Poem & Essay

演奏会後記No.3
大國魂神社 世界平和の祈りと印の集いー奉納演奏(2001年2月11日、大國魂神社)
二月十一日、東京五社の一つ府中市の大國魂神社拝殿で琵琶の奉納演奏をさせていただいた。
曲目は《連詠
黎明(よあけ)—五井昌久の短歌による》である。これは五井昌久師の短歌を四首連ねた曲で、今回の奉納演奏のために私が作譜したものである。
短歌の詠み人である五井昌久(ごいまさひさ)師(1916〜1980)は、世界平和運動にその一生を捧げた大聖者である。私は二十数年前に『霊性の開発』という一冊の本を機縁として師の思想と教えに出逢い、私の人生や音楽に深い影響を受けてきた。以来、師への敬愛はますます深まるばかりである。だから今回、大國魂神社での「世界平和の祈りと印の集い」に参加させていただき、五井昌久師の短歌を琵琶で詠うことになったことに自然な縁(えにし)を感じ、深い感慨を覚えた。
五井師の和歌を歌ってもらえないかという話があって、すぐに二冊の歌集を求めて読んだ。他の著書も何冊か読み返してみた。宗教家として神への全託の生涯であってみれば当然のことであるが、どれもが、ただひたすら真っ直ぐに神を想う心と感謝に満ち溢れた、自然法爾(じねんほうに)の巧まざる神歌(かみうた)であると思う。私は素直な気持ちで詠えると直観した。試しに口ずさんでみると師の大きな志と深い愛に融け込んでいくような気持ちがする。そして、私自身の神への憧れが重なる。その郷愁のうちに新しい時代の予感を弾き語りたいと思った。
撰ばせていただいた短歌は『神と人間』『歌集 冬の海』のなかから次の四首である。
天と地をつなぐ絲目(いとめ)のひとすぢとならむ願ひに生命(いのち)燃やしつ
ひたすらに神を想ひて合はす掌(て)のそれさへ消えてただに青空
天地(あめつち)のひびきひとつに海鳴りとなりしところゆ陽は出でにけり
天地(あめつち)の心に融けて生くる身はただありがたしただありがたし
曲名の連詠(れんえい)というのは私の造語で弾き語りの一つの形式を表す。これは連歌(れんが)にヒントを得た呼称である。
現在、弾き語りはほとんどの場合物語を語るわけだが、私は必ずしもストーリーの明確な物語でなくとも弾き語りとして成立すると考え、五年ほど前から詩と和歌の二つの世界をそれぞれ「詩曲」「連詠」と名付け、弾き語りで詠う新しい形式を模索してきた。今回の《連詠 黎明(よあけ)》はその流れの一つとなった。
連詠は一人の歌人の和歌を撰ぶこともできれば、主題を決めて数人の歌人の和歌を組み合わせるということも可能である。いずれにしても何首か詠い連ねることで一曲の弾き語りとする。この形式の特徴は一首ずつを独立して詠うこともできるところにある。
琵琶歌にはもともと「和歌」という歌唱の一様式(型)があるが、これはほとんど固定されていて変化に乏しい。そこで連詠では、この型を基本として和歌の内容に合わせていくつかのバリエーションを創る。あるいはときには和歌の様式をまったく離れて節づけをすることもある。一方、一つ一つの歌の前後にはそれぞれ前奏、後奏として歌の内容にふさわしい短い琵琶の手を付ける。そうしてできあがった数首の歌を連ねることで一曲として構成し、ひとつの世界を表現しようとするのである。
ところで、今日、琵琶の曲は平家物語に代表されるようにほとんどの場合、悲劇の物語が中心である。これは鎮魂としての意味をもっているわけで、私自身もそういうつもりでまさに身を削る想いで演奏をつづけてきた。しかし、聴く側はたまにしか聴かないわけだからよいけれども、演奏する側の立場からすると、長年に渡って、練習の時も含め毎日毎日こういうものばかりをやっているとかなり草臥(くたび)れてくる。心が萎えてくる。ときには苦痛ですらある。どうして琵琶は悲しい曲ばかりなのだろうかとうんざりしてくるのだ。
歴史的に振り返ってみると、果たして琵琶という楽器は悲劇を語るためにだけ生まれた楽器であり音楽なのだろうかと素朴な疑問が出てくる。有名な敦煌の壁画に画かれているのは飛天の琵琶の優雅な姿ばかりではないか。法隆寺金堂釈迦三尊像の天蓋(てんがい)吹き返しに奏楽飛天像があって、その中に蓮華(れんげ)に座して琵琶を弾いている飛天像がある。アルカイックスマイルを湛えた柔和な面輪(おもわ)からは、清(す)がしき歌声と神韻の妙なるひびきが聴こえてくるようだ。また『法華経』の「方便品(ほうべんぽん)」のなかにも、妙音でもって人々を魅了する様々の楽器のひとつとして琵琶の名も記されている。人々を魅了することのできる奏者は悟りに到達するとまで書かれているではないか。
琵琶というのは、いや琵琶に限らず、すべての楽器はもともと天の韻(ひびき)、神仏の世界を奏でていたものではなかったかと思う。音とは「神のおとずれ」のことであった。聖なる器である(さい)を手に戴き、言葉(祝詞(のりと))でもって一心に神に祈るとき、その器の中に神の徴(しるし)が宿る、すなわち神がおとずれる。音となって顕れる。すなわちこれが「音」である。こうしては神の徴を器の中にいただいてとなる。この「」が「音」の字形の下部の「日」である。つまり祝詞を意味する「言」と聖なる器に神のおとずれがあったことをしめす「日」が組み合わさった文字が「音」である。近年、これが音の本当の字源であり、本来の意味であることを白川静氏が明らかにした。「楽(樂)」もまた然り、木につるした鈴を象ったもので、神との交流のための楽器を意味する。つまり、音楽とは本源において神と人間との対話なのである。人間が人間の為に行う娯楽ではなかったのだ。それがいつの頃からか、天を相手にせず、人を相手にするようになってしまった。音楽をその字面だけを捉えて「音を楽しむ」とよく言うが、古人(いにしへびと)にとっては聖なる行為であり、楽しむどころではなかったであろう。それは、裏を返せばそれだけ音に潜む力が強いということである。古人はそのことをよく知っていたのだ。それを日本では音霊(おとだま)と呼んで音に生命(いのち)が宿っていると直観したのである。
いずれにしても、この音霊を語り(音声(おんじよう)=言霊)と琵琶の音をもって発する弾き語りであるだけに力は強力である。悲劇ばかりを語ることがいっそう辛い。私の願うところは、悲劇ではない琵琶語りの世界である。時代もそれを必要としていると感じる。死や悲しみだけを語る鎮魂の時代(カルマの時代)は終わったのではないだろうか。そういう意識と想いに私を導いた心の灯台は、まさに五井昌久師の思想と教えに他ならない。
これからの新しい時代に、まず揺るがざる核としてあるべきはやはり、天と地を結ぶ経(たて)の軸である。それは神の世界や祈りの世界であると思う。神はすなわち大宇宙の法則としての大自然そのものでもあろう。古来、日本人は自然万物に神が宿ることを知っていたのだ。その自然の美しさ、生命(いのち)を謳歌する語りがあるとすれば何と健康的で大らかであろう。また人間の愛や、やさしさ、喜びや希望、気高さや勇気の世界もすばらしいに違いない。そしてまたある時には、純粋な恋心を詠うのもいいだろう。ただ大事なことは、心が天に向かっているということであろう。天に向かってこそ光が得られ、その光こそ悲なるものをその根底において癒すに違いない。
私は、二十代の終わり頃からこのようなことを漠然と考え始めていたが、琵琶の音色に滲み出てくるものを陰の世界、かげりの世界と思い込んでしまっていた。その強い柵(しがらみ)に囚われて抜け出せなかった。それは四百数十年以上のわが薩摩琵琶の歴史の重さであり、それに繋がる先人たちの意識や想念でもあったかもしれない。しかし、私には琵琶が悲劇語りの音楽としてあり続けることがやはりどうしても耐えられない。私はいつも迷い悩んできた。いつもなにかしら満たされなかった。琵琶を止めることを幾度となく考えた。私には今までの語りは、カルマの輪廻(りんね)からのがれることのできない因縁の音楽であると観ぜられた。これではいつまでたっても救われないではないか、もっと光がほしい、一条の希望がほしい、と心の奥底から切なる想いがわきあがる。心の叫びとなってわきあがる。時代はもう一度、琵琶楽の語りの本質について、その本来の姿について問い直せと言っているような気がするのだ。
今回の奉納演奏の意味はまさにこの点にある。五井昌久師の著書に『神への郷愁』というエッセイがある。私はこの題名に強く惹かれる。それは、とりもなおさず私自身のいつわざる想いでもあるからだ。師の歌の中に素直に自らを投影し詠えることの悦びは、悲劇語りでは決して味わうことの無かった、安らぎのある暖かいものであった。私の心が、身体(からだ)さえもが真からよろこんでいるのが判った。これまで私がやりたいと考えてきたことは決して間違ってはいなかったのだ。私の心はその奥処(ふか)いところから、天に向かえ、天の光を捉えよとずっと叫んでいたのだ。
曲名の「黎明(よあけ)」とは二十一世紀の幕開け、精神世界としての新しい時代の夜明けであると同時に、琵琶楽にとっても新しい時代を拓きたいという私自身の願いでもある。祈りである。そして、それはとりもなおさず私自身の意識の変革ということに他ならない。私自身が変わらねば何も変わらないのだ。なぜなら、音楽とは「心によ由りて生ずる」(『楽記』)ものであるから。
最後に、今回の演奏の機会を与えてくださった和泉日出子さんに心より深く感謝申し上げます。
(2001.2.14/中村鶴城)