飼い主イタリア留学記−後半−

−2008年11月10日〜2008年11月17日までの記録−


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第二週目が始まります

11月10日(月)

楽しみだった週末の一泊旅行も終わり二週間目が始まります。昨日日曜日にオルビエートからフィレンツェに帰りましたが、私の乗ったインターシティ二等車は満員でした。乗り込んだ車両から指定席が遠く、通路に立っている人達をかき分けかき分け、やっとたどり着いた席には、他の人が座っていて一瞬間違ったかとヒヤリとしました。しかし、もういい加減私の神経は図太くなっています。それでも優しい声(というか、やはり小心者なのでか細い声)で、「スクジー〜」(すいません…)と声を掛けると、相手はすぐに自分の席に戻ってくれました。もし反論されたら「クウェスト エ イル ミオ ポスト!」(ここは私の席でんがな、どないやねんっ)と言うつもりで切符を握りしめていたのですがその心配は杞憂に終わり、窓際のその席に落ち着くとやっと車中の一人としてこの列車に受け入れられた思いでした。

イタリアからボンジョルノさんのページより 二等車両のコンパートメント

この特急列車の二等席は、コンパートメント(個室)の六人席で、三人ずつ向かい合わせになっています。私の目の前の人は明らかにイタリア人女性、携帯電話で到着時間を相手に伝えている言葉で分かりました。あとの4人はアメリカ人のようで、しきりにボローニャという言葉がヌメヌメとした英語の発音で耳に入ってきます。きっとボローニャに行くグループ旅行なのでしょう。“ボローニャ”には敏感に反応する私です^^;

ところで私は、この列車が実はフィレンツェの駅「サンタ・マリア・ノベッラ(S・M・N駅)」には着かないことを知っています。フィレンツェは観光客が多いですがその大半は「S・M・N駅」を利用するものの、列車はこの駅には止まらずローマから行くと、一つ先のリフレディ駅に到着することがよくあるのです。事前に調べておいたから覚悟が出来ていて慌てずにすみますが、知らなければ再びここはフィレンツェではない!」とパニックに陥っていたことでしょう。異国の地を旅するときは、事前の下調べをどんなにしてもし過ぎではないことだとつくづく思います。ちなみにフィレンツェにはS・M・N駅以外に、ローマ方面からだと手前にカンポ・ディ・マルテ駅、一つ通り過ぎて向こうにこのリフレディ駅など、S・M・N駅には止まらず、これらの駅に停車する列車が結構あるのです。
17:40分、予定より少し遅れましたが、列車は無事にリフレディ駅に到着しました。当たりはもう薄暗いのですが、この駅の位置関係が分かっているのと、S・M・N駅には一つだけ戻ればいいので不安はありません。近くの人に聞くとあと20分ほどで列車が来るのだそうです。

アパートに帰ったら沢山の宿題をしなければいけません。短期の留学生活はほんとに忙しいです(^^)




第二週目が始まります
NO.2

クーポラに上る!

11月10日(月)

フィレンツェに来たら、私にはしたいことが三つありました。

1.ウフィッツ美術館に行って追い出されるまで絵を見て回る
2.世界最古の薬局「サンタ・マリア・ノベッラ薬局」で化粧品を買う
3.ドォーモにのぼる!

1.は早々に達成できたし、2.薬局も場所が分かったのでいつでも行けると踏んで、今日は午前中の授業が終了後、ドォーモに上ることにしました。この時期のフィレンツェの天候は不順なのですが、きょうは終日快晴だという天気予報をクララが教えてくれて、現在午後2時ですがその予報通りお天気は上々です。今日行かなければという思いに駆られドォーモに向かいました。方向音痴の私でも滞在一週間も過ぎればさすがに迷わず歩いて行けます。街の中を歩くのも颯爽と一人意気込んで足取りは軽いのでした。

このドォーモは正式名称サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、説明するまでもなく、世界遺産に指定されたフィレンツェのカトリックの教会です。大聖堂への拝観は無料ですが、てっぺんのクーポラに上るのには6ユーロ必要です。今日は思いの外、並んでいる観光客は少なくて20分ほどで中へ入ることができました。狭い階段を上り始めましたが、5分もすると、少し後悔が出てきました。
狭く誇りっぽい階段が400段続く 後ろから次々人が上って来る
急な段差、一人通るのがやっとの空間、そして実に埃っぽい。下からどんどん人が上がってくるので今更引き返す分けにも行かずもう覚悟して進むしかありません。大聖堂の天上に描かれた残虐な絵(「最後の審判」)を見て嫌な気分にもなり、又400段以上の階段を単調にただ上がるだけの行為はほんとに飽きてくる。映画「冷静と情熱の間に」でこのクーポラで約束した恋人同士が会うシーンがありますが、私はこんなところで会うなんて絶対イヤです(誰も会うなんて約束してないし…)。しんどいし、足は吊るし夏は暑いしめちゃかくし息せき切らして髪は降り乱れ〜あっ余計なお世話だわ。
クーポラの上から見るフィレンツェの町 日本人カップルに写真を撮ってもらう
と言うわけでなんとか最上階に上がると、それまでの不満や愚痴は飛んで行ってしまうほどの絶景。それはもう抜けるような青空に飛びっきりのフィレンツェが四方八方見渡せました。この最上階は、せいぜい20人も立つといっぱいになるくらい狭いのですがやはり訪れる価値はあります。10年前にツアーで来た時は見上げるだけで通り過ぎ、ガイドさんが次回来られる時は、是非上って下さいと言っていたのが思い出されます(なので、今回上ったわけですが)。日本人のカップルから写真撮影を頼まれたついでに、私もお願いして撮ってもらいました。
柱の至る所に落書き ここにも、あそこにも
そうそう、以前、日本の女学生がこのてっぺんの柱に落書きをしたことが発覚、世の中を騒がせましたが、見てみるとほんとに落書きだらけで、それも世界各国の言葉で書き殴られています。ありますよ〜まだまだ沢山の日本人の名前。ルール違反をしてこんなところに刻まなくても、このクーポラから見た景色は来訪の思い出に生涯きっと心に深く残るだろうに。



日本へ電話!

ボッタクリもあるから要注意。


11月11日(火)

通学二週目に入りましたが授業は順調に進んでいます。しかし週末旅行クーポラに上がった疲れがどっと出て全身がけだるく集中力も欠いていたからでしょうか、今朝はバスをうっかりと乗り違えてしまいました。幸いすぐに気付いたので次のバス停で降りて引き返しましたが、間違えて乗ったバスは郊外路線でなんと又ボローニャへ行く方向に走っていました。このは余程私をボローニャに連れて行きたいのか…^^;

そんな時、しばらく日本の家族に連絡をしていなかったので心配した主人から携帯にメールが入りました。便りのないのは良い便りとはいうものの、異国では何があるか分からない、私の居る場所は治安も良くて安全な地域ですが、それでもどこかでとなって倒れていてもおかしくない昨今です。こうして心配してくれる家族や友人がいるのはなんと有り難いことでしょうか。

学校に行く道中に公衆電話があって、ここから国際電話が掛けられるので早速日本へ掛けようと思いました。携帯電話もあるけれど通話料金を考えると、この公衆電話を利用するのが断然安いのです。テレホンカードは町の中や駅の構内にあるタバッキー(タバコ屋さん)やエディーコラ(新聞スタンド)で、『日本に掛けます』と言えば、日本向け用のテレホンカードを売ってくれます。掛け方は以下の手順です。

1.テレホンカードの裏面に書かれているフリーダイヤルに電話をする。
2.言語を選択しなければならないので(イタリア語=1、英語イコール2)
  私はイタリア語の1を押しました。(言語を選んで下さいとアナウンスが流れます)
3.カードの下部にある銀色の部分を削り、現れた番号を入力し、ボタンを押す。
4.日本に掛ける場合、国識別番号0081+0を除いた市外番号局番(東京だと3+)
  相手先電話番号+♯を押す
丸印「JAPAN」と書いてある。 裏面、丸印「フリーダイヤル 丸印PINNO「暗証番号

実は、この掛け方は簡単には観光本に書いてはあるものの、さて公衆電話を前にして、実際に掛けようとすると、上手くいかない、それは、本に書いてある掛け方には「」を押すという表記がないことと、上記の1〜4の手順の間に、とても時間が掛かって電話の向こうの反応が遅いことが説明されてないから途中で諦めてしまうことです。(もっともカードの裏面には英語で掛け方の説明がある)

有名な観光本の「地球の歩き方」にさえ、「無料通話ダイヤルへ電話、スクラッチ部分に隠れた番号を入力。続いて電話番号を入力、」としか掛け方の説明がありません。これでは初めて公衆電話を使う者には役立たないし説明としては余りにも不親切。私も何度も何度も試して1〜4の手順の間に10秒近く待たないといけないことがあると分かり、やっと要領が飲み込めた次第です。何度目かのトライでやっと自宅に電話が掛かった時には、思わずガッツポーズが出ました。ったく電話一本掛けられただけなのにこの達成感!!

そして注意をしなければいけないことは、こうして安価な国際カードの掛け方が上手くいかない時、電話の前にわざわざ日本語で書いてあるクレジットカードの使用で掛けてしまうこと。このクレジットカードを使った掛け方は、日本語で説明が書いてあるから簡単なのですが、うっかり利用すると、後日高額な料金が請求される、いわゆるボッタクリに合う危険があることです。わずか3分くらいの電話に後日何千円も請求が来たという話を聞いていたので、私は成る程これがその表示かと公衆電話の前のクレジットカードの日本語の表示を睨み付けました。もっともこれがその悪質な接続業者なのかどうか分からないのだけど。
国際電話カードは10ユーロで約1時間話せます。上記の通り、沢山手順はあるけれど、ダイヤルのあとに「」を付けることに注意して、そして電話機の反応を気長に待って利用するのがやはり賢明だと思うのでした。






あと三日NO.1

会食の約束

11月12日(水)

続いて、携帯電話海外使用も気掛かりなことでした。私はドコモの携帯電話を使っていますが、この電話をイタリアで使うにはどうすればいいか、出発前にネットで調べて国際ローミングというサービスがあるのを知りました。ところがインフォメーションセンターへ電話で問い合わせてもややこしい規約や設定の仕方を説明されるばかりで、こちらの知りたいことに明確な返答がありません。きっと受付嬢はマニュアルを読み上げているだけのでしょう。
要するに、
@どうすればイタリアで今持っている携帯電話が使えるのか?
  →ドコモのフリーダイヤルでローミングサービスを申し込む。この代金は無料。
A現地に行って実際に掛ける方法
  →アドレス帳に電話番号を登録さえしていれば、アドレス帳から普通にかければよい。
    メールも同様に、国内に居る時と同じように送受信できる。
たったこれだけのことを知るのにどれ程エネルギーを要したか。インフォメーションセンターの説明が不備だったわけではないですが、聞き手が一番知りたい情報を端的に伝えることに欠けていたことは否めません。ましてや携帯の充電に変圧器がいります、と言われたことには唖然としてしまいました。ドコモショップ広島A店のあなたですよ〜。私はそれだけは知っていたので、「変圧器はいらないと思いますが…?」と言うと、それでも「必要ですっ」と言い張ったあなた、あれからちゃんと正しい知識を身に付けられましたか。

何でも分かってしまえば簡単なことだし、知っている人からみれば些細なことでも、知らない者にとっては実に不利益なものです。しかし携帯電話の海外利用は料金は高額にかかるものの一人旅する者には必需品です。現に私はのっけから役に立ちました。フィレンツェではなくボローニャ空港に到着した時、学校にすぐ一報を入れられたのも携帯電話を持っていたからこそでした。
休憩中のクラス〜それぞれ母国語でのおしゃべりはやはり話もはずみます。。 ハイチーズ゙、なんてしてんと、はよ宿題せな〜時間がないよー(-_-;)
さて、早いもので授業も残すところ、あと3日になってしまいました。私もだんだんと化けの皮が剥がれ出し、宿題休憩時間に慌ててするようにもなって元来のものぐさが頭をもたげてきます。そんな中グレースたちが帰りたくないと言い始めました。私も同じ思いですがこればかりはいかんともし難い、有限な時だからこそこうして楽しく充実した日々が送れる…、それぞれ母国に帰れる場所があればこそ…そんな思いが沸点に達したように、クラスメートの誰からともなく、今日はどこかレストランに行って一緒に食事をしようという話になりました。メンバーは、今週で授業を終えるグレースクリスと、あと来年の3月まで学校に居る長期滞在の日本人のクラスメート3人です。異郷でこうして出会えたのもきっと何かのご縁なのでしょう。今夜はとびっきり楽しい一夜にしましょう。

午後6時、学校の前で待ち合わせをすることになりました。


あと三日NO.2

今更ながらのイタリア語学習
そして観光気分と…^^;

11月12日(水)

授業を二週間近く受けて、気が付いたことがあります。それは日本人以外の外国人が先生と実に気軽にやり取りをしていることです。例えばイギリス人のグレースは積極的に先生に質問し、日常の会話もふんだんに交わしています。聞いているとイタリア語の発音は多分に英国訛りだし、文法もおかしい(グレースごめん^^;)。けれど、先生には通じているし、グレースも先生の返答を理解しています。会話の上達にはこうして沢山話すことが大切なのだと分かっていても、日本人には、国民性なのか、単なる個人のキャラクターなのか、なかなか出来ないのです。文法や語彙は日本に居ても勉強できる…このグレースの姿勢が大切なのだと今更ながらに痛感します。

さて、最初の一週間は、私は午後の授業がありました。それは美術館や教会の見学であったり料理教室だったり様々でしたが、二週間目の午後はフリーです。学校の掲示板に載っている課外授業に自由に参加出来るので、銀細工の工場や先生の引率による町の散策に出掛けたりして、フィレンツェを大いに味わいました。が、それでも足りないほど、この町はまだまだ魅力に溢れています。今日は、夜にクラスメートと会食の約束があるのですが、待ち合わせの時間まで、またまた町巡りをしました。そろそろお土産も買わなければなりません。『短期留学生は半分観光気分だ』と学校のスタッフからチクリと言われましたが、その言葉、ハイ、甘んじてお受け致します(^^;)

フィレンツェに来た当初から、どうしても足が向いてしまうのはトルナブォーニ通りです。ここは有名なブランド街で、フェラガモの本店初め、グッチ、カルティエ、プラダ、ボッテガ・ヴェネタ、ブルガリなどの店が軒を連ね、沢山の人が(多分ほとんどが観光客)行き交っています。こんなお店は買う気がないと入店しても慇懃無礼にあしらわれるだけなので、ウインドウショッピングに限るのですが、時折ふっと魔が差して(笑)店の中に入りそうになるのは困ったことでした。元々都会の喧騒が嫌いではない私、いやむしろ、雑踏に郷愁を覚えるようなこともあって、フィレンツェの町の散策は飽きることがありません。こうして毎日時間はあっという間に過ぎて行くのです。そろそろ約束の6時になります。待ち合わせ場所の学校へと引き返しました。
クリスマスの飾り付けが始まっています 町角のワンコ、大型犬が多いです


あと三日NO.3

クラスメートと会食

11月12日(水)

私の居るクラスには、チセさん、サチさん、レイコさんという三人の日本人が居ます。三人共もう1カ月以上もフィレンツェにいるので、生活する上で分からないことは彼女たちからいろいろと教えてもらうことができました。留学した先に日本人が居ると、どうしても一緒になって行動し、それが語学の勉強の妨げになるとはよく言われることですが、私のような短期の留学者にとっては、必要な情報をいち早く伝えて貰ってどんなに心強く、助かったことか知れません。美味しくてリーズナブルな昼食場所やレストラン、はたまた学校の先生の情報に至るまで、この三人の方達にはほんとにお世話になりました。

今夜の会食の場所も、チセさんの日本人のお友達がフォーコ(料理人)をしているというアカデミア美術館近くのレストランです。チセさんたちと私、そしてイギリス人のグレイスとドイツ人のクリスが、午後6時、学校の前で待ち合わせをしてレストランに行きました。

たった二週間でしたが、すっかり仲良くなったグレイスクリスと私達、イギリス人とドイツ人と日本人ですが、ここでの共通の言語はイタリア語です。しかしまだまだ幼稚な会話なので、自分たちの思ってることを充分に相手に伝えることが出来ないし、相手の言わんとしていることもなかなか理解ができません。それでも私達は会話を楽しんでいましたが、相当珍妙な言葉が交わされていたのでしょう。私達のテーブルの周辺に居るイタリア人たちは、その会話を聞いて、吹き出しているのです。陽気な彼らは親切にも私達に一生懸命言葉を教えようとしてくれましたが心底可笑しかったようで、笑いこけています。一体どこが笑いのツボになったのか(^^;)、それでも私達の楽しい会話は続きました。言葉は通じずとも心は通い合う、とはほんとだと痛感しましたが、仮にも語学留学に来ている私たち…こんなことではなぁ、と反省も。

そうそう料理もお任せで出してもらいましたが、どれも美味しく私の口に合う味で、さすが日本人の料理人が居るレストランの味は違う、と思ったのはあながち間違いではないと思います。特別におまけをしてくれた料理もきっとあったはずで、やはり嬉しい心遣いをしていただきました。

さて、あるレストランで、出てきた料理にカメラを向けると、「どうして日本人は料理を写真に撮るのか」と露骨に不快な顔をされたことがありました。それからなかなか写真が撮れずにいたのですが、今日は少しだけ撮ることができました。どれも長ったらしい名前があるのですが、料理名〜覚えていません^^;
あと少しの滞在となったけれど、こうしてみんなで別れを惜しむことが出来たのは幸せでした。気が付くと時間は午後11時にもなっていて、解散となりましたが、フィレンツェで皆さんとこんな素晴らしい思い出が作れたことは生涯忘れません。
クラスメート     サチさん&クリスと グレイス&レイコさんと

サンタ・マリア・ノベッラ薬局にて
   
  親切未満の顧客対応…

    11月13日(木)

サンタ・マリア・ノベッラ薬局は、13世紀の頃、修道僧が薬草を作って薬を調合したことが始まりと言われ、現存する世界最古薬局です。ここでは上質の素材を用い、昔ながらの秘伝の製法で作られた最高級の石鹸香水などを販売していて、今でも王族や貴族などその愛好者は世界各地に居ると聞きます。現在は日本にも出店していますが、10年前フィレンツェに来た時、ドゥオモのクーポラとこの場所に来られなかったことが私にはとても心残りだったのです。なのでフィレンツェ滞在中にどうしても来たかった場所でした。

授業が終了後、バスに乗って中央駅まで行き、ちょうどサンタ ・マリア・ノベッラ教会の背中側にある細い道をたどりながら着いた薬局の玄関はとても小さくて、うっかりすれば見落としてしまうほどです。でも中に入れば、室内は広くて天上も高く装飾も豪華で目を見張りました。同時にむせかえるような香りも漂ってきましたが、これも自然の薬草の匂いだと思うと心地よく、昔の宮殿にはこんな香りが常に漂っていたのだとその優雅さに思いを馳せました。そういえば、大家さんのクララに、SMN薬局に行くと言うと、「あそこのは高級で匂いも良くて好きだけれど、高価で手が出ないわ」と言いました。成る程、店内を見渡せば、買いに来ているのは外国人旅行者か地元の裕福そうな人達ばかり。クララの言葉にも合点がいきました。
入り口はこんなに小さいSMN薬局 最高級のヴェルティーナソープ
私はクリームと石鹸を買うつもりでスタッフのイタリア人女性に声を掛けました。使う人の年齢と欲しい個数、更にはプレゼント用に包んで欲しいことを伝えるとそれぞれに勧めてくれて、すんなり買うことができましたが、見ていると、店員の態度はすこぶる慇懃無礼。日本人の若い女の子たちのグループが、目の前でどうすればいいのか、明らかに困っている様子なのに全く相手をしません。ここには日本人の女性スタッフも常駐しているのに呼ぼうともしないのです。カウンターには商品のメニューも置いてあって注文がしやすいようになってはいるものの、店の雰囲気に気圧され、異国の地で言葉も充分でなければ、どうしても臆します。

外国から訪ねて来る人達も多いと分かっているはずなのに、来店した客を迷わせ、困らせ、挙げ句の果てには恥までかかせてしまう。先般、ローマで食事をした日本人カップルが法外な料金を請求され、その訴えを聞いたイタリア政府は迅速な対応を見せましたが、そんな詐欺まがいのことをするお店(ここも老舗のレストランでした)の原点にこうした親切未満の老舗の顧客対応がある気がします。

観光が大切な収入源の国イタリア。人々は陽気で明るく親切だけれど伝統ある老舗のお店がイタリアに憧憬を持つファンを失望させるとなると、これは国家のちょっとした損失だと思うのです。



最後の授業 NO.1

 11月14日(金)

とうとう最後の授業になりました。朝登校すると、グレースが浮かない顔をしています。今日でお別れなのでナーバスになっているのでしょう。午前中の文法の時間が終わると、みんなで写真を撮り合いアドレスの交換をしたり住所を教え合ったりしましたが、異国の地で知り合った者同士が短い期間ながらも同じ時を共に過ごせたことは何物にも代え難い貴重な体験だったとつくづく思います。

海外の留学は、夢と希望を抱いてやっては来たものの、住まいや学校初め、周囲の環境に当初の思いとは違ってがっかりすることが沢山あって、テレビ番組の「うるるん滞在記」の様に感動を呼ぶ結末にはなかなかならないと聞いていましたが、少なくとも私には、満足な滞在となりました。身に起こることは何事もまずは受け入れよう、今回の留学に際しての私の小さな決意でしたが、これが案外勇気を生み幸運に恵まれることになったのかも知れません。人間は不満を言えばきりがない動物ですものね。

今日が最後の授業だというので、他のクラスからもお別れに来てくれました。ゆかりさんヒロ君です。ゆかりさんとは、たまたまオステリアで同席したのですが、それ以降、課外授業や町の散策でもたびたびお会いし、帰国する際は飛行機まで一緒になりました。帰国後下さったメールから、仕事と勉強に頑張っておられる様子が伺えて、いつかまた是非お会いしたい方だと思います。一方ヒロ君は、もう半年近くフィレンツェに居るそうで、自分は中国人だと言って私を騙した人ですが、まんまとそのに騙された私は「ニーハオ」とは言ってはみたものの、あとはしどろもどろで慌てさせられました(笑)そんな楽しい男の子ですが、彼のは、日本でスパゲティの専門店を開くことと話してくれました。イタリアでものパスタを手打ちして出すお店はだんだんと減ってきているそうで、その技術を学んで帰りたいのだとか。もしかしたら、今頃は、日本のどこかで彼の理想とする生パスタを打って美味しいスパゲティを作っているかもしれません。その時はみんなにご馳走するって言ってくれたけど、ヒロ君〜もう出来た?〜ご馳走してくれるのをずっとずっと待ってますよー(^o^)。



最後の授業 NO.2

 11月14日(金)

さて、最後のレッスンは「会話の授業」です。当初この授業を受ける生徒は8人居たのですが、昨日から半分に減っています。実は、この授業は私達には少し難解で理解がしにくい授業でした。なので、他の人たちはクラスを代えてしまったのです。この学校では、自分のレベルや好みに合ったクラスを途中からでも自由に選択できるのですが、こんなにあからさまに生徒が減ってしまっては、さすがに先生もショックのようでした。私ももし長期に授業を受けるなら、クラス替えをしていたかも知れません。先生は察知されたのか、昨日あたりから、私達が望んでいるような、現実に即した「会話」の授業をするようになりました。それまではグループに分かれてイマジネーションで物語を作る、といったことがテーマになっていたので文章を作ることに重点が置かれ、そうして出来上がった文章を読むだけでは「会話」の勉強にはならないな、と私達は感じていました。勿論、私達の語学力のレベルがもっと高ければ、これも充分過ぎるほどの学習内容なのですが…。

今日は“友人に電話を掛ける”というテーマで、実際に二組になってレッスンを受けました。レベルは低くても、これが意外に楽しくて、私達が望んでいたのは、まさにこんな授業だったと思わせられる程でした。

模擬電話の私の相手はクリス。「こんにちは、元気?〜」という挨拶から始まって、今何をしていたの?とか日頃の近況を話し合います。そして食事の約束をするのですが、都合が悪いと断ったり、雨が降っているからイヤだと駄々をこねてみたり、即興で会話は弾むのですが、過去現在未来などの時世がごちゃまぜになって、なかなか正確な約束ができません。もう私達は笑い転げましたが、簡単な意思の疎通を図ることにも文法がどれだけ大切かをここで思い知ることになりました。又辞書に書いてある表現の中には、イタリアでの通常の会話には用いない言葉もある、ということも分かったりして、なかなか有意義ものでした。

そうこうしていると、突然外で太鼓の音が響き渡りました。先生は、これは恒例のオリーブの収穫祭、珍しいイベントだからみんなで見に行こうと言って私達を外へ連れ出しました。学校はサンタ・クローチェ教会の真ん前にあり、その広場で催し物は行われています。毎年この時期、トスカーナのレッジェーロ村で採れたオリープがここでお披露目されるらしく、市長さんらしき人もやってきてテープカットがありましたが、なんとこの場に居たチセさんがハサミを持つ介在人に選ばれて私達は大喜びでした。こうして思い掛けない課外授業を受けた訳ですが、帰国後、オリーブオイルを見るたびに思い出す、これが最後の授業となりました。
サンタクローチェ広場で、収穫祭オープニング なんとチセさんがテープカットの助手に!
熱心に説明を聞く私たち バージンオイルの試食香りもよくウマイっ



最後の授業 NO.3
     −送別会−

 11月14日(金)

二週間の授業が終わって、当初はもっと感傷的な気分になるかと思いましたが、それはつかの間のことでその後に控えている帰国準備と、もう一日ある滞在日をいかに有効に過ごすかということに私の気持ちは既にとらわれていました。無事に授業を終えた修了証を学校の事務所にもらいに行きましたが、ここでも事務的に処理され、却ってそれがサバサバとした爽快な気分にもなって、安っぽい修了証を手に学校を後にしました。

嬉しかったのは、日本人のちせさんサチさんがこの日送別会をしてくれたことでした。ちせさんもサチさんもイタリアが大好きで、将来はイタリアに移り住みたいを持つ女の子です。二人とももう二ヶ月近くフィレンツェに居るので生活もすっかり安定しています。そんな彼女たちが案内してくれたお店は、沢山の学生に人気だというオステリア。ここも午後7時くらいから、アペリティーボのお店に様変わりして、一杯何か飲み物を頼めば、料理はすべて自由に食べ放題になります。学校のあるサンタクローチェ広場からジュセッペ通りを東に歩いて行きますが、だんだんと人通りも途絶えてきて、後ろを振り返り振り返りしながら、約束の場所に向かいました。もし彼女たちが居なければ、中心街をはずれて、それも夜間にこんな所にまで足を延ばすことはなかったでしょう。フィレンツェで有名な場所はほんの一部の歴史地区、この地に例え二週間という短い間でも実際に生活し、そして友人が出来てこそ知る場面がこうしてあるのでした。

ちせさんもサチさんも来年の3月までフィレンツェにいてイタリアライフを楽しむそうで、私には羨ましいの一言に尽きるのだけれど、又イタリアを訪ねたいという思いを持って短期の留学を終えられることは幸せに思います。自転車に乗って颯爽とアパートに帰って行ったサチさん、最後まで私につきあって下さったチセさん、本当にありがとうございました。この日のことは生涯忘れません。明日が最後の一日。フィレンツェを思う存分楽しんで帰国の途に着きたいと思います。
トスカーナ料理が並ぶアペリティーボの店内 ここでお二人にお別れしました


そして最後の一日NO.1
    
 11月15日(土)

帰りのフライトは明日の日曜日、フィレンツェの空港を11時15分に出発します。そして来た時と同様にローマの空港で一泊して月曜日の午後から関空へ帰国の途に着く予定です。行きも帰りものんびりとした旅程を組んでいるので、とても気が楽なのでした。

最後の一日を更にフィレンツェの町の散策にあてたのですが、それほどこの町にはまだまだ魅力があって、飽きることがありません。朝、いつも通りに起床して、部屋の掃除や洗濯をして又チェントロ(中心部)まで出かけました。短期間の留学では、どうしても勉強や宿題に時間をとられ(当たり前なのだれど)ゆっくりと町を見て回る余裕がないのです。きょうは、シニョーリア広場に近いメルカート・ヌオーボにたたずむイノシシの像の鼻をなでに行きました。このイノシシの鼻をなでるとこの地に再訪できるという言い伝えがあって、沢山の観光客が入れ替わり立ち替わり、鼻をなでては互いに写真を取り合っています。私もアメリカ人のご夫婦の写真を撮ってあげて、代わりに記念の一枚を撮ってもらいました。いつかきっとフィレンツェに又来られますように!
町を散策していると、美術の勉強に来ているのでしょう、こうして路上で絵を描いている人を何人も見かけます。

彼は日本人の男の子のようで、先日アメリカの大統領になったオバマさんを書いていました。人々は立ち止まり、賞賛の気持ちと、励ましの思いをこめて彼の傍らに置いてある赤いボールの中にお金を入れて行くのです。私も心ばかりの気持ちを彼に渡しました。

若い人たちが異国の地でこうして勉強している様子を見るのは本当に嬉しい。
時には悩み絶望や沢山の迷いにとらわれることがあると思うけれど、自分の夢に向かって邁進して欲しいと心底思います。とは、叶えるために抱くもの、それが叶った時、夢が現実になった時、更に次のステップに進めるから。夢は、自分を磨き続けるために持つものなのだと思うのです。
そうそう、今日が最後なので食べたいものも、心おきなく楽しみました。

街角で…どうしても食べたいと思っていた名物「ランブレドッド」を頬張る!満足−☆

ランブレドットはモツ煮込み(トリッパ)をパンに挟んだものですが、バジルソースやオリーブオイルがしたたり落ちて、とてもジューシー。

本当は、知人に教えて貰った高級レストラン「チブレオ」の横にある屋台で食べたかったのだけど、ここでも十分にイケた。
毎日食べた「グロム」のジェラート。体重は確実に増えている!

フィレンツェには数え切れない程ジェラート屋さんがあって、あちこちで食べたけれど、この「グロム」が一押しです。沢山の地元の人が押し掛けていて店内はいつもにぎわっています。

しかし、このグロム、どうも日本にも上陸したそうで…新宿丸井の一階に開店したそうな…私が好きなのはピスタッチオ。


そして最後の一日NO.2
    
 11月15日(土)

もうかれこれ、4時間近く町なかを歩き回っています。ベッキオ橋に並ぶ貴金属店では記念にかわいいピアスを買い、その近くのお店では普段使いの手袋も買いました。今、あてどもなく探し回っているのは絵画です。強敵のパパが絵が好きなのだそうでリクエストがありました。

以前、インドネシアのバリ島で気に入って買ってきた絵は、自宅で飾っていると木枠から小さな虫が出て来たことがあって、複製画を買うにもそれなりの店で購入しないと、という思いに駆られています。探し回ってやっと見つけた小さなお店は、複製画の専門店のようで、店主も親切に応対してくれました。私の好みで選んだボッティチェッリの「」は、メディチ家の結婚記念の作品と言われているので強敵一家にピッタリでしょう。飾れば購入した真新しいマンションにもきっと合うに違いありません。こうしてやっと目的のお土産をゲットして安堵できました。

それにつけても残念なのが、一人では入れないレストランがあるということ。フィレンツェの名店「チブレオ」や「サバティーニ」です。高級店になると日本でも同じだけれど、これが一人旅の時に一番困ること。料金はさておいて、女性一人でも入って食べられる分量のメニューテーブルセッティングがあるならば、一人旅を楽しむ女性たちは、そのお店のドレスコードに準じて出かけて行くに違いありません。様々な旅行の形態があるのに、迎える側はちっとも代わり映えのしないまま。勿論食事を楽しむのには友人同士や家族で行けるのが最良なのだけれど…。
お土産のボッティチェッリの「春」 高級レストラン「チブレオ」
そうそう、こうしてフィレンツェの町を歩くとき、気を付けなければ行けないのはトイレです。町の中に公衆トイレはありません。面倒でもまで行って、有料トイレを利用するか、どこかお店に入ってエスプレッソでも飲んでトイレを借りるしかないのです。私は幸い学校が中心部にあるのでよく学校へ行って用を足していました。旅行の時のみならず、人間、食べることと出すこと、これはいつでもどこでも永遠の課題ですね(^^;)


日本へ帰国
    
 11月16日(日)〜17(月)

いよいよ帰国です。16日の朝、クララに心からお礼を言ってアパートのを返しました。私は、日本にも来て下さい、と伝えましたが、クララは「私はもう年だし、足も悪いから遠い日本には行けないわ」と寂しそうに笑いました。でも又イタリアに来ることがあれば立ち寄って欲しいと言って抱き締めてくれたことがとても嬉しくて、決してお世辞を言わない正直なクララの言葉だけに、心に沁みいりました。アパートの前からタクシーに乗って空港まで向かいましたが、私の姿が見えなくなるまでクララは手を振って見送ってくれたのでした。

小さな小さなフィレンツェ・ヴェスプッチ空港
フィレンツェからローマへ

今日は、フィレンツェの空港を11時15分の飛行機でローマまで移動し、来た時と同じローマ空港のヒルトンで一泊する予定です。以前、イタリアに来た時、ローマ市内の観光は一通りしたものの「真実の口」に行けなかったことを思い出し、ここで半日観光を思い立ったのです。ちょうどヒルトンのホテルから無料のバスも出ています。チェックイン後、荷物を部屋に放り込んですぐにロビーへ降りましたが、都合良くバスも来ていて飛び乗りました。

「真実の口」の前の広場の噴水
バスの中、イタリア最後の自分を撮る!(^^)

ホテルから約40分ほど、「嘘つきは手を咬まれる」というこの真実の口は、映画「ローマの休日」にも出てきて、その場面は否応なく蘇ります。人気の記念撮影のスポットだけに、観光客がずらりと行列を作っていて、待ち時間は30分程〜。面白いことに、順番が来て、記念撮影をする時は、次に待っている人がカメラのシャッターを押す、というのがどうも暗黙のうちの了解にもなっているようで、私も次に待っている人に撮って貰うことが出来ました。真実の口のあるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会やその周辺を散策しましたが、フィレンツェとは全く異なる雰囲気があって、このままローマ観光をしたい衝動に駆られたのは困ったことでした(*^_^*);。
行列が出来ている「真実の口」 後続の人がシャッターを押してあげる
こうして最後の最後まで楽しみましたが、事故もなく帰国の日を迎えることが出来たことは本当に幸せでした。

17日、ローマから関空へ飛行機は飛び立ちました。緑の翼を広げ私の夢を乗せたアリタリア機は、再び私を乗せて無事に日本へと送り届けてくれたのでした。

イタリアで出会ったすべての人たちに感謝して、ここに留学記を終えます。
                                                −完−

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