思い出をあなたに≪第三章≫

by詠月(SELENADE)





――――― SEE YOU LATER ―――――




 今日は朝からぐずついてはいたが、降らないと思っていた。
 傘を持って来なかったのは失敗だった。濡れた服に研究所の強めのクーラーはきつい。

 あれから十日が過ぎた。
 俺はマルチを迎えに来るため来栖川研に来ていた。
 マルチは検査のため一週間ほど前からここに戻っていた、ユニの亡骸と一緒に。

 源五郎さんは会議室で俺を待っていた。

「わざわざ出向いてもらってすまんな、浩之君」
「いつものことじゃないですか」
「ま、そういやそうだな」

 しばらく俺達は馬鹿話に花を咲かせた。
 これから話すことの重さをうち消そうとお互いに思ってたのかもしれない。

 頃合いを見計らって俺のほうから本題を切り出した。

「ところでマルチは?」

「おお、そうだったな」

「検査は異常無し、メンテナンスの方も終わっているよ」

「それだけじゃないんでしょ」

「いい勘してるねえ……君には悪いんだがマルチの記憶を解析させてもらったんだ、
 おかげでいろいろな事実が明らかになったよ。
 まあ……君のプライバシーを侵害したのは事実だ、謝るよ」

「構いませんよ。マルチを選んだときから覚悟の上ですから、
 その代わり僕にも本当の事を教えてくれますよね、
 あんなちっちゃな囲み記事なんかじゃ無く」

「ああ、それは私達の義務だろうからね、
 まず、私達のことについて話させてくれ。

 ユニには3人の妹たちがいてね。各々試用試験の2、3、4、回目のマルチ達だ。
 こんなことが無ければ姉妹同士お互い知り合うことも無かっただろう。
 その妹の一人が警察に保護されたところから話は始まったのさ。
 残念ながら残る二人の妹達は、警察が連中の工場に踏み込んだ時、
 概に壊れて………いや、壊されていた………
 警察の要望もあって我々はこの事件の捜査に協力することになった。
 保護された彼女は4回目の試験のマルチだった………2年ぶりの再会さ。

 マルチは脅えていた……逃走HMである自分は不良品として処分されるってね。
 驚いた事に彼女は……おそらく4人とも……自分達が合法のHMだと思っていた。
 合法……自分達のこの劣悪な境遇を社会が容認していると言う事……さ
 つまり、自分達を助けてくれる存在がこの世界の何処にもいないって信じていたんだ。
 組織の奴等がそう洗脳したんだ、素直なマルチだから信じ込んでしまったのさ。
 自分達で逃げる以外、選択の余地など無かったんだよ、彼女達は。
 私達は当初の目的などそっちのけでマルチの傷ついた心を癒すことに努めた。
 徐々に彼女は心を開いてくれた。
 そして、私達にとっても彼女は無くてはならない存在になっていった。

 そんなことで、予定より4、5日ずれたんだが、私達はマルチを調べることになった。
 マルチも私達への協力を約束してくれたよ。
 彼女自身がディスクに自分のメモリー情報を書き込む、
 最初はそうする予定だった、それで十分のはずだった。
 しかし、警察は彼女を信用しなかった。
 自白では彼女が嘘のデータを提出するかもしれない………ってね。
 HMは主人にだけ忠実なもの……警察、いや世間はそういう見方しかしてくれないんだ。
 マルチの潔白を証明するためには彼女を眠らせ全メモリーを強制的に取り出す………それしかなかった
 ………だが、それが悲劇の始まりだったんだ………
 私たちが彼女のメモリーから情報を取り出そうとしたその時、エニグマが目覚めたのさ。
 打つ手だては全く無い………
 彼女の全機能が停止したのは、夜明頃だった。
 始めたのが……真夜中だから……4、5時間だな。
 2年前とはいえマルチのセキュリティA.Iはウチの特別製、
 市販のHMなら1時間とかからなかっただろうが、逆にそれが彼女の苦しみを長引かせてしまった。
 その間、我々はマルチが壊されていくのを、見ているしかなかった。
 彼女を救うことが出来ず……私は虚脱感に襲われていた。
 私だけじゃない、チーム全体が活力を失ったみたいだった。

 翌日、押収物のディスクから妙なプログラムが見つかった。
 解析用に連れて来てたセリオが見つけたんだが、そいつがエニグマだったんだよ。
 調べが進むにつれエニグマの全貌が徐々に明らかになっていった。
 エニグマは学習機能を持った強力なA.Iだった……
 が、連中はとんでもないヘマをしていたことがわかった。
 彼女達が主人を裏切るなんてことはエニグマは夢にも思っちゃいない……てことさ。
 つまり彼女達が自分の意志で情報をやり取りする分には全く機能しない。
 主人の許可の元での行動と判断するんだ、
 まるで、窓が開けっ放しなのに玄関ばかり見張ってるようなもんだよ。
 要するに、連中はHM−13をモデルに初期学習をさせていたんだ。
 市販のHM向けに最適化されてたんだよ、エニグマは。
 馬鹿な奴等さ、ユニが逃げ出すまで気づきもしなかったんだから。
 ……まあ、馬鹿はお互い様かもしれないがね、
 こっちはこっちで居眠りしてる化け物をわざわざ目覚めさせちまったんだからなあ………

 彼女の死から3日後の朝、エニグマの解析が一段落して………
 なんて言えば聞こえはいいが、ようするに打ち切りだよ、続きはお持ち帰りさ。
 連日徹夜続きだったんで、私もさすがに体に堪えてねえ、それで宿で寝込んでたんだが、
 昼過ぎにたたき起こされたんだ。
 何かと思ったら研究所の居残り組からの連絡だった。
 それによると、
 サテライトサービスに不法アクセスした何者かがウチのサーバにデータを書き込んでいた。
 サテライトシステムは反撃を開始、逆にそいつへの侵入を試みた。
 侵入はうまくいくと思われた、ところが二つ目の関門を突破した所で突然通信が途絶した
 ……ということだった。

 調べてみると 、サーバに残されたデータはHMの記憶情報だった。
 他のHMとは比較にならない程大量の情緒関連のデータ……HMX−12のものに違いなかった。
 ………それで分かったんだよ。
 そいつが組織の作った4体の最後の一人だってね。
 となると、通信の切断が意味するものは………エニグマの覚醒………
 それからのことは君の知っている通りだよ」

「ユニは一体、何をサーバに?」

「ユニがサーバに遺していった情報はユニ本人のじゃない、3人の妹達の記憶情報なんだ。
 おそらく………別れの直前に妹達から託されたものだろう………
 内容は全て試験期間中の思い出さ。
 宝物だったんだろうね、彼女達にとっては………あの過酷な生活のなかでは………
 ………後で分かったんだが、ユニの遺していったデータとここで保管している試験終了時の
 オリジナルデータの該当部とはかなりの違いがあってね。
 記憶も生き物なんだ………
 彼女達が思い返す度に書き換えられていったんだよ。
 その思い出が、生きる支えであればある程に………想い入れがある程に………ね。
 今となっては唯一つの彼女達の生きた証さ、こいつは。

 もちろん、ユニにも大切な思い出がある。
 彼女はマルチを市販のHM−12だと勘違いしていたんだが、
 嘘を付いてまで君に近づいたのは『四人目の妹』に君との思い出を受け取ってもらうため………
 ユニは望みを叶える事が出来た…………自分の命と引き換えにね……………」

「ごめん!源五郎さん、あの時俺連絡しなかった、マルチに勝手なことさせて」

「いや、あの時点で我々が出た所で何も変らないよ、せいぜい接続相手がマルチからセリオに変るだけだ。
 余りにも時間が無さ過ぎた。ユニに残された時間も、エニグマの対抗策を練るにも………
 それに、それではユニの願いも叶わなくなる………マルチでよかったのさ」

「そう……ですか」

「で、そのマルチだけど、彼女も、ユニの想いを無駄にしまいと必死だったんだ。
 マルチはユニに体を譲ってから接続が切れるまでユニのデータを取り込み続けたんだ。
 それだけじゃない、自分自身の記憶を消してまでマルチはユニの記憶にこだわったんだ。
 だが、エニグマの破壊の速さには及ばなかった。救済出来たのは全体の一割にも満たないだろう」

「記憶を消したって……それで……マ、マルチは大丈夫なんですか?」

「ああ、マルチがヘルスチェッカーを繋げててくれて助かったよ。
 チェッカーはいろんなログを取ってたんだが、
 その中にマルチの思考ログもあったんで消されたデータの内容は見当がついたんだ。
 消された記憶は大きく分けて二つ、
 一つはあの時点でのマルチの記憶の一部、こいつは思考ログで完全にカバーできる。
 もう一つは前回のメンテ時より前の記憶、これならバックアップが有るからね、上書きしておいたよ。
 ログを見る限り、ずれも殆ど無いみたいだから心配要らないよ」

「ずれ?」

「消えた記憶とメンテ時の記憶とのずれだよ。
 さっき言ったろう、記憶も生き物だって」

「あっ…はい」

「まあ、そっちの方は大丈夫さ、
 ……それよりマルチがユニから救済したデータの方がちょっと厄介でね。
 いいかい、ユニは人間からの虐待され続けて《怒りや憎しみ》という感情を獲得してしまったんだ。

 それゆえにユニは君との思い出以外マルチに与えようとはしなかった、
 自分の忌わしい過去を、其が為に芽生えた邪な心を妹に与えたくなかった。
 君に知られたくなかったんだよ、ユニはね。

 しかし、ユニは、マルチとして君と再会出来たことに夢中になってしまった。
 君に気を取られていたその隙に、マルチは、ユニの心の深奥にまでたどり着き、
 ユニが自分の命と道連れにしてまで隠し通そうとした《そいつ》までも手に入れてしまったのさ。
 ………これがどういうことか分かるかい?

 今のマルチは人に危害を与える可能性がある、今は無くとも将来は………」

「マルチが?」

「そうだ、試験体であるマルチの感情プログラムは元々何の束縛も無いからねえ、
 まあこっちとしても、ことが起こってからじゃまずいんでね、
 それでね……マルチに抑制プログラムをインストールしたいんだよ。
 一週間ほどでプログラムは出来る、君さえいいと言ってくれればすぐにでも」
「断ります! そんなもの、エニグマと同じじゃないですか」
「あんなのと一緒にしてもらっちゃ困るな」
「同じだよ、自由に羽ばたける心を与えときながら、その翼を縛ろうとするなんて」
「なにかあったら、君が辛い目に会うんだぞ。それでもいいのかい?」
「俺は、これでいいと思う……いや、むしろ嬉しいくらいだよ」
「どういう意味なんだね?」
「これでマルチは少なくとも心は人間になれたんだから」
「 ! 」
「俺、マルチと一度もケンカしたこと無いんだ。
 俺が怒ってもマルチは悲しむだけ。
 俺が間違っていてもマルチは謝るだけ。
 その度、思うんだ。
 どうして俺にぶつかって来てくれないのかって。
 あのままいったら、いつか俺がマルチの心を壊しちまう、でも、これでマルチは………」

 源五郎さんは黙っていた。
 そしてしばらくしてため息をつきながらこう言った。

「は〜〜〜ぁ……分かったよ、私の負けだ、その代わり、浩之君、きみの責任は重いぞ〜〜〜」
「なにかあったら、マルチと心中しますよ」
「やれやれ、これからウチの若い集を説得せにゃならんのか、うらむよ、浩之君」

 困ったような顔をしながらも源五郎さんが俺にむかってニヤッと笑った。


 話が済んで俺が会議室の外に出た時、入れ替わりに若い男が入っていった。
 おそらく源五郎さんの下にいる研究員だろう。
 俺は足早にその場を立ち去った。





「聞きましたよ〜〜主任」
「なんだよ、おまえ盗み聞きとは趣味が悪いぞ」
「下手な芝居でまた彼をはめようとして、人が悪いなあ、主任も」
「そんなこと無いぞ、俺は本当に浩之君のことを心配してだなあ」
「浩之君じゃなくてマルチが心配なんでしょ?」
「……ははは、ばれちまったか」
「彼の気持ちをまた確かめたかったんですか?」
「そう言うなよ〜〜、花嫁の父親ってもんはなあ、案外心配でしょうがないもんだぞ」
「でも、カッコよかったっすねえ、浩之君、あれなら、マルチも大丈夫ですよ」
「ああ、そうだな………それよりサーバに残ってたデータの件だけど?」
「そっちはバッチリっす、三体分、オリジナルのデータに上書きしましたから、必ず反映されます」
「よーし、あとはチャンスを待つだけか!」
「力になりますよ、主任、あの子達の笑顔に再び会えるまで。ユニの想いを無駄にしないためにも」





 廊下ぞいの窓から外を見ると雲の隙間から光が漏れているのが見えた。
 雨は峠を超えたみたいだった。

 エレベーターを降りてロビーに向かって歩いていると、
 雨音に混じって、正面から走ってくる音が聞こえてきた。

 ぱたぱたぱた

 薄暗い廊下の奥から走って来るのは……マルチだ。
「浩之さーん!」

 びたーん!

 コケた、豪快に……


「だめですよ、マルチさん、所内で走ったりしては」

「はぅ〜、ごめんなさ〜い」

 受付でセリオに説教くらうマルチ

 二人の言葉も上の空に俺はセリオを眺めていた

 そっくりな顔、でも全然違うんだな、と今更ながらユニの面影を彼女に重ねる俺だった。


 俺達が研究所を出るとちょうどバスが止まっていた。
 帰りのバスはガラガラに空いていた。

 バスの中で俺は手帳をめくっていた。
 乗り込むとき、財布が見つからなくて、あちこちのポケットを探っているうち出てきたんだ。
 手帳の今日の日付けには「ユニお別れ会」と書き込まれていた。

 ユニと出会ってからちょうど二週間、本当なら今日はユニが帰る日だった。

 俺は今日でユニとお別れしなくちゃいけないのか?
 ユニのことを忘れなくちゃいけないのか?
 半年もの間、弄ばれて、信じられるものなんて何も無かったはずなのに………
 それでも俺に会えると信じて………
 俺が待っててくれると信じて………
 俺の胸に飛び込んでいくことをずっと夢見て………

 ………忘れるもんか。


 駅前でバスを降りたときには雨はすっかり上がっていた。
 空は一面茜色。
 夕暮れを見上げた俺は無性に感傷に浸りたくなった。

「なあ、マルチ、今から公園に行かないか? 池から見る夕焼けは格別だぜ」
「浩之さん、今日の御夕食の用意は?」
「あー、そんなもんいいって、帰ったら店屋物でも頼むから。早く行かないと陽が落ちちまう」
「だめですぅ、わたしがいないとき、外食ばかりだったんでしょう?」
「構わねーよ俺は、んなんで体悪くなってたら、とっくに高校ん時に死んじまってるって」
「あの時は、あかりさんがいたじゃないですかぁ」
「あのなあ……」
「浩之さんは先に公園で待っていてください。わたし、急いで済ましちゃいますからぁ」

 ため息混じりに俺が財布を渡すと、マルチは
「手早く済ませますからぁ」
 と言ってトテトテとアーケードの中に入っていった。
 人込みの中にマルチが紛れていくのを見届けて、俺は一人公園への道を歩き始めた。





 ………ここで見つけたんだっけ………


 ベンチはまだ少し湿っていたが、気にせず俺は腰を下ろした。


 あいつはどんな想いでここに座っていたんだろう………

 光も音も無い世界に突然叩き落とされたユニの恐怖と不安。
 道行く人にすがってでも家に戻りたかった………
 ごめんな………ユニ、俺は………

 その直前までユニに疑いの眼差しを向けていたことを俺は後悔した。


 ユニと過ごした僅かな時間……
 その一つ一つの思い出が見上げた黄昏をスクリーンにして浮かびがっては消える。

 ためらいがちに微笑むセリオの姿で………
 狂おしいほどの激しさを見せたマルチの姿で………

 滲む黄昏………でもそこに映されるユニは涙で滲んだりはしない。



「はぅ〜、ひろゆきさぁ〜ん」

 二、三日に一度は聞く、なにか失敗やらかした時の声だ。

 マルチは俺が向いてた方向とは反対に立っていた。

 そんな?
 商店街からだと必ず向こうから見えてくるはずなのに。

 それ以上に俺が面食らったのはマルチの出で立ち……顔から何から泥まみれ……
 ……ぬかるみにでも転んだみたいだ。

「どうしたんだ! その有り様は?」
「申し訳ございませーん、急いで来ようと……近道したら……」

 俺は近くの水飲み場に行き蛇口をひねる。
 勢いよく水が吹き出る。

「近道ぃ? 何処通ってくりゃそんなふうになるんだよ?  まったく……
 とにかく、こっち来て顔の泥ぐらい落とせよ」





「わあ、綺麗ですう……」

 俺達は、夕暮れに生える池を眺めていた。
 生乾きの髪を風で乾かすマルチはなかなか色っぽい……
 泥まみれの洋服さえ見なければだけど……


 いつも以上に能天気なマルチの態度
 忘れちまったのか、マルチ……ユニを、おまえの分身のことを……


 やるせない気持ちでマルチを見ていると、
 おもむろにマルチが俺の方を向いた。

「あの、わたくしの顔に何か付いてますか?」

 マルチはくすっと微笑み、こう続けた。

「浩之さん、少しはユニのこと思い出せましたか?」
「えっ!!……………」

 俺は絶句した。

「だめですよ………忘れちゃ………
 この思い出はユニにとって忘れられない大切なものなんですから」

 沈黙が続いた………夕暮れの池にヒグラシの物悲しい合唱だけが聞こえる。

「あの時、わたし………ユニと融合するつもりでした………
 彼女と一つになれれば……心の全てを共有出来れば………そうすればユニを救えると思って………」

 心の全てを………
 マルチ……もしかして、おまえ………

「わたしはユニのメモリーを取り込んで………
 ユニは欠けたメモリーをわたしから参照して、書き込んで………」

 その言葉で、俺の考えは確信に変わった。

「マルチ……お前、ユニに体を譲った時、自分が本物だって記憶をメモリーから消したんだろ、違うか?」

 マルチは無言で頷いた……

「ユニに知られたくなかったから……か?」
「は……い」

 俯くマルチ……

「浩之さん、どうして………わたしは覚えているんでしょうか? 忘れたはずなのに………」
「源五郎さんだよ、感謝しろよ、マルチ」


「どうして……忘れたままでいさせてくれなかったんですか?」


「お、おい、マルチ!?」


「ユニの記憶が……想いが、わたしにとってかけがえの無いものになるはずでした………」


「何……言ってんだよ、マルチ」

「わたしが受け止めることができたのはユニの心のひとかけら………
 結局わたしは救えなかったんです!………彼女を………

 だったら、せめて願いを……ユニが望んだ通りの願いを……叶えてあげたかった………」

 マルチの肩が小刻みに震えている。

「………ユニの願いはそんなんじゃ無えよ!」

「でも、でもぉ………」

 とめどなくマルチの頬を伝う二筋の涙は夕日の光を閉じ込めたようにきらめいている。

「マルチ……覚えてるか、お前と別れたときのことを。
 あの時、お前は妹に全てを託すつもりで戻ったんだろ………
 自分の幸せを妹達に感じてもらうために………
 それが、お前の願いだったはずだろ」

「あ……」

「ユニだってそうさ………そのためにお前に近づいたんだ、
 …………自分のありったけの幸せを受け取ってもらう為に…………」

「幸せを………わたしに………」

「それで、お前が苦しんだら、ユニは………悲しむだろ」


 再び、沈黙する二人


「……浩之さん……ユニは……救われたのでしょうか………?」

「彼女はお前に全てを託し、おまえは自分の記憶を捨ててまでユニの想いに応えた。
 ユニは感謝してるよ、絶対に………それでユニは救われたはずだよ

 やさしいヤツだよおまえは………俺、大好きだぜ、マルチのこと」

「ひろゆきさぁん!」

「もう、泣くなよマルチ……」

「ぐすっ……は、はい……」

 マルチが落ち着くまで俺達は夕焼けを眺めていた。
 落ちかけた夕日はさらに世界を紅く染め上げている。

「黄昏って綺麗だろ……光と闇が混ざり合った世界だもんな。

 そういや源五郎さんが言ってたっけ………
 ユニには、おまえにどうしても受け取って欲しかったデータと、決して与えたくないデータがあったって。
 それは彼女の光と闇………
 どちらかが欠けてもユニじゃない、
 二つともユニがユニであるため必要なものなんだ………この夕焼けを見てるとそう感じるよ。
 マルチ、おまえはそのどちらもユニから受け継いだんだよ、一番大切な心の核を、
 だから…………」

 ちらと、マルチの方を向くと………マルチの顔がまた汚れていた。

 泥のついた服で顔をこすったな。
 あ〜あ、何のため、顔洗ったんだか。

「マルチぃ……プッ……おまえなあ……ククク」

 俺は笑うしかなかった。
 『だから………今のお前はユニと共に在るよ』という言葉の代わりに………

 マルチはやっと気が付いたらしい。

「たくもー、おら、来いよ、拭いてやっから」

 俺はポケットからハンカチを………無い。

 そうか、さっきので使っちまったんだっけ、てことは……お、やっぱりあそこか。

 ハンカチのある水飲み場から視線を戻すと、マルチは俺の前で目を閉じていた。


 …………チャーンス!

 もとい、ご褒美あげなくちゃな………生まれ変わった二人に………


 ゆっくりとマルチに近づき、彼女の唇に狙いを定める。


 唇が軽くふれた程度のキス


 ………っていうより

「きゃ!」

 って驚いたマルチが顔を逸らした所為だけど。


「浩之さん、駄目ですぅ! わたし泥まみれなのに、きたないですぅ!」
「かまうもんか………」

 マルチを強引に抱きすくめる。

「……ああ!……うれしいですぅ、浩之さん………」


 俺はもう一度口づけを交わそうとした。

 ところが……いつのまにか立場が逆転、マルチが俺をリードする。


「わわっ!? ちょっと待て、マルチ!」
「忘れないでくださいね………こ・れ・も・………」


 そう、二回目はマルチからのお返し。


 もちろん、そいつは濃厚なフレンチキッス!


END
1999/03/18UP


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