Poem & Essay


「天の語り」と「地の語り」

 今日おこなわれている琵琶語りの多くは、悲劇か、あるいはそれに類するような内容の、陰陽で言うならば「陰(いん)の音楽」という印象を受けます。薩摩琵琶の近代以降の演奏曲を調べてみると、《春の調》《蓬莱山(ほうらいさん)》《松囃(まつばやし)》など慶賀の曲も何曲かあります。しかし、今日、実際に演奏会などで演奏されることが多いのは、やはり戦記物を中心とする悲劇です。そのことが「陰の音楽」という印象を抱かせるのでしょうか。
 実は、私自身は若いときから、たとえばバッハのような、信仰と切り離せない「神に捧げる音楽」に憧れてきました。
 十五歳のある日、私はレコードで、チェリスト、パブロ・カザルスの《鳥の歌》の演奏を聴いていました。そのとき、不思議な体験に見まわれました。突然、腹の底で何か熱いものが滾(たぎ)り起って、胸に込み上げてくる。身体が震え、涙がとめどなく溢れ出て、上体を起こしていることすらままならない。突然の出来事に、恍惚として忘我すること半時あまり。私はいづこへか魂を奪われて、椅子に深く身を沈めていたのであります。それは感動、感激という言葉では言い尽くせない、身も心も何者かに連れ去られたような、激烈にして至福なる感覚でした。
 それが私の、ある日突然の音楽開眼でした。それ以来、私が最も好きな楽器は、チェロであります。カザルスの平和への願いを込めた《鳥の歌》は、いつも私の心に鳴りひびいています。
 しかしながら、どういう運命の巡り合わせか、今もって私自身にもなぜそうなったのかよく解らないのですが、私はいつのまにか琵琶を始めてしまったのです。
 法隆寺金堂釈迦三尊像の天蓋(てんがい)吹き返しに奏楽飛天像があって、その群像のなかに蓮華(れんげ)に座して琵琶を弾く飛天の姿があります。
その柔和でアルカイックな面輪(おもわ)からは、清(す)がしき歌声と神韻(しんいん)の妙(たえ)なるひびきが聴こえてくるかのようです。私は、チェロではなく、琵琶を弾くのであれば、漠然たる想いではありましたが、自分にもそのような音楽ができないだろうかと青春の夢をむさぼりました。
 そんな夢を追う者にとって、琵琶の悲劇語りは少し重すぎました。私が夢見た音楽は、今日おこなわれている琵琶語りの中にはありませんでした。やがて、二十代後半ころから、素朴な疑問に苦しめられるようになります。
「どうして琵琶は悲しい物語や、何かどろどろした情念の世界を語ることが多いのか、もっと浄(きよ)らかな世界、大らかな世界、神の世界は語れないのか」「いまの琵琶語りは、果たして琵琶本来の姿であろうか」等々。
 そう悩みつつも、琵琶の長い歴史の柵(しがらみ)と重みに曳きずられるかのように、悲劇の想念の輪廻(りんね)世界から抜け出せない。こうして、本心の欲する音楽と、実際にいま自分が行っている音楽の姿とのズレがジレンマとなり、精神的な苦痛、ストレスとなりました。琵琶をやめようと思い詰めることもたびたびでありました。
 こうした経験と苦悩が、いまの私の琵琶の音楽の在り方や方向性に強く影響しているのであります。
 琵琶の音楽を一度も聴いたことのない人に、「琵琶」というとどんな言葉やイメージを思い浮かべるか尋ねると、おおかたの人は、「琵琶法師」「耳なし芳一」「怨霊・亡霊」「暗い」「ジメジメした音楽」と答えます。悲しいかな、これが琵琶に対する一般的な認識です。もちろん、この全てが間違いではありませんが、こんな音楽ばかり演奏しているはずがありません。
 どうして、こうなってしまったのでしょう。琵琶の実際の音楽に触れる機会が絶対的に少なすぎること。それに対して、ラフカディオ・ハーンの、かの有名な小説『怪談』のなかの「耳なし芳一」の印象が強すぎることなど、いろいろな原因があるでしょう。しかし、演奏する側の責任としてとらえれば、いつの頃からか演奏曲目があまりにも悲劇に偏り、その結果、自らそうした印象を定着させてしまったのではないでしょうか。
 私は、けっして悲劇語りが駄目だと言っているのではありません。《敦盛》の項で述べたように、悲劇語りは、それはそれとして大変重要な意味と役割をもっていると考えています。《壇の浦》《俊寛》など名曲の多くは悲劇であり、今後も語り続けられるにちがいありません。
 しかし、悲劇の象徴たる『平家物語(平曲)』が語られ始め、琵琶がその衰亡の悲愁を一身に背負って一体どれだけの時が過ぎたでありましょう。確かにそこに人間の真実が語られているとしても、琵琶とはそうした悲哀を奏で、悲涙にそぼ濡れるためだけの楽器であり、音楽であったのでしょうか。
 音楽の「音」と「楽」の文字学(もじがく)的由来を尋ねると、音楽とは本源において神と人間の対話のことでありました。簡単にいえば、「音」とは神の「おとずれ」としての「聖なる徴(しるし)」が音であります。「楽」とは神降ろしのための鈴であります。近年、そのことを白川静氏が明らかにしました。音楽はもともと人間が人間の為に行う娯楽ではなかったのです。それがいつの頃からか、天を相手にせず、人を相手にするようになってしまった。音楽をその字面(じづら)だけを捉えて「音を楽しむ」とよく言いますが、古人(いにしへびと)にとっては聖なる行為であり、楽しむどころではなかったでしょう。それは、裏を返せばそれだけ音に潜む力が強いということです。古人はそのことをよく知っていたのです。それを日本では音霊(おとだま)と呼んで音に生命(いのち)が宿っていると直観したのです。
 だからこそ、琵琶がこのまま悲劇を語るだけでいいのか。言葉と楽器による弾き語りという音霊の大いなる力を、もっと別の方向にも使うべきではないのか。これまでの悲劇語りは人が人を相手としてきた「地の語り」ではなかったか。そして「地の語り」に偏っているかぎり、悲劇のマイナス思考の輪廻世界からいつまでも抜け出せないのではないか。私が、かつて悩み苦しんだのは、まさにこのことを、私自身の心と身体が感じ取ったからでありました。
 琵琶語りは鎮魂(ちんこん)であるとよく言われます。鎮魂とは死者の魂を慰めることと一般には理解されています。しかし、この意味では慰霊というべきです。
 鎮魂という言葉は、古くは「たまふり」「たましづめ」と読まれていたようです。「たまふり」は「魂(たま)振(ふ)り」、「たましづめ」は「魂鎮(たましづ)め」です。古神道では、鎮魂の本来の意味は「魂振り」という身体的行によって人間本来の生命を輝かせ、躍動させることといわれています。神道の世界観では、人間は神の直霊(なおひ)である、直霊であるゆえに生来、神性を宿していると考えます。その神性こそ、生命の輝きの根源です。生命の躍動の由来です。神性が覚醒(めざめ)れば、生命は自ずと輝きを取り戻し、躍動するということでしょう。それが結果として「魂鎮め」となるわけです。「魂振り」と「魂鎮め」は相即不離であるわけです。
 私は、琵琶語りを、音霊による「魂振り」と捉えてはどうかと考えました。琵琶の音霊に、もっと積極的で創造的なる「生命のひびき」を込めたいと思うのです。神性の覚醒に向かう音楽であります。琵琶語りは鎮魂でありますが、慰霊としての鎮魂ではなく、本来の意味である「魂振り」としての鎮魂です。これまでの悲劇語りが、傷ついた人間の心を癒す慰めの音楽として「地の語り」であったとすれば、音霊による「魂振り」としての琵琶語りは、人間の神性を覚醒させる「天の語り」です。「天の語り」は、音楽の本源的姿であった「神と人間との対話」に立ち返って、天のひびきを降ろす光明思想の語りです。
 これがいま私が想い描いている「天の語り」の姿です。これによって「天の語り」と「地の語り」が揃い、琵琶語りは天地一体の本来の姿となるにちがいないと考えているのです。人の働きとは天と地をむすぶことではないでしょうか。ならば琵琶語りも天と地をむすぶ必要があると思うのです。
 私は、琵琶語りの歴史は次の新しい段階に進み、あらたな展開の時を迎えていると予感します。その予感を、何とか現実のかたちとして結実させたいというのが私の宿願であります。
 その新時代のためには、「魂振り」としての「生命のひびき」を歌い奏でることを根本理念として、これまでの悲劇とは違う題材や曲想の曲を作り、あるいは、そうした新しい内容を表現するための器として、従来の「語りもの」以外の音楽形式を確立することが是非とも必要であると考えています。そのことで、いっそうの働きと普遍性を得て、琵琶楽の表現世界は広がり、今日の琵琶楽に対する不本意な印象は自ずと払われてゆくでしょう。
 今回のリサイタルで初演される新作三曲は、この新しき琵琶楽の世界を志してきた、私の心の軌跡なのであります。
 さて、《天の川》は、私の心のなかにある、自然世界、悠久なる宇宙、神の世界への懐郷(かいきょう)の情を叙した曲です。
 六年前、《乱声(らんじょう)のかなしき鳥》という曲を作りました。このときはまだ、私の中に「詩曲」という概念はありませんでしたが、いまふり返ってみると、これが私の「詩曲」としての形式の第一作目であったといえます。従って《天の川》は第二作目です。《乱声のかなしき鳥》は、琵琶の弾き語りでしたが、今回の曲は、琵琶の替わりに十七弦箏を伴奏・間奏にもちいて、詩を琵琶歌で語るものです。まず琵琶歌を私が作曲し、それに十七弦箏の伴奏・間奏を作曲家の佐村河内守(さむらごうちまもる)さんに付けていただくという方法で作曲をおこないました。
 今日、琵琶語りのほとんどは、ストーリーのある物語を語る、いわゆる古典としての「語りもの」として演奏されています。私は、そこにポエムとしての琵琶語りがあってもいいのではないかという素朴な発想から出発し、琵琶語りの新しい音楽形式として、「詩曲」という形式の確立を模索しているわけです。
 一般に古典的語りものでは、歌も琵琶の手もひとつひとつゆる緩やかな「型」(様式)がありますが、詩曲では、そうした型から全く自由に作曲します。ただし、歌はあくまで琵琶歌であるわけですから、曲全体としては琵琶歌としての様式美からはずれないようにしなければなりません。
 まだまだ、試行錯誤の段階ですが、今後も更なる努力と勉強を重ねて、作品を創りつづけてゆきたいと思います。
(2001.11/「中村鶴城 琵琶リサイタル」パンフレットに掲載)