横浜・散歩(その10)


横浜に、はじまる日本のガス事業は 明治3年高島嘉右衛門によって中区花咲町(桜木町の近く)にフランス人技師アンリプレグランを招いて設立しました。1872(明治5年) 10月大江橋から馬車通、本町通りにかけて日本最初のガス灯がともされ最初は十数基でしたが、年内に300本に達する街灯が設置されました。はじめは日本人街だけでしたが、 その後居留地にも広がり ました。明治20年代に電灯が実用化されるようになり、関東大震災以後ガス灯も電灯に変わっていきました。当時のガス灯は開港資料館の中庭に展示されております。

       交通=JR関内駅、横浜市営地下鉄関内駅下車徒歩5分(馬車通界隈)

ロマンチックな
ガス灯
馬車通にあるガス灯
のア−チ
 
施設時の馬車通の
ガス灯
新しい町にとけ込む
ガス灯(馬車通)
伊勢山の下、石炭蔵跡にガス会社を
設立
(海岸線の先に舟が見えます)
居留地のガス灯
(料金協定が難航して
日本人街より遅れて
1874年12月に点灯されたました)
ガス会社跡の
ガス灯のモニメント
(現在の本町小学校)
埋設されたガス管
右はそのレプリカ

横浜開港の3年後、文久2年8月21日(1862)薩摩藩主島津茂久の父 島津久光の行列に踏み入れた外国人4名が無礼討ちと斬りつけられ、イギリス商人リチャ−ドソン(28歳)が絶命、薩英戦争の発端となる世に言う生麦事件(武蔵の国生麦村、現、横浜市鶴見区生麦)が発生しました。

   交通=京浜急行生麦駅下車徒歩15分(横浜駅より 9分 150円)
   参考=京浜急行生麦駅より国道に向かって右側蕎麦やを右折したところに浅見武夫さん(TEL045-503-3710)
        開設の生麦事件参考館を訪ねると事件の内容がよく分かります。

生麦事件の発生場所と現在の町並み
      (旧東海道)
当時の生麦村
リチャ−ドソン(28歳)馬で500m程逃げたが力尽き落馬海江田武次にトドメを刺された場所
 (史跡)
惨劇の拡大絵図
リチャ−ドソン(死亡)を除く2名が逃げ込んでヘボン医師の手当てを受けた「本覚寺」当時は高台で海が一望に開けアメリカ領事館がありました(無傷のボロデ−ル婦人は横浜居留地まで直接逃げ帰りました)
生麦駅近くの
生麦事件参考館
        (絵はがき)
(腹を切られたリチヤ−ドソンの遺体の生々しい写真が展示されています)
参考館と事件発生場所と史跡の位置
外人墓地に眠るリチャ−ドソンの墓
                 (同時に受傷したクラ−ク・マ−シャルの2名と治療したヘボン氏の3名もこの外人墓地に眠っています)
外人墓地裏門
(左にとると港の見える丘公園、外人墓地の正門へ右にとり30M程行くとリチャ−ドソンの墓があります)
リチャ−ドソンの墓
(偶然写真に写る小枝が無礼討ちと振り下ろされた奈良原喜右衛門の自顕流の刃に見えます)

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