旅 の 風 景


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トガの旅


ポルトガルは、日本の北海道くらいの大きさ、人口が約1000万人ほどの小さな共和国です。人々の97%がカトリック教徒で、実直で穏やかに暮らしています。15世紀から始まる、あの大航海時代、他のヨーロッパ諸国が戦いをしている間、敢然と未知の海へと乗り出したエンリケ航海王子はポルトガルの英雄です。しかし、あの時代に培ったはずの航海技術や産業や工業の発展、華やかな芸術や文化は、残念ながらどこにも見あたりませんでした。

あの時、何故もっと自国の繁栄の為に力を注がなかったのだろう、芸術や文化を育もうとしなかったのだろう。外へ外へと繰り出す為にだけお金を使った為に、残ったのは過去の栄光と栄華の建築物だけ?私には、この国はバブルの崩壊と共に衰退した…という印象が否めませんでした。このあと、イタリアでは、ルネッサンス時代が到来します。イタリアの芸術・文化を育んだメディチ家のような財力家が、当時のポルトガルにもきっといただろうに。「戦略のミスは戦術では補い難し」。ポルトガルの歴史に大いに学んだ旅でした。


 旅 程 2005年2月26日〜3月6日
    成田  →  ロンドン/リスボン  →  オビドス  →  アルコバサ → ファティマ                               
        →  コインブラ → ポルト  →  バターリャ → ナザレ → ロカ岬 → 
       リスボン
→ OP/エヴォラ・エストレモス        
         

リスボン到着後バスで北上しました。ここはオビドスです。夏には色とりどりの花が咲き乱れ「谷間の真珠」と呼ばれる程美しい街。時の王様ディニス王が、この街を気に入った王妃イザベラにプレゼントをしたのだとか。中世の王様のプレゼントは街1つ、さすがスケールが違う!

ローマからの侵入を防ぐ為に城壁が築かれていますが、今でもそのまま観光客に公開されています。この写真を撮る為に囲いや手すりの全くない壁面を足をガタガタふるわせながら上りました。日本なら安全の為に、きっと無粋な手すりを付け、景観を台無しにするだろうなぁ。
アルコバサは悲恋の物語がありました。ペドロ1世とイネスのお話です。政略結婚で迎えた王妃の侍女に恋をしたペドロは、王妃亡き後この侍女のイネスを后にするのですが、それに反対した重鎮達がイネスを殺してしまうのです。

なんだか単なる不倫の末路のような気もするし、英国の皇室がよぎらないでもないけれど、この時代はどのお話も、ドロドロが多い。で、これは二人の石棺が安置されているサンタ・マリア修道院。特にイネスの石棺を担がされているのは、イネスを殺した重鎮達で、その姿は人にあらず実におどろおどろしい格好をしている…心底恐ろしい。
第一次世界大戦中に聖母マリアが出現するという奇跡が起こった街ファティマ、その跡地にはバジリカという大寺院が建てられ、この広場には記念日に10万人以上もの参拝者であふれます。。マリア出現の時に、3人の子供にある預言をしたと伝えられていますが、そのうちの最後のお一人、生き証人の修道女のルチアさんが、私たちがここを訪れる少し前、2月13日に亡くなられたとか…。

それ程昔々のお話ではないことにまず驚き、出現はキリストではなくマリアであることにも私は目を丸くし、これは、話題作「ダビンチコード」を早く読まねばと思うのでした。
世界で最も古い大学の一つ、コインブラ大学を訪れました。たまたまこの日はお祭りらしく、学生たちの記念撮影に出会えました。こんなことは滅多にないそうです。この大学は、いわゆる国立大学で、年間の学費が日本円でなんと12万円ほど。サラーリーマンの月収が14、5万円というから無理はないけれどそれにしても安い。

この大学の象徴である、ハリーポッターの様な黒いマントに身を包み、町中を闊歩するのは、成る程かっこいい!
…と思っていたら、町の中でイケメンの学生さんに会いました。何でもお祭りの資金調達のために、ボールペンを買って欲しいのだと言う。なんとない安物のボールペンが1本1ユーロ(日本円で約145円ほど)。ついさっきの街角の雑貨屋で、同じペンが0.4ユーロで売ってましたで、と言いたかったけれどいかんせん、言葉が分からない。でも一緒に写真を撮ってくれたから許すことにしよう。お祭り成功させてね。

このコインブラ大学は総合大学ですが、獣医学科だけはないらしい。これは愛犬家にはちょっと許せませんぞ。
実は、今回の旅行で楽しみにしていたのがこのポルトガルギターです。「ファド」という、ポルトガルの演歌?を奏でるのに使われるのですが、哀愁を帯びたいい音色を出します。このコインブラで専門店を見つけ飛び込みました。

実直そうな店主らしき人との英語でのやりとり。怪しげで、かなり不確かな会話ながら、この楽器がとてもいい材質を使っていること、ていねいな仕上げに、音の伸びがよいこと、壊れたら修理するからという、私の目をきっと見据えて懸命に説明をしてくれる店主の心意気に触れ、このギターを買い求めることにしたのでした。
久しぶりの寒波で凍えるようなポルトガルでしたが、お天気は良くて、ここポルトの街も絵に描いたような美しさでした。その昔、私が初めてワインを飲んだのが、赤玉ポートワイン。あの甘ったるくてどう飲んだらいいのか分からないお酒…しばらくはあれがワインなのだと思っていましたが、ここでやっと謎が解けました。ポルトワインとは、発酵の途中でブランデーを加えてぶどうの発酵を止めたワインでした。その為にぶどうの甘さがたっぷりと出るのです。で、このワインは、食前食後酒で、テーブルワインとは全く違います。サントリーさん、赤玉を世に広めたあなた方は、なんと罪作りなことをしてくれたのでしょうね。
街のあちこちで、焼き栗が売られています。これが素朴ながら、ほくほくとして甘く、ほんとにおいしいのです。新聞紙に20個くらいを包んでくれて、1ユーロ(145円ほど)。

この日は風も強くて寒くてたまりませんでした。嬉しそうに焼き栗を買う食いしんぼの私。さっき食事をしたばかりなのに…でも、熱々の焼き栗でちょっと暖が取れました。もうすっかり使い慣れたポルトガル語のありがとうー「オブリガーダ!」を巻き舌で元気よく言うと、このお姉さんは、にこっと微笑んで、1個おまけをくれました!(^^)!
ついに巨大なユーラシア大陸の西の果て、高さ140メートルの断崖の上に立ちました。ロカ岬です。「ここに地果て、海始まる」とポルトガル語で記された石碑に向かうと、大西洋の大きさと共に、つくづくここが“最(西)果ての地”なのだと思い知ります。

この街の観光協会から実に立派なローマン体の、人の手で書かれた私の名前入りの「到達証明書」をいただきました。この岬に立ったのは、私で176897人目だそうです。
エボラにある、サン・フランシスコ教会(この教会の名前はどこにでもある結構ありふれたものらしい)。祭壇の横にある人骨堂です。人は死ぬと皆平等という教えの元、街中5000体の人骨を掘り起こしてお堂を作ったらしい。

最初は気味が悪かったものの入って見るとさほどでもなく、入り口に「我々骨たちはあなた方を歓迎します」と書いてあるに至っては、思わず「そりゃどうも」と頭を垂れてしまう。所々空洞になっている箇所がありましたが、観光客が骨を引き抜いて持って帰ったとか。宗教は違うというものの、こうした神経は日本人には理解しがたい。
リスボンで滞在したムンディアルホテルのバルコニーからの全景です。どこに行っても教会や修道院や遺跡だらけでしたが、今もなおその中で営々と人々が暮らしていることに改めて感嘆します。決して豊かだとは思わないけれど穏やかでやさしい国でした。そうそう、わんこものんびりと居ましたよ。ノラもいっぱい。でも悲壮感がないのはそんなお国柄だからでしょうか。

産業や工業がないと上辺だけを見て、偉そうに書きましたが、あの高速道路のETCシステムはこのポルトガルが作ったのだそうです。なかなかやるやないのポルトガル!