旅 の 風 景


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神話と伝説、戦争と殺戮に彩られるギリシャの歴史。紀元前の隆盛は、後のヨーロッパのみならず世界各国に多大な影響を及ぼしました。現地を訪れ、歴史の中に身をおいてみると、古代の人々の英知や創造、果ては苦悩や悲哀までもが大きくのしかかってくる気がします。

どの国にもあるように、ギリシャの人々も例外なく、イタリアやトルコなどの近辺諸国から侵略を受け、悲しい話には枚挙にいとまがありません。しかし、神話に出てくる神様達が、欲望や嫉妬を持ち、恋もすれば失恋もし、そんな人間臭さいっぱいに作られていることを思うと、この国の人々は、きっと明るくおおらかに、何事も許容して生きているに違いないと感じます。数々の世界遺産に圧倒されながら、古代と現代が解け合う聖なる国を満喫した旅でした。


 旅 程 2006年5月24日〜5月31日
    成田  →  ミラノ/アテネ  →  メテオラ  →  デルフィ → オリンピア   
        →  エーゲ海  ボロス島  → イドナ島  →  エギナ島 → アテネ             

ギリシャが世界に誇る世界遺産アクロポリス、その前門をくぐり抜けるとすぐ目の前にパルテノン神殿がそびえる!アテネの象徴だ。社会科の教科書に見た遺跡に、今自分が立っているという事実にちょっと興奮気味。

この神殿はアテネ市内の至る所から見える。全て大理石を加工した柱は一本で立っているのではなく、巨大な竹輪を輪切りにしたような形で重ねられている。ここの床は水平に見えるように中央部が少し盛り上げられているのだとか、目の錯覚を利用した昔の人の知恵に脱帽だ。
アクロポリスは“高い所にある都市”という意味で、沢山の神殿が建っている。古代は聖域であったのだ。入場券を買って入り見て回るというのは少しイメージが狂ったけれど、入場料は今もなお続く修復作業に使われるに違いない。世界中からこんなに沢山の人達が見に来ている。ここに来なければギリシャに行ったことにはならないのだ。あちこち大理石の為足元はとつるんと滑る。要注意。

この遺跡にも、南伊のポンペイの時のようにノラのわんこが沢山居た。この日の気温は日中36度。暑い。
1896年近代オリンピック第一回大会が行われたアテネ競技場。大理石で出来ていて5万人収容できるスケールだ。2004年のアテネ大会でも使われたとか。オリンピックの歴史をひしひしと感じた。

しかし、この国はどうしてこんなにスポーツにばかり目を向けてきたのだろう。農業国なので仕方のないことなのだろうが、ギリシャでは、車は作られていない。全て輸入車だ。街中を走る車はトヨタや日産、スズキ、マツダと日本の国の車が目立つ。日本の国力に思わず感じ入る。海外に出て母国を見直す瞬間だ。
アテネから約350q、ギリシャの中部、東をエーゲ海、西をイオニア海に挟まれた地方にあるメテオラの修道院群は圧巻だ。天高くそびえる奇岩のてっぺん(○印)にあるのは、その一つのステファノス女子修道院。。ここは神聖な場所なので、私達女性はスカート姿でないと入れない。

地上から見上げていると、宙に浮いたようなこの不可思議な空間は、神が作り賜うたかと思うほど。いやそれとも宇宙人の仕業なのかとつい想像をたくましくしてしまう。日本には見られない絶景だった。

そんな奇岩の一つに、岩を一つ飛び越え立ってみた。この岩の向こうは絶壁で足を滑らせると谷底へ真っ逆さま。ひとたまりもない。一緒に見学した人に、「この岩はぐらぐら揺れますよ」と冗談を言ったところ、その人は固まってしまった。ごめんなさい。嘘です。神様お許しをm(_ _)m

メテオラには、こんな修道院がいくつもあって、それぞれ修道士たちが自給自足をしながら修業をしているらしい。しかし、ここがゼウスの神殿ではなくて、ギリシャ正教なのはなぜだろう。
はい。またまた遺跡巡りに出立だ。険しい山の中にあるデルフィの遺跡は、当時の参拝通りの順序で回れる。6本の柱が立っているのが有名なアポロン神殿

このデルフィは、「世界のへそ(中心)」と考えられていたそうで、各国からの貢ぎ物が絶えなかったそうだ。きっとお金持ちの街だったのだろう。古代劇場やスタジアム、巡礼の人達が立ち寄るお店の跡まで見つかっている。

はぁ〜暑いし、足はだるいし、遺跡はもう沢山…などと罰当たりなことを考えながら歩いていた私(-_-;)
〜んと、しかし私のこの姿、倒れそうになっているのではありません。このデルフィの山の上に作られたスタジアム、ローマ時代の競技場跡で、今まさに短距離走をスタートしようとしているところ(なんだー私、元気じゃん)

スタートとゴールには、白い大理石が埋め込まれた跡が残っている。トラックの長さが178メートル、幅26メートルのこの古い競技場には大理石の観客席もちゃんとあって、ほんとに驚かされる。
さて、このお店はオリンピアの街の中にある雑貨屋さん。この店のオーナーさんは、東京オリンピックで、聖火ランナーの第一走者だったとかで、その時使われたトーチを見せていただいた。意外に軽く感じたが、これに火を点し走るとなると結構重労働だと思われる。写真左は甥御さんで、ご当人はシエステ(昼寝)中。きっとこの店は日本人観光客が多く訪れ、トーチもこうして活躍していることだろう。

が、しかししかし、オリンピック当時は、このご当人の父上が市長さんだったらしい…うーんっ成る程成る程。
トーチを持たせていただいた勢いで、再びスタートラインに立つ私…実は、これが当時の正しいスタートの姿勢らしい。聞いてみなければ分からないものだ。

ここは、この街で泊まったホテルのすぐ近くにある、オリンピア遺跡。古代オリンピックの発祥地として余りにも有名だが、オリンピックの聖火は今もこの遺跡で点火される。

ちなみに、ここで行われた古代オリンピックは、選手は全裸だったとか。女性は観覧出来なかったらしい。
いよいよ終盤のハイライト、エーゲ海のミニクルーズだ。サロニコス湾に浮かぶ3つの小さな島、ポロスイドラエギナを訪れる。手前に浮かんでいる青い船に乗船したが、結構大きな船で、各国の観光客がいっぱい。

各島に降り立つと、わずかな自由時間があるが、出航は時間厳守で、決して待ってはくれない。


かつて二人の日本人乗客が乗り遅れて置いて行かれ、高額を払ってチャーターしたモーターボートで追いかけたことがあるとか。笑い事ではないと気を引き締めた。
船内では、食事ショッピングも出来、又楽しいイベントも用意されていた。各国対抗の即興の踊りでは、テンポの速い振り付けを如何に早く覚えて完璧に踊れるか。

私達日本人の対抗相手はカナダ!踊ったあとは、どちらが上手かったか観客に拍手で判断して貰う。日本の威信をかけて、懸命に踊った大和なでしこ達(^O^)
ギリシャとトルコの間には大小3000以上もの島があり、そのうち76%がエーゲ海に浮かんでいるという。今回訪れた3島ともそれぞれに特色があり島内のたたずまいも違っていた。

車の乗り入れが禁止されている島ではロバが沢山いたが、乗った人の体験談では、このロバは随分と気まぐれらしい。あっちこっちへ行くかと思えば、突然立ち止まり動かなくなってしまうとか。彼らのささやかな抵抗なのか。島内にはやはり野良猫やわんこも沢山いる。
ここはイドラ島、船で下りたらひと泳ぎするくらいの時間の余裕はあるけれど、やはり島のホテルに泊まって、ビーチライフを楽しみたい。岩場には、プールに入る時のように、鉄のはしごが取り付けられている。又、タクシーボートで穴場のビーチにも行けるとか。

それにしても、この海の色は独特だ。群青色というのは、まさしくこの色のことではないのだろうか。アルファを泳がせたら、毛の色がこの青い色に染まりそうだ。
国会議事堂横で衛兵さんが立っている。1時間経つと交代するらしいが、その間は微動だにしない。エブゾナスという民族衣装をまとっていてまるでお人形のようだ。衛兵さんの中でもきっとイケメンが選ばれるのだろうと、私達は軽口をたたいたが、それほど綺麗な顔立ちをした衛兵さんだった。

暑い暑いギリシャの旅だったが、東西文明の交代期を目の当たりにし、ギリシャが歴史の原点というのは間違いではないけれど、トルコイタリアやその周辺の国々もたどってみないと全体像は見えてはこないとつくづく思う。

最終日のこの記念写真を撮り終えて、エフハリストー(ありがとう)、そしてアディオ(さようなら)と最敬礼!!
現地の食べ物は、どれもそれなりでした。ビールは、ミソスというギリシャビールがまずまずです。ワインは、ホテルやレストランで食事時に出されるのは実に様々。ギリシャの物価を考えると高い。当地のスーパー及び酒屋で買うのが安くて無難。ギリシャのコニャック、メタクサというお酒も日本人の口に合います。ただウゾというアルコール度数の高いお酒だけは、どうしても飲めませんでした。

又、島などで売られているピスタッチオは香ばしくておいしい。日本で売っているのと違って、防腐剤が入っていないからなのか、いくらでも食べられて、その都度ミソスビールを飲む。ホテルのビールは高いので、スーパーでビールを買ってきては楽しみました。

ガイドブックにはなかったけれど、現地のやぎのヨーグルはお奨めです。臭みが一切なく、濃厚でほんとにおいしい。それに蜂蜜(現地のはおいしい)をかけていただきますが、私はすっかりはまってしまいました。スーパーでいくつも買い込み、帰りの飛行機内でも食べましたが、ギリシャに行かれる機会があれば是非食べてみて下さい。このヨーグルトは冷蔵庫に入れると固まりますが、それを常温で食べると本来の味わいが出ます。