じゅげむ?


2007年 3期










石田不識さん


 私たち、薩摩琵琶の演奏家がいつも大変お世話になっています琵琶製作者の石田不識さん。
昨年、国の選定保存技術「琵琶製作修理」保持者に認定されましたが、
最近発売になりました『週刊 人間国宝 70』(朝日新聞社刊)に、新認定者として記事が掲載されています。
琵琶の音楽は残念ながら、大変マイナーな世界。そうしたなか、こうして演奏家を支えてくださる製作者が、
国によってその技術を認定されたことは大変ありがたいことです。
石田さん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。



同書P20より(写真:芳地博之)


(2007/09/27)
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仏か鬼か



数年前、神田の古本屋街を巡っていたとき、ある骨董屋を見つけた。
立ち寄って、ふっと目に入ったのがこの鉄製の小さな置物である。
蝋燭立てかとも思ったが、店主によると筆置きらしい。
笹舟に立つ僧は、目を見開いて何ものかをキッと睨みつけている。
しかし、手にとってよくよく見れば、その形相はアルカイック的な暖かみがあって微笑ましい。
最近、この置物を写真にとってレタッチしてみたところ、偶然に二つの対照的な画像ができあがった。
ひとつは夜霧の川面に浮かぶ鬼かお化けのよう。
ひとつは朝靄のなかに真珠の陽光をまとう仏のごと。
それにつけて、しばし想いを巡らせた。

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人の姿はおのが心の鏡

おのが心は人の姿とおのず現る
鬼と想えば鬼と現れ
仏と想えば仏と現る
拝めば光る生命かな



  

(2007/09/24)

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地球すべてが世界遺産

大切な場所というのはある。
しかし、大切でない場所というものは何処にもない。
地球上すべての生物にとって、
生きているまさにその場所が大切な場所だからだ。
「世界遺産」と、いま世にかしましいが、
文化的価値も自然的価値も人間の勝手な物差し。
しかも、偏った物差し。
地球上のすべての生き物が参加して世界遺産認定会議をすればいい。
そうすれば、認定など必要ないことが判るだろう。
すべてが大切なのだから。

競っている場合ではない。
比較している場合ではない。
誇っている場合ではない。
お互いにすべてを認め合う時代なのだ。
一部ではなく、
もはや全体の繁栄の中にしか、
人類の生きる道はない。
地球すべてが世界遺産だ。

(2007/09/04)

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地球万物への感謝

もしこの地球に無くてもいいものがあるとすれば、それはある。
人間だ。
なぜなら人間だけが自然に反しているから。
人間は自然にその全存在を依存しているが、自然は人間に一毫すら依存していない。
人間が消えてなくなくなっても、地球や他の生物は何も困らない。
それどころか悦ばしいことかもしれない。
自然の調和を乱すものは自ず淘汰される。
それは法則としての神の働きであろう。
だがしかし、その人間がこうして今もなお生かされている!
何とありがたいことだろう。
それは、愛としての神の働きだ。
感謝しかない。
地球への感謝!
万物への感謝!
地球さん、ありがとうございます!
神様、ありがとうございます!

(2007/09/01)

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三溪園を訪ねる その二

 八月十八日に三渓園を訪れたが、二週間近く経った今も、その余韻は残る。時間や空間が交差して不思議な感慨が湧き起こってくる。心の湖に静かな波紋が広がるかのようだ。何かが、私の心の何処か深いところを揺さぶっているらしく、原三渓に縁のあった人々へとおのず想いはつながって消えない。タゴールの詩集を本棚から取り出してみたり、大学時代に心酔した矢代幸雄の著書を久しぶりにめくってみたり。思えば私は、京都に住んでいた浪人生時代、前田青邨(せいそん)や安田靫彦(ゆきひこ)、小林古径などの近代日本画家の絵に出逢い、次第に美術史に心魅かれていったのであった。彼らは皆、三渓が育て援助した画家たちであった。
 そんなことを思い起こしながら、何かしら古えへの郷愁のような、少々、感傷的ですらある微やかな感情が湧き上がってくるのを覚える。そして、それは微風のように密かに揺ゆたいながら、ある美しい飛天の姿に重なってゆく。三渓園に移築された建物の一つに旧天瑞寺寿塔覆堂(きゅう・てんずいじ・じゅとう・おおいどう)がある。その正面扉の上部にはめ込まれた透かし彫りの、その飛天の姿である。
 「古えへの郷愁」とは何か。単なる歴史的な懐古ではない。魂の遥かなる故郷への憧れであろうか。かすかに洩れ来る天楽の妙音、漂う霊香(れいきょう)。私はしばし見とれながら、夢心地になってその前に佇んでいた。今も私の魂は、その世界に飛翔して戯んでいるような気がする。私は今、三渓が追いもとめ憧れた美の世界の風韻に、そそと揺さぶられ続けているのに違いない。

   
旧天瑞寺寿塔覆堂・正面扉:この建物は豊臣秀吉が母大政所の長寿を祝って建てたもの。(撮影:鶴城)


(2007/08/31)


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三渓園を訪ねる

 先日、横浜の名所、三渓園を訪ねる機会がありました。かねてより行ってみたいと思いながら、ずっと行かずじまいでありましたが、本当にすばらしいところでした。どうしてもっと早く行かなかったのかと悔やまれるほどです。
 三渓園は言うまでもなく、芸術家のパトロン、また美術品の収集家として名を残した大実業家、原三渓の手になるものです。
 幸運なことに、普段は見られない建物が特別公開されておりました。園内には、現在重要無形文化財に指定されている歴史的建築が数多く移築されていますが、その価値はいうに及ばず、私が原三渓なる人物の人柄を知る想いがしたのは自邸として建てられた鶴翔閣です。それは茅葺きの和風建築で、
虚飾のない落ち着いた佇まいは、大実業家の自邸としては実に質素であるとさえいえるでしょう。
 
玄関を入ってすぐのところに楽室棟というひときわゆったりとした部屋がありました。ここで仲間と音楽を楽しんだり、収集した古美術の名品の鑑賞をしたそうです。「ああ、こんな所で音楽に打ち込めたらどんなにいいだろう」と想像せずにはいられませんでした。

 
鶴翔閣(左)と楽室棟の一部(右) 撮影:鶴城


 原三渓が偉いのは、単なるコレクターとしての個人の趣味を超えて、芸術を愛する人々と名品を広く共有したのみならず、横山大観や安田靫彦など日本画壇の錚々たる人々を育て上げ、さらには自らも筆をとって書画に親しむ芸術家であったことです。90年代のバブルのころ、羽振りのいい実業家たちが金に任せて美術品を買いあさり、個人の蔵にしまいこんで私物化した例を多く耳にしましたが、そうしたにわか成り金とは全く次元の異なる人です。私の尊敬する美術史家、矢代幸雄氏は彼のことを「平和の英傑」「芸術のパトロンとして、私は三渓先生を以てほとんど理想に近き人物となし、広く各国を見渡しても、また古今の歴史を見ても、比類が少しと信じている」(『芸術のパトロン』新潮社)と最大級の賛辞を捧げています。
 そんな人物が造った、いわば美術と生活の理想郷は、隅々までその高い志が染みこんでいるようで、吹き渡る風にも何かしら漂うてくる典雅な気韻があって、実に豊かな時間を過ごすことができました。
 かつて、インドの詩人タゴールがこの地に客人として逗留したとき、インスピレーションが湧いて詩が生まれたそうです。さもありなんと思わせる興趣があるのです。三時間ほどの散策の後、大池のほとりにある藤棚のベンチに座って、池に波立つ風紋をしばし眺めていました。詩心がおのず興ってきました。
 大詩人タゴールを引き合いに出して、私の詩を載せるのは申し訳ありませんが、一篇を記します。いずれエッセーのコーナーに、同時に生まれた他の詩と倶にまとめて掲載したいと思います。


池のほとり

夏の昼下がり
沸き立つ蝉時雨
森がゆれる

樹々の緑さえ耐えかね
池の水面にうつろい融けて
吹きわたる風に涼む

さざ波立つほどに
濃い緑も淡く
音もなし


(2007/08/21)


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中林悟竹の書

先日、世田谷の上野毛にある五島美術館に
「中林悟竹(なかばやし・ごちく)の書」展を観に行きました。

悟竹は、佐賀出身。幕末明治に生きた書聖です。
6月23日の私のリサイタルでお配りしたブックレットに、
悟竹の『悟竹堂書話』からの一文を引用いたしましたが、
かねて尊敬していた人でしたので楽しみにしていました。
意外にも東京では初の本格的な展覧だそうです。


『悟竹名品集』淸雅堂、昭和37年刊より



85歳・徳島県立文学書道館蔵)

以前、神田の古本屋街で墨跡集を購入して、
この「天照皇太神」の書に強く魅かれていました。
この書が出品されているとは知らずに行ったのですが、
思いがけず初めて実物を拝見でき心躍り感動しました。
清く、直く、明らけし。
私自身が目指す琵琶語りの理想を再確認するおもいでした。
(2007/07/30)

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ホームページの再々出発

7月1日に新しい装いで再出発しましたホームページですが、
アップロードの基本的な仕組みに関する認識不足から、
一時、表示できなくなったり、リンクがでたらめになったりしておりました。
19日現在、メニューの構成や名称を変えて再々、出発です。
私の、琵琶語りに対する基本的な理念である「光明の語り」というイメージで全体を統一いたしました。

2007/07/20)

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樹の生命

樹よ
あなたは私の憩い
私の静かな心
光が
ひそかに
息をしている

(2007/07/10)

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《良寛禅師琵琶伝》のチラシ



このチラシの、彩色木彫の良寛像は、
私の敬愛する平櫛田中(ひらくし・でんちゅう)さん作です。
ある方が、このチラシをみていわく、
「ワー、素敵! 田中美術館に行ってみよ〜〜っと」。
演奏会にも来てくださ〜〜い!
(2007/07/04)


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じゅげむは寿限無?


灯下で万葉を読む良寛さん。
「じゅげむ・・・じゅげむ」とは一体なんじゃらほい?




さる6月23日、
トッパンホールで
《良寛禅師琵琶伝》の新作発表を終え、
一段落着いたところで、
七年越しの懸案だったHPの全面リニューアルに挑戦。
新しいHP作成ソフトを購入して
奮闘、没頭、三日三晩。
これまで、かつての弟子の山口健太郎さんに一から十まで、
おんぶんに抱っこでありましたHPの更新作業、
ついに自分一人で出来る目処が立ちました!

さて
このコーナー「じゅげむ?」は、
新しく加わったページ。
これまでは、ちょっと真面目すぎて自分でも面白くない!
と感じておりました。
そこで、ちょっと気楽なコーナーを作ろうと、
名は体なれば、まずは命名から。
その名も「じゅげむ?」
漢字で書くと「寿限無?」
と今のいま先
漢字変換して気がつきました。

「寿に限り無し」逆さに読むと「無限なる寿」

おお、何と目出度いことでありましょう!
「光明の語り」を目指す者としてピッタリの名。
何の気なしにふと思いついて付けた名でありましたが、
やはり、良寛さんを語ったあとだけのこと、
幸先がいい!

このコーナーは、
何でもありのコーナーにしようと思っておりますが、
どう成りてなるかは
「じゅげむ、じゅげむ」
良寛さまにも鶴城にもわかりませぬ。

というわけで
今後は、もう少しマメに更新していけるよう
兎にも角にも
「じゅげむ・・・じゅげむ」
なんじゃらほい?

(2007/06/30)