1. 金もないのに家を建てる理由。

結婚一年、新婚気分も抜けないベルトロンとその妻マギーであったが、 ベルトロン母に健康問題が持ち上がった為、同居する事になった。 同居は、マギーが提案したので、問題なく、あれよあれよという間に 本決まりとなった。

実家は築30年近くの古い家。 ただ、改築を2回程し、外壁も最近塗り直していて、 そんなに古さを感じさせない。ただ、一つにして重大な問題があった。
狭い。

親子3人、肩寄せ合って暮らすのも悪くはないが、マギーは主婦業の他に 本格的内職をしている。(内容はご想像におまかせします) その為、どうしても、仕事部屋を確保しなければならず、改築では 間に合わないのだ。

そこで、ベルトロン一家は清水の舞台から思いきってダイブする事に したのであった。


2. とまどうベルトロン

「”はじめの一歩”って何するんだろう?」
家を作る事を決めたはいいが、実際、着手方法が皆目わからない。
とりあえず、軽い気持ちでネットで調べることにした。
・・・・重かった。調べれば調べるほど訳が分からなくなってきた。
”はじめの一歩”後の知識だけが豊富になってしまい、肝心の所が わからないのだ。

”捨てる神あれば拾う神あり”すっかり混乱してしまったベルトロン一家に 救いの手が差し伸べられた。マギーの友人エス夫妻である(嗜好では ありません、念の為)。エス夫妻は近年に家を建てた経験者で、 彼等が大変に参考になったという本を貸してくれたのだ。
その本は漫画形式をとっており、頭のよわい我々にも、理解し易い ありがたいご本であった。

友情と漫画に支えられ、ベルトロン舟は弱々しく出航したのであった。


3. 悩めるベルトロン

どこに頼むか、という問題に行き当たった我々に 最初の提案をしたのは、ベルトロン母であった。
「資金の事も心配だし、とりあえず、以前改築を お頼みした日栄住宅さんに聞いてみましょう」

得た知識によると、複数の業者から「相見積もり」をとる方が いいとの事だったので、現在、母が加入している保険屋さんが 紹介してくれた工務店さんにも頼むことにした。

「とりあえず話を聞くだけだから、順番はどちらでも いいよね」ということで、仲介の保険屋さんが、手早く 立ち回ってくれたので、2002年3月、工務店さんと最初に話をする ことになった。

来て頂いた工務店さんは、”押しが強く、自信満々の方で 信頼出来そう”であった。後にこの””内が問題になるのだが、 詳しい内容は「もーいや」に記する事にする。
続いて、2002年3月30日、日栄住宅さんに話を聞くことになった。

そうして、両者に「相見積もり」である事を話し、設計図を作成して もらう運びになったのだった。


4. いっつぁしょうたーいむ!

設計図の骨組みができると、 気の早い、ベルトロン母と、マギーはショールームに 行きたがった。
ベルトロン母は風呂を、マギーは台所が見たいらしいのだ。

「気に入っても、入らなければ意味がない」との私の意見に マギーは自分で台所の設計をし直し、それにあったメーカーの システムキッチンを見るという徹底ぶりであった。
・・・・ここに女の執念を見たベルトロンだった。

私の親だけあって、控えめなベルトロン母は、最初に自分が 描いていたバスルームより、うんと小さかったのがかなり ショックだったようだが、何も言わなかった。
悲喜交々。


5. 設計だぁっ。

「家を作る」が決定し、まず、我々がしたのは間取りである。
とにかく、狭いし、制限はあるし、で、もう大変。

やっとこさ、形になって、最初に声をかけた工務店さんに ファックスで送るも、建坪率やら、斜線規制など何度もやり直し。 ここの、社長さんは棟梁さんなので、ファックスで 送ったものを、お抱えの設計士さんに検討してもらい、 送り返してくるという、少々手間のかかる作業になった。

結局、未完成のまま、次に日栄住宅さんに相談すると、社長さんが 一級建築士の方だったので、直接話し合いが出来、自分たちだけでは 到底思いも及ばなかった斬新な間取りを、提案してくれたのだった。

そうして、毎週のように話し合いを持って、設計図が完成したのであった。
しかし、それにしても 疲れた。


6. はうまっち?

設計ができたところで、見積もりである。
前述の通り、お金の無い我々にとっては、敷地の狭さ以上の 大問題だ。

案の定、予算オーバーである。マギーは「どうせ、いずれは皆、 足腰弱くなって二階に行けなくなるんだから、二階より一階に お金をかけましょう」と提案していただけあって、予算を削る段階で 徹底的に二階の設備を安くあげようと予算案を組んできた。
そこには、「二階のウォシュレットを普通の洋式トイレにしよう」だの 「壁紙は同じグレードでも、人気の無いのは安くなるみたいだから、 それを二階に貼ろう」など、重箱の隅をつついたような、涙ぐましい ものもあった。

それを見た日栄住宅さんは「本当にこの人たちはお金がないんだな」と 思ってくれたらしく、親身になって、予算削減に協力してくれた。

決定した予算を眺めるマギーは、バーゲンセールの勝利者の笑みを浮かべていた。


7. あなただけよ。

さて、契約である。
結局、複数の見積もりの末、お願いしたのは 日栄住宅さんだ。

決めては社長さんのマメさだ。
他の業者さんも、金額、信用度は拮抗していたが、 日栄住宅さんほど、熱心に対応してくれた所はなかった。
それに、日栄住宅さんは、以前に改築でお世話になった事と 家に近いことも大きな要因になった。


8. 地質調査。

2002年9月6日、地質調査が行われた。
立ち会ったのはベルトロン母。
「どんどん何もしなくても棒が入っていったのよ。」
と、恐ろしい報告があった。

9月14日、結果が伝えられた。

最悪の結果だった。

我々は180万円の追加金を支払う事になったのだった。


取り壊す前の家。

取り壊す前の家

9. 地鎮祭

「起工に先だって敷地内に祭場を設け、工事・建造物の 平安を祈る儀式」という、大変に厳かな儀式である。

上記の意義はそれとして、私の正直な感想は 「日栄さんが大変だった」と 「お供え物の鯛は食べでがあった」だった。

儀式を執り行うのは「祭場」であり、そして、当然それは 更地になった土地の上。
つまり、儀式を執り行うには、祭場を作らなくては いけないのである。

では、作るのは誰か?
我々が手伝おうにも、何をしていいのかわからず、 ただボッーとつっ立っている間、日栄住宅の社長さんが、 スーツ姿にゴム長履いて、十月とは思えぬ陽気の中、 額に汗を滲ませ、スコップで土と格闘してくれた。

なんだか、ここに、「家を建てること」の全容の縮図を 見た気がした。・・・・ご苦労様でした。

日栄さん奮闘祭壇
地鎮祭

10. 地盤改良工事

地盤が思っていた以上に緩いということで、日栄住宅の社長さんは当初の工法を 変更して、ソイルセメント工法にする事にした。
ソイルセメント工法とは、直径60cm程の円筒形のセメントを周りの土と混ぜ合わせながら 埋め込むというもの。それを20本も埋める
私は見に行けなかったが、近所の人の話では狭い道路一杯になるほどの大きな車が来て、 ガーガーやっていたそうな。
さぞや大変は工事であったろう。一日で終わったそうだ。
写真は全て終わって数日経ってからのもの。やれやれ。

地盤改良工事後の姿

11. 基礎工事

写真は基礎工事の模様である。
基礎 基礎工事

12. 上棟式

11月9日、無事、上棟式の日を迎えることができた。
上棟とは、骨組みが出来て、その上に棟木を上げる事である。
施主にとっては、職人さんたちとゆっくり交流ができる、貴重な 機会でもあるのだ。

式は午後3時半から執り行われた。式自体は地鎮祭と違い あっという間に終了。梯子で二階に上がったのだが、 まだ、骨組みだけだとは言え「家が建っているんだ」と実感、 ちょっと感動。

さあ、酒だビールだ宴会だっ!と、本来なら楽しめるはずの 上棟式のはずだったが、この日は11月上旬とは思えぬ程の 寒波が押し寄せていた。木枯らしピューピュー、ベルトロン一家は エスキモーよろしくの重装備であったのにも関わらず、歯の根も 合わない有様。職人さん達も流石に寒いらしく、手をこすりながら ビールをちびちび。・・・・静かな上棟式であった(笑)。

しかし、シャイで、真面目な職人さん達だという事がわかって、 我々は一安心。今度、見学に行く時は何か温かい物を 差し入れしようと思うベルトロンだった。


上棟式までの木工事の模様である。
木工事木工事
木工事木工事
木工事木工事

13. 木工事

11月17日現在の模様。



11月30日現在の模様。

見た目はそんなに変わらない。
でも着実に進んでいる感じ。



12月21日現在の様子。

現場を見に行くのは、土曜日。するといつも同じ人一人しかいない。
今日はその人と話す機会があった。以外に気さくで楽しい人で(失礼!) 色々話してくれた。ベルトロンが今住んでいるところに美味しい団子屋があるとか、 などなど。
土曜日はいつも独りだそうだ。今まで行くたびに、 どっさりと缶コーヒーとお菓子を持っていっていたので、 ひょっとしたら迷惑だったかも...?

床に貼るコンパネは、通常より厚いものだそうで、運ぶのに苦労したよと 話してくれた。(参考までに写真を。)



1月13日現在の様子。

外壁のサイディングも貼られ、足場が撤去されていた。外観はもうすっかり家という感じである。 あと、ユニットバスが設置されていた。
ただ一つ問題が発生した。2階の押入の件である。こちらが思っていたより小さくなることが判明。 マギーはかなりのショックを受けた。



1月25日現在の様子。

右の写真のオレンジ色の管は、情報コンセントのための配線(アンテナ線やLANケーブル)を通すCD管である。


2月22日現在の様子。

木工事もほとんど終わり、壁紙を張っていた。この日は、家庭内LANの配線を自分でやりに来たのだ。
結構大変だったが無事終わった。その模様は別項で。


  

3月1日現在の様子。

ほとんど完成だ! 一人感慨にふけりながら佇む。


3月8日現在の様子。

クリーニングとアンテナ線の配線も終わり、あとは、電話配線のみとなった。
やっとここまで来た。嬉しくなってあちこち開けてみたり、点検したりした。


14. できた!

こうして、「ベルトロンのおうち」が完成した。

しかし、ここで終わりではなかった。
入居してからが、また大変だったのである。
全ての家具を図面配置したはずが、結構計算ミスがあって組み直したり、 住んでみなければわからない問題が出てきたりと、家が完成してからも色々問題が発生した。
現在、住み始めて半年が経とうとしているが、未だに快適な居住空間を作るのに試行錯誤している。

家というものは、手のかかる子供のようだ。日々手を入れ、立派に成長していく姿に目を細めつつ、 完璧なマイホームライフを目指す、ベルトロン一家であった。