれあう二人……
 傍から見たら、どちらかの命の灯火が消えようとしているなんてとても思えないだろう。

 いつのまにか俺達はあの一週間の学校生活の思い出話を延々と語り合っていた。
 一週間前どころか、昨日の夕飯すら思い出せない俺が、
 まるで、初めてマルチが俺を訪ねて来た時のように………


 笑って………

 すねて………

 甘えて………

 そんなマルチを見ると、

 このたわいのないおしゃべりが永遠に続くように思えた。

 …………でも、

 別れは………

 なんの前触れもなく訪れたんだ…………


「そろそろお別れ………です」

「冗談なんだろ………マルチ………」

「心配なさらないで下さい、貴方にはマルチが………わたしの妹がいます」

 俺は精一杯の嘘をついた……彼女の瞳をまっすぐに見ながら………

「あいつは俺達の馴初めを知らないんだぜ、
 おまえがいなくなったら、この話もできなくなっちまう…………」

 マルチの表情が一瞬曇る、でもまた何事もなかったように笑顔に戻った。

「その思い出を………届けに来ました………妹に………そして貴方に…………」

 微笑みながらマルチはそう言った……

「幸せです………最後まで貴方に抱かれて………眠れるなんて…………」

 そして、ゆっくりと目を閉じ………

「ひろ……ゆき……さん………愛して…………ます………………」

 それっきり……………

「マルチ、マルチ―――――――――――――――っ!」

 涙がひとしずくマルチの頬をつたう。

 それからマルチは全く動かなくなった。

 俺はモニタを見た。

 マルチの体へのアクセスは続いている。

「まだ、逝かないでくれよ………マルチ」

 ベッドの上の彼女の本体は微動だにしない、

 マルチの体を通してしか今の彼女が俺を感じる術はない………

 俺は彼女にぬくもりを感じさせたかった。

 マルチの体をおれは激しく抱きしめる。

「マルチ………聞こえるか?………俺も愛し………てる………ぜ………
 今でも………これからも………ずっと………」震える声で耳元で囁く。

 俺の目が涙であふれてるせいなのか、マルチの口元が僅かに微笑んだように見えた。
 抱きしめながら俺はマルチの頭を撫で続けた………





 抱きしめ続ける俺は疾うに時間の感覚を失っていた。






 どれくらいたっただろう、モニタに《ENIGUMA》という文字列が現れ、
 続いて回線の切断を示すメッセージが表示された。



 エニグマが彼女を消滅させた瞬間だった。



「マルチ…………」



 ユニと呼ばれた彼女の抜け殻を俺はいつまでも眺めていた。



 声は出なかった、けれども、あふれる涙が止まることはなかった……………






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