Poem & Essay



生命のひびきを

内観の感動的体験
 私はここ数年、縁あって内観を行う機会を頂いてきました。
 ここで言います「内観」というのは、静かに瞑想しながら自己の内面とただひたすら向き合い、自己を深く正しく見つめていくことです。自己の内に神性を見出す行為であり、いうならば自己との対話です。神道的立場で言えば、内なる神、あるいは神なる我との対話といえるでしょう。仏教的には、観法でいうところの「観心(かんじん)」、あるいは「禅」に通じるのだと思います。心理学にも「内観法」というのがあるようです。世に行われている様々の瞑想法や統一行も、それぞれの言い方をしていると思いますが、本質的には「自分の心を正しく見つめ、真理を己の中に得る」ということに集約されていくのだと思います。
 この内観を、これまで一年に一回ずつ計四回行いました。はじめの二回は、様々な雑念が脈絡もなく次々と湧いてきたり、身体がきつかったり、あるいは眠くなったりと、特別の感動や感覚は何も感じられませんでした。しかし、三回目のときには大変感動的な体験をいたしました。
 三回目は平成十四年の五月下旬のことです。内観を行って来た場所は、富士山の麓、朝霧高原です。外の自然の気配を感じることのできる、円錐形のピラミッド型をしたテントの中で、五時間にわたってただ黙然(もくねん)として坐し、しずかに自己を見つめつづけるのです。このときも、はじめはこれまでと同じような心や身体の状態でした。しかし、あと残すところ一時間あまりの頃、軽く目を閉じた瞼の裏に、青い光が広がって意識が広がったような感じがしました。ちょうどその時、雨が降り出し、それがテントに当たってパラパラと心地よい音を立てはじめました。外ではウグイスやカッコウなどの野鳥が惚れぼれとする声で鳴いています。雨脚はやがて急に強くなって激しくテントを打ちました。とその瞬間、その雨だれの音が体中に染みこむように感じられ身体が震えて、ありがたさに涙があふれてきました。雨音が心を洗うような感覚でした。そして、ふと「慈悲の雨」という言葉が思い浮かんで来たのです。私は落ちる涙をぬぐいながら、すぐにメモ帳にその言葉を書き記しました。そして続いて「雨は神の慈悲の涙である。その雨のように、汝の琵琶のひびきもて、慈悲の音をひびかせよ。慈悲の音の雨を、ひとびとの心に降らせよ。それが汝の道である。」と。
 感涙は止まりません。外ではザーと雨脚が強くなるかと思うと、ときおり遠雷がとどろき、その間隙を縫うかのように鳥のさえずりが、えも言えぬやさしく繊(こま)やかな波動(ひびき)で、耳にではなく心と身体に直に染み入って来ます。ウグイスが鳴きカッコウが鳴き、それに何という鳥でしょうか、高く澄んだ美声でひとしきり歌い謳(うた)っています。天国があるとすればこれがそうなのだろうかと思うほど、身も心も融け入るように幸せな恍惚とした気分でした。
 こうして最後の一時間はあっという間に過ぎました。
 テントの外に出ると、雨はまだ降っていました。その雨粒はまさに「慈悲の涙」でした。私は自分の感覚が、すっかり変わっていることに気がつきました。内観を行う前は、ただ気持ちがいいとだけしか思わなかった周りの自然、木々や小鳥や空気や天象や生き物が、何とも新鮮で愛おしく感じられたのです。人間は本当に自然と一体なんだ、生きとし生けるものと一体なんだということが、頭の中ではなく身体全体でわかった気がしたのです。そして、ありがたいという感謝の気持ちが溢れてくるのです。「何事のおはしますかはしらねども かたじけなさになみだこぼるゝ」(西行)であります。内観で溢れてきた涙は忝(かたじけ)なさの涙、忝涙(かたじけなみだ)なのでした。

生命は響き合い
 その感覚は未だに新鮮な余韻としてはっきりと残っています。
 そして、その余韻を心の中に大切に抱きながら、今年もまた、三月十七日に四回目の内観を行いました。
 春三月半ばとはいえ、その日、朝霧高原の気温は零度近くで底冷えのする日でした。朝から深い霧に包まれ、霧雨が降っていました。朝十一時に内観開始。ところが、今日は不思議なことにほとんど雑念が出てきません。何を考え、何を思うでもなく、ただ坐っている自分が居るような気がしました。そして、内観も半ばをすぎた頃、雨は小粒になってピラミッドのテントに当たって音がしはじめました。今回もまた、インスピレーションのきっかけを与えてくれたのは雨音でした。雨音とは天音(あまおと)なのでしょうか。その雨音に誘い出されるように、まず「生命は響き合い」という言葉が浮かび、そのあと、連続して小一時間ほどの間に次々と言葉が浮かんできました。そして、それを浮かんできた順番通りに書きとどめてゆきました。

 生命は響き合い

音楽は音を響かせることではない
ひびきを響かせることである
ひびきが響き合うことである
ひびきは生命の根元なれば
音楽とは生命の響き合いである
響き合いとは響き合う愛である
雨の音を聴け
風の声を聴け
鳥のさえずりを聴け
音はただ無心に生命を響かせているだけだ
汝、無心なれ
ただただ無心に音を奏でよ
巧まざるべし
間とは巧まざる生命のひびきのゆらぎの中に顕れる
間は響き合うひびきが交わるその刹那である
間は音と音とが生かし合う
生命と生命が生かし合う
交わり合う接点、融け合うところ
二つが一つであり
一つが二つである
愛の働きの場である
間は一元の働き
神の愛の沃がれるところ
生命を生かし合う
時空を超えた働きの場
慈悲の場
琵琶は間の音楽
汝の琵琶は間の楽器
響かせよ、響かせよ
奏でよ、奏でよ
愛を、愛を
慈悲を、慈悲を
音霊は生命と生命を響き合わせる力のことである
汝の奏でる琵琶の音は
音霊となって人と人との生命のひびきを
響き合わせ融け合わせる
無心なれ、無心なれ
生命とは無心なるもの
巧まざるべし、巧まざるべし
生命とは巧まざるもの
風が吹く
雨が降る
鳥が鳴く
風の音は他者の何を侵したか
雨の音は他者の何を侵したか
鳥の声は他者の何を侵したか
何者をも侵してはいない
雨は雨の音でありながら
風は風の音でありながら
鳥の声は鳥の声でありながら
すべては生かし合っている
融け合っている
生命のひびきとは生かし合う場である
響き合う生命の場
響かせよ、響かせよ
生命を、生命を
奏でよ、奏でよ
生命を、生命を
汝の琵琶は生命の琵琶
雨のように
風のように
鳥のように
無心に、無心に
ひたすら、ひたすら
生命のひびきを響かせよ

 こうして清書し読み返してみると、この詩は、私が「光明思想の琵琶語り」として目指す、新しい琵琶楽の世界への大いなる指標であり励ましであるように思います。それは、昨年の三回目の内観で得た言葉「慈悲の音の雨を、ひとびとの心に降らせよ」とともに、ますます私の行く手を明るく照らし導いてくれる光と感じます。

カザルスの言葉
 悲劇語りから光明思想の語りへ。これは言うは易し、行うは難しであります。四百年以上の琵琶語り(薩摩琵琶の場合)の歴史が引きずる想念の残影は何と重く悲しいことでしょうか。思えば私は、その残影に二十年以上も苦しみ、もがき続けてきたのでした。語りは題材と奏法が一体となって音楽を形作っていますから、題材を変えればそれに応じて歌唱や奏法の変革も必要になってくるのです。型の音楽である薩摩琵琶にとって、そうした決まり事の枠を崩して新たな歌唱や奏法を創出してゆくことは、並大抵のことではありません。しかし、もはや悲劇語りには戻れません。いやもちろん、悲劇語りを否定するのではありません。悲劇語りもまだまだ必要だと感じます。肝要なことは、否定することではなく、光の語りでもって悲劇語りを昇華し還元してゆくことだと思います。
 しかしながら、その光の語りにとって一番大事なことは何でしょうか。自分自身の心、そして生き方ではないでしょうか。自らを高め上げ、光明思想の語りを語るにふさわしい自己に鍛えることなしに、その道は決して切り拓かれることはないと思うのです。なぜなら音楽とは人そのもの、人生そのものであるからです。
 私が演奏家として座右の銘としている言葉があります。大チェリスト、パブロ・カザルス(一八七六〜一九七三)の言葉です。
「音楽はある目的に奉仕するものでなくてはならない。それはそれ自体よりも大きな何かの一部、ヒューマニティーの一部でなくてはならない。これこそ、まったくのところ、今日の音楽│つまりはヒューマニティーに欠けた音楽に対する私の異論の核心なのだ。音楽家もまたひとりの人間であるからには、彼の音楽よりさらに大切なのは人生に対する彼の態度だ。というよりふたつを分け離すことはできない。」
「……私はまず第一に人間であって、芸術家であることは第二だ。人間として、私の責務は同胞の安寧にある。今後も私は音楽という、神が私に与え給うた手段を通じて、その責務を果たそうと努めるだろう \なぜなら、それは言葉や政治や国境を超越したものなのだから。世界平和への私の貢献など小さなものかもしれないが、少なくとも、死ぬまでには私が神聖なものと見做している理想のために、捧げ得るすべてを捧げるつもりだ。」
(以上『写真集カザルス│芸術と人生のパンセ』、幾野宏訳、小学館、一九七七)
 芸術としての音楽に、高い技術が欠かせないことは当然のことです。高い技術がなければ本物の芸術とはいえません。しかし、その高い技術でもって一つの卓越した演奏をしたとしても、それだけではやはり不十分なのだと思います。すばらしい演奏以上にもっと大切なことは、一個の人間として如何なる人生を生きているかということではないでしょうか。なぜならば、その人間としての生き方、人生に対する姿勢こそ、音楽に真の「生命のひびき」を与えるものだからです。その生命のひびきこそが、本当に深い感動、人間の普遍的霊性にまで到達した生命の共鳴をもたらすのです。それが「生命の響き合い」「響き合う愛」ではないでしょうか。そして、そこにこそ、人間の生に深くつながった本当の音楽の力があるのだと思います。その力は、人の人生を変え、闇を光に変えることさえできる力なのです。音楽は決して無力ではありません。むしろ、人間性を喪失せんとする殺伐とした今日の時代にこそ必要なものなのです。対立ではなく調和を、戦争ではなく平和を、憎しみではなく愛を。音楽は「神の愛の沃がれるところ/生命を生かし合う/時空を超えた働きの場/慈悲の場」なのであります。
 私は、カザルスの音楽はまさにこの「慈悲の場」ではないかと思うのです。
 次のような有名な話があります。
 カザルスの弟エンリケが十九歳の時、スペイン陸軍の徴兵を受けました。そのときカザルスの母ピラールは「エンリケ、お前は誰も殺すことはありません。誰もお前を殺してはならないのです。人は、殺したり、殺されたりするために生まれたのではありません……。」と言ってエンリケを国外に逃亡させました。その後十一年間エンリケは家族と離ればなれになってしまいました。おそらく周りから厳しい非難を浴びたことでしょう。しかし、ピラールのこの言葉は、自分の子供だけは死なせたくないというような、小さな情愛から発せられた言葉ではありませんでした。それどころか、それは良心という原則に貫かれた信念と勇気の言葉であったのです。大きな愛の言葉であったのです。ピラールは自らの言葉と行為でもって人間の愛と尊厳を示したのです。カザルスはそのことを正しく理解しました。そして、この体験と言葉は若きパブロ・カザルスの胸に深く刻まれました。カザルスは後にこう述べるのです。
「私は思うのだ。世界中の母親たちが息子たちに向かって、『お前は戦争で人を殺したり、人から殺されたりするために生まれたのではないのです。戦争はやめなさい』と言うならば、世界から戦争はなくなる、と」
(『パブロ・カザルス│喜びと悲しみ』アルバート・E・カーン編、朝日選書、一九九一)

ひびきそのものの音楽
 一九七一年、国連平和デー記念コンサートが開かれたとき、カザルスは平和への切なる願いを込めた《鳥の歌》を演奏しました。齢九十五でありました。私はその時の様子を録画ビデオテープで見ました。カザルスのチェロの弓を握る手は覚束なく、誰の耳にも音程は明らかに不安定でふらついています。しかし、そんなことは全く問題ではありませんでした。カザルスの弓から音が紡ぎ出された瞬間、会場と人は一瞬にしてひとつになりました。その深い慈悲にみちた波動(ひびき)は人々の耳にではなく、魂そのものに染みこんでゆくようでした。そして、みんなが感動の涙を流しました。その音は気高く澄み切っていました。ああ、これはもはや音楽ではない、音楽を超えた何かである。私はそう思いました。それは一つの奇蹟でありました。
 私は感動に打ち震えました。それはカザルスという偉大な芸術家に感動したということを超えて、音楽の崇高さと神聖さに感動し浄められたのです。そしてふと、カザルスの母ピラールのあの言葉を思い起こしました。「人は、殺したり、殺されたりするために生まれたのではありません……。」ピラールあってのカザルスだとはっきりと感じました。
 私は、カザルスの音楽の根底には大きな母性愛があると思います。自他の区別なく、無心にすべての生命を慈しみ育まんとする大愛です。それは、カザルスの母ピラールによって授けられた愛に違いありません。そしてあの《鳥の歌》はその母性愛の結晶だと思うのです。母性愛のひびきが響きわたっていると思うのです。いや、音楽が愛のひびきそのものにまで高められ純化されているとでも言ったらよいでしょうか。音程が云々、リズムが云々などということはもはや大した問題ではなくなってしまっている。上手い下手の、分別の世界を超越して、生命の根元であるひびきそのものが響きわたっているのです。そこに自己はなく、我もありません。余計なものは削ぎ落とされ、透明になった崇高なひびきが響いているだけなのです。それが人々を感動させないはずがありません。人間の普遍的霊性にまで到達した音だからです。音楽を超えた生命のひびきそのものだからです。魂の故郷(ふるさと)のひびきだからです。
 音楽とは実に生命の共鳴であります。それは主客一体の「一元の働き」です。演奏者は演奏という行為によって音と一体になり、その一体となった音がさらに演奏者と聴衆を融けこませ、皆がひとつ生命として一体化するのです。音霊の力によってすべてが結ばれ融け合うのです。「音霊は生命と生命を響き合わせる力のことである」ということであります。音楽のすばらしさは、この音霊の世界の中で知らず知らずのうちに、演奏者も聴衆も我を忘れ無心になって生命を共有するところにあるのです。生命はひとつであることを私たちは魂の深いところで知っているに違いありません。本心がそれを知っているのです。そして音楽は、そのひとつ生命であることを想い出させてくれるものなのです。だからこそ音楽は直截的に深い感動と悦びを与えてくれるのだと思います。
 我を忘れ無心になる、それは神の光、すなわち愛が沃がれ、慈悲の場となることだと思います。私は音楽とはそういうものだと思うのです。それが音楽の本当の力ではないでしょうか。カザルスの音楽は、その本当の力を本当のすばらしさをはっきりと示してくれたのです。

音楽は平和の祈り
 私は演奏家として確信しました。音楽は上手い下手を批評されているうちは駄目なのだ。カザルスのあの演奏のように、生命のひびきそのものにまでなりきらなければ本当にすばらしい音楽とは言えないのだと。カザルスの音楽は母性愛そのもの、平和の祈りそのもの、生命のひびきそのものです。慈悲の海であります。そして私は、わが琵琶楽もまたそうありたいと強く願い憧れているのです。志は大きいに越したことはありません。音楽と生き方の姿勢において、カザルスのように生きてゆきたいと思っているのです。
 私の目指す「光明思想の弾き語り」とは、決して悲劇語りのアンチテーゼではありません。あるいはまた、ただ単に光明思想の言葉を連ねることでもありません。それは、生命のひびきを響かせるということであります。そしてそれはそのまま平和の祈りそのものなのです。「無心に、無心に/ひたすら、ひたすら/生命のひびきを響かせよ」なのであります。私はカザルスの魂をわが魂として「世界平和への私の貢献など小さなものかもしれないが、少なくとも、死ぬまでには私が神聖なものと見做している理想のために、捧げ得るすべてを捧げるつもりだ」と決意したのであります。それが私の「光明思想の弾き語り」なのであります。  最後にもう一つ、私の好きな言葉を記し自らに鞭打とうと思います。一〇七歳まで生きた彫刻家・平櫛田中(ひらくしでんちゅう)、最晩年の言葉です。
「今やらねばいつ出来る、わしがやらねば誰がやる。」

*この文章は、平成十五年八月二十六日、東京・トッパンホールに於いて開かれた「中村鶴城 琵琶リサイタル」のパンフレットに掲載したエッセーで、邑心文庫の『邑心』 62号(2003年11月)にも掲載されています。